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最後まで犯行への関与を否定し続けた男との接見記録

2017年3月24日に千葉県松戸市でベトナム国籍の女児が殺害された。その後、その女児が通っていた小学校の保護者会会長の男Sが逮捕・起訴され、2018年7月6日に一審の千葉地裁で検察側の死刑求刑に対して無期懲役判決を受け、検察・被告人側双方が控訴したものの2021年3月23日に双方の控訴が棄却された。本投稿はその控訴審判決後比較的すぐの接見記録であります。尚、この事件については2022年5月11付で被告人の上告が棄却され刑が確定しています。

私にとってこの事件は松戸という個人的に縁のある土地で発生したということや、被告人と被害者の関係性、逮捕後の被告人や被害者ご遺族の動向、そしてなによりも犯罪の残虐性・被害結果の重大性などから特に関心のある事件でした。千葉地裁・東京高裁での刑事裁判はほとんど傍聴できたのですが、裁判では明らかにされなかったことで直接会って聞いてみたいことが多々ありました。それは事件とは別のS自身のことであり、今現在のSと家族との関わりであり、一審は歩いていたのに控訴審から車イスになったSの体調であり、そして控訴審の第五回公判から裁判に出廷すらしなくなった理由であり、同時進行で進んでいた民事裁判のことであり、一審の被告人質問でご遺族に発した言葉の真意も改めて聞いてみたかったし・・・。そんな気持ちを抱きながら控訴審判決後の春に東京拘置所を訪れました。

秋に最後にインプレッサ強殺事件のIに接見して以来の約6か月ぶりの東京拘置所でした。面会受付の係の方はIのときと同じ方で自分が勝手に思ってるだけですが、自分としては顔なじみの親しみやすい方でして、微笑を浮かべて会釈して面会申込書を渡すと、穏和な微笑と会釈を返してくれました。そして6Fフロアでの面会を意味するピンクの面会票を渡してくれました。いつも待合のソファで待ってるときには面会に応じてくれるのだろうか?と接見に応じてくれたとしてちゃんと質問できるだろうかという二重の不安に襲われるのですが、このときも案の定不安に襲われたのは鮮明に覚えています。

そして15分位でしょうか、自分の持っている番号が待合室の入り口から左端に設置されているモニターに表示されました。つまりSは接見に応じてくれるということでした。そこから荷物を預けて金属探知機のゲートをくぐって6Fの面会室まで行くのですが、暗くて長い廊下はいつもなんとも感じたことのない緊張を抱かせます・・・。エレベーターに乗って6Fフロアに着くとIの
ときによく立ち会ってくれた、恰幅のいい刑務官さんがガラスの向こうに立っていました。こんちはと笑みを浮かべて挨拶してくれたので緊張が幾分か和らぎました。しかし番号を見せるとなにか意味のあるようななにか言いたげな視線を私に向けてきました・・・。

そして確か一番手前の面会室に案内されたと思います。中に入り少し待っていると、その時間は1分に満たないくらいと思うのですが永遠に感じましたが、そのIのときからの顔なじみの刑務官さんに車いすを押されてSが面会室に入ってきました。立ち上がり簡単な自己紹介と裁判を傍聴していたこと、突然の訪問を詫び上記の質問を聞きました。最初に聞いたのは控訴審からなぜ車いすになったのか?だったと思います・・・。体調がとにかく悪化したとのことでした。ただ巷では失明したとのことでしたが、自分が聞いた限りではかなり近くで見ればぼんやりとは見えるようです。なので完全に失明したわけではないとのことでした。その流れで控訴審の途中からなぜ出廷しなくなったのか?ということも聞きました。それはある日朝起きたら起き上がれなくなったと・・・。男の言葉を借りれば気持ちとしては出廷したかったが、できなくなったとのことでした。それらの問答を繰り広げている間、男の視線は常に虚空をさまよい、面会の最後まで私と視線が交わることは一度もありませんでした。なによりも気になったのは刑務官さんが男が話している最中に何度か私に視線を送ってきたことでした・・・。とてもなにか伝えたそうに・・・。

私がSさんご本人のことを教えて下さいと聞いたところ、幼少期の親や姉からの虐待、学校での壮絶なイジメなど堰を切ったように捲くし立てました・・・。メディアに対しての不満も・・・。相手(被害者ご遺族側)の情報を入れてくるんですよと・・・。それに対しては私は法廷でご遺族の深い懊悩を間近で見ているだけに、「うーん」としか言えませんでした。そうこうしているうちに15分~20分などすぐに経ってしまい、面会は終了となりました。私はまだまだSに聞きたいことがあり、今後面会を継続していく中でそれが可能であると思いました・・・。帰り際に刑務官さんがまた私に視線を送ってきたのはまだ脳裏に焼き付いています。Iの面会のときには一緒に会話に入って話すほどに気さくで親しみやすい方だったのですが・・・。

翌日も質問の続きをしようと東京拘置所に向かいました。昨日とは違う刑務官さんに車いすを押され面会室に入ってくるなり、昨日とはうってかわってあなたのことなど知らないといい、こちらにある要求をしてきました。今後はそれをクリアしたら接見に応じると・・・。Sはそれだけ言うと一方的に接見を打ち切りました。接見室をでると昨日の刑務官さんがいて「早いですね」と聞いてきました。私が「なんか・・・」というと「そうですか」と笑みを浮かべて去っていきました。私としてもその要求について具体的には書きませんが、人間関係を構築していくうえで、その要求に応じることは難しいと考え、その日の接見が最後になりました。正直、Sの胸の内はわかりませんが刑務官さんのあの視線の意味はなんとなくわかります・・・。

その後、被害者のご遺体があった現場にも行かせていただきました。そこは事件があったことを想像するのはとても難しいくらいにのどかで、川のせせらぎが心地よい、青空を身近に感じるような美しい場所でした。被害者を祭っているのであろうと思われる、ご遺族が作ったとされるピンクの祠には風化とは真逆の新品のジュースやアニメの人形など、直近にも人が訪れた痕跡が残っていました。ご遺族が被害者の意志を継いで開いたベトナム料理店にも足を運びました。バイン・ミーのミックスを食しましたが、本格的でとても美味しかったです。ピンクの祠で手を合わせながら、バインミーを食べながら自分がこの事件を忘れることは生涯ないんだろうなと確信しました。

※Sは現在受刑者であり容易に反論ができない立場であります。この投稿では簡単に説明できないであろう気持ちを推し量って記載している部分もあります。あくまでも私が個人的に感じた・思ったことであると付言させていただきます。


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