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【ショートショート】7:3分けの真実

「これを着れば良いだけなんて、ホント便利な世の中になったよな」
男は寝ぼけ眼で、緑のスーツをクローゼットから慣れた手つきで取り出した。

時は205X年。あらゆる技術が発展して人々の生活が豊かになった中、ファッション分野についても例外ではなかった。

TV撮影で画像を合成する緑のスクリーンを見たことはあるだろうか。スタジオでは、ただの緑のスクリーンの前にキャスターが立ち原稿を読んでいるが、実際のTV放送になるとキャスターが高層ビルの前に立ってニュースを読んでいるように見える、あの緑のスクリーンのことだ。

大阪のある町工場がその緑のスクリーンの技術を活用した、緑スーツを開発したのはもう10年も前になる。その緑スーツを着ればボタン一つで、スーツ・ドレス・制服・私服さらには水着といった、あらゆる服装を再現する事が出来るようになった。原理はシンプルで、スーツを形作っている繊維に極小光源が織り込まれており、ボタン一つで隣接している繊維に映像を投影する仕組みだ。その仕組みを使えば、TVで高層ビルを投影することが出来たように、あらゆる服装のイメージを映し出すことが出来るのだ。

この技術が発表された当初は、新しい服装データの購入後は毎回USBを緑スーツのお尻に差し込みデータを読み込む必要があったため、その手間を人々が嫌ってあまり流行らなかった。しかし、この技術に着目した通信会社Hardbankがその町工場を買収し技術改良を行い、服装データを電波で飛ばすことが出来るようになった。それによって、いつでもどこでも“着替え”が可能になり、緑スーツは爆発的に普及する事になった。

さて、男の話に戻ろう。

男は大して美味しくもないインスタントコーヒーを一杯飲み、会社に行く準備をしていた。鞄を持ち、携帯を充電器から外し、そして緑のスーツを着て玄関に向かう。

「さぁて、今日はどの服装にしようかな」

男はHardbankから毎朝自動送信されるコーディネートの中から一つを選び、ボタンをクリックする。するとその瞬間、男の服装が嵐前の空模様とは真逆の晴天のような空色のジャケットと白のハーフパンツに変わった。

男はDocoyoに勤めていた。
DokoyoはHardbankの競合企業で、様々な最新技術を取り扱っているところに惚れて男は入社した。しかしながら、Docoyoは毎日の出社が義務付けられていたり、毎朝社是を全員で唱和したりする昔ながらの”平成”ちっくな社風が色濃く残る会社だった。

男は会社に到着し、メールのチェックをしていると、隣の席の同僚が話しかけてきた。
「おい、お前昨日のメール見てなかったのか?今日、社長が来るんだぞ」
「社長・・・?」
というキーワードを聞くと同時に、昨日流し読みをしたメールが脳裏に蘇る。

「明日は9:30より第一会議室で対面打ち合わせを実施します。全員、ちゃんとしたスーツを着用してくるように。」

社長は、変なところにアナログなこだわりがあった。
例えば、通訳機。既に瞬間同時通訳機が開発され、外国語を覚える必要性がなくなっているにも関わらず、お客様との打合せの時に通訳機を使うのは失礼に当たるから、という理由で通訳機の使用が禁じられている。
対面打合せもそのアナログのこだわりの一つだった。ZoomやSkypeといったビデオ会議が一般的となった今、対面で打合わせを行う会社なんてDocoyo以外存在しないだろう。会って話さないと伝わるものも伝わらないというのが社長の口癖だ。そして、その打合わせでは、本当のスーツ着用が義務付けられている。つまり、緑スーツの着用は禁じられているのだ。

実は件の町工場への投資を最初に検討していたのはDokoyoだった。ところが社長は最後まで投資に反対し、結果としてDocoyoはみすみす有望な技術の獲得を取り逃してしまった。この苦い出来事が理由で、社長は緑スーツを忌み嫌っており、緑スーツの普及率がほぼ100%となった現代において、社長は未だに実際の服を買っているらしい。

「まずい、本物のスーツを着てくるのを忘れた。」
既に時計は会議10分前の9:20分を指していた。当然、家に戻って着替える時間はなく、男はトイレでこっそり携帯を操作し、スーツに“着替え”、何食わぬ顔で打合せの会議室へ向かった。

ゴロゴロゴロ。空ではその後の出来事を暗喩するかのように、雷が遠く鳴り響いていた。

「今日はまさか緑スーツを着ている奴はいる訳ないよな。がははは。」
年の割に豊かな髪を7:3に分けた髪を撫でつけながら豪快に笑う社長に対し、会議の出席者は愛想笑いで返した。ただ一人、男を除いては。

男の頭の中は着ている服のことで一杯で、社長の話を聞く余裕がなかった。
「万が一、緑スーツであることが社長にばれたら首かもしれない」
そんな恐怖心から、男は横に座っている同僚の陰に隠れるよう体をずらし、なるべく社長の視界に入らないように体の位置の微調整を続けていた。

社長は話を続ける。
「ライバルのHardbankについてだが、本当にあい」「バリバリバリバリ」
突然の雷鳴が鳴り響くと同時に、会議室が暗くなった。
どうやら、近くに雷が落ちて停電が起きたらしい。

「あれ、携帯も使えないな」
隣に座る同僚が呟いた。雷が近くの電波塔に落ちて、通信障害が起きているらしい。

男は自分の体温が急激に下がるのを感じた。通信障害が起きているという事は、緑スーツも機能していないという事だ。
「やばい、このままでは社長にばれて首になってしまう。」
男はこの混乱に乗じて、瞬時に会議室から抜け出す事を思い付く。出口は向かって左手の社長の座っていた席の後ろだ。無我夢中で走りだした男は何かにぶつかり、尻もちを付いてしまった。

その瞬間、非常電源で電気が復旧し、部屋は明るくなった。
「ああ、もう駄目だ」
そう観念して、ぶつかった先に目をやると、そこには髪の毛一つない頭に7:3に分かれた緑の布切れを乗せ、固まったまま動かない社長の姿があった。

                                                                                                                  (了)

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