シャッターチャンスは逃さない【短編小説】
「はい、笑ってー」
僕は写真が嫌いだ。
「はい、もう1枚撮りまーす」
笑え。
「はーい、オッケーです」
高校生最後のクラスでの集合写真。
天候に恵まれ、雲一つ無い中、喜びの声があちらこちらで聞こえてくる。
「中西くん、ありがとう」
古びたデジタルカメラをクラスメートの女子に渡され、僕は「こちらこそ」と返す。
別に、良かったのに。
『馬鹿じゃねーの。今どき、デジカメで撮る奴なんかいねーよ』
出発前に兄の明から言われた言葉が脳内で再生される。
確かに、殆どの人が携帯電話のカメラ機能で写真を撮っている。
僕も持っているが、デジタルカメラも持っているせいか、使う気になれずポケットに入ったままだ。
別に、デジタルカメラで皆との思い出の写真を撮ろうなんて思っていなかった。
ただ、母が卒業式にはこの父の形見の品だけは持って行ってあげなさいと言って聞かなかった。
その後も、デジタルカメラを珍しがる同級生達が、ここぞとばかりに撮ってと言ってきた。
ピースをする女子達。
先生と一緒に肩を並べる男子達。
どれもこれも、その顔は晴れやかだ。
みんな、笑顔を作っている感じはない。
僕は撮られるのが苦手だった。
いや、苦手になった。
どうしても、今から撮りますよ、と言われるとぎこちない笑顔になってしまう。
いや、笑わなくてもいいのではないか、と思った時もあったが、「硬いねぇ。もっと自然に」と言われる。
自然って何だろう。
ひとしきり写真を撮りおわると、肩を揺すられた。
「お疲れ」
振り返ると、大井 太一が笑っていた。短髪の黒髪、足はスラッと長く、ルックスは抜群。そして爽やかな笑顔。
学校一人気の幼馴染みが声をかけてきた。
「ほら、あそこ」
太一が指さす方向を見ると、母と太一の母が晴れ着姿で楽しそうに談笑していた。
「本当、仲が良いよな」
「小学生の頃からの付き合いだから」
そう言うと「長いなぁ」と感慨深そうに言った。
「なぁ、そのカメラって」
「あ、うん。母さんがどうしてもって」
そっか、と優しく微笑む。本当に、絵になる奴だ。
父は交通事故で亡くなった。
それも、小学生の卒業式の日に。
仕事を早めに切り上げ、急いでこちらに向かっていた時にトラックに引かれた。
信号がない道を横断しようとしたらしい。
父は見るも無惨な姿になっていたが、鞄の中に入ってあったデジタルカメラだけは無事だった。
父はよく日常の何気ない写真を気に入って撮っていた。
「いい、こっちは見なくても」と笑いながら言っていた。
思えば、父が死んでからだ。
カメラに向けられた笑顔がぎこちなくなったのは。
「なぁ、進路決まった?」
「一応、大学に」
そう。本当に一応だった。夢も特にない。
ただ、何か見つけないといけない。
そんな焦りから受けた大学だった。
「そっか。景は頭良かったからな」
そう言われると、少しむず痒い。確かに、勉強だけはそこそこできた。
「太一は、そのままモデルの専門学校に行くの?」
そう聞くと、頬を掻きながら唸る。
「そのつもりなんだけどさ。親も期待してるし」
太一は高校を入学して間もない頃、街でモデルのスカウトをされた。
最初は驚いたが、よくよく考えるとおかしな話ではなかった。何せこのルックスだ。僕の知る限り、こいつの周りにはいつも女性の影があった。
モデルにスカウトされたことを、僕にだけは嬉しそうに自慢してきた。だから、迷いはないと思っていたが。
「迷ってるのか?」
「いや、行くよ。そこは迷ってない。ただ、最近撮られるのに少し抵抗があったんだ」
「それは、致命傷だろ」
確かに、と笑う太一。
「雑誌とかに載る写真はさ、やっぱり完璧な自分が求められるわけよ。いや、違うな。きっと、自分でそうじゃないといけないって思ってるんだ」
完璧な自分。それは、読者目線での事なのだろうか。
「そう思って、鏡の前で何度も笑顔の練習をするんだ。角度とか、ポーズとかとってな」
「大したナルシストだ」
「放っとけ。そんなことをしていると、段々と自分が分からなくなる。その度に思うよ。俺、どうやって笑ってたっけって」
そんな風に自信なさげにいう幼馴染みは初めて見た。こいつでも、こんな風に悩むのか。
そして、そんな悩みを打ち明けてくれたのが少し嬉しかった。
「でもさ、この前お前が撮ってくれた写真をSNSに載せたら大反響だったんだよ。口を馬鹿みたいに開けて、友達と笑っている写真」
「そんな写真撮ったっけ?」
「中学生の修学旅行の時の写真だよ」
そう言われたら覚えがある。
あの時も僕は写真に映るのが嫌で、率先してカメラマンを志望した。
その時、日常の何気ない日々を撮った。
太一のその写真はその時のものだろう。
「それで、少し気が楽になった。こんなありのままを見たいという変わったファンもいる。完璧な自分なんてモノは、きっと自分の中にしかない。自分にとってどっちがいいかは、もう決めてある」
そう言ってはにかむ。その笑顔が単純に羨ましかった。
「きっとさ、お前もいつかは笑える」
「僕は笑ってるよ」
「心から、笑える日が来る。それこそ、自然体で」
幼馴染みは、何でもお見通しだった。
ポケットの中に入っていた携帯電話から音が鳴った。
お互い同時に鳴ったので、きっと同じ内容だ。
確認すると、先ほど撮った写真がクラスメートから送られてきた。
僕のカメラとは別の、携帯で撮った方だろう。
見事にぎこちない。おまけに半目だ。
「ほら、お前のこの顔。よく見ると笑えるだろう」
太一が写真を僕の前にかざして楽しそうに笑う。それを見て、僕も少しだが笑った。
数日後、リビングの机の上に写真が広げてあった。この前のデジタルカメラで撮った卒業式の写真だ。
それを兄と母が見ている。
「なんだよ。景、どこにも映ってないじゃん」
それはそうだ。兄にとっては知らない人の写真ばかりで何も面白くないだろう。
「あれ、これ映ってるじゃん」
そう言って、兄が数ある中から一枚だけ取り出した。
それを母と一緒にのぞき込むと、そこには太一と僕が横顔で楽しそうに笑っている写真だった。
「中々いいじゃん」
「いや、こんなの撮ってないよ」
「お父さんじゃない?」
僕と兄は母の顔を見る。
「ほら、思い入れのある物に魂は宿るっていうじゃない」
「そんなファンタジー」
そう兄は鼻で笑ったが、母の真剣な眼差しを見て「そうだな」と呟いた。
「きっと、父さんのことだ。お前の写真を撮るまでずっと成仏出来なかったんだろう。でも、これできっと大丈夫だ」
母同様、力強い目で僕を見た。
全く。母も、兄も。
僕が気づかないと思っているのだろうか。
ただ、そうか。
僕は兄から写真を受け取った。
こんな風に笑えるのか。
あの日の卒業式。
僕は父に写真を撮って貰う予定だったがそれは叶わなかった。
カメラを向けられると、笑ってはいけない気がした。自分って、自然に笑えているのだろうかと、ずっと思っていた。
でも、今日久しぶりにカメラを通して笑った。その僅かな瞬間をカメラは逃さなかった。
父の腕前は、相も変わらず完璧だった。
#短編小説 #創作
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