翼が無いと分かった僕は地面をひた走る⑧【小説】
階段を降りきった時に、腕を後ろに強く引っ張られた。思わずよろける。腕を力任せに握ってくるそいつを睨むが、同じように睨み返してきた。
「離せよ」
力を緩めない翼に対して語気荒く言うが、それを無視して「やるよ」と答えた。一瞬、それが万引きの事を言っていると分からなかった。
「万引きをやればお前の気持ちが分かるんだろ?やるよ」
「おいおい、冗談言うな。優等生のお前が」
「僕は一度だって自分の事を優等生だなんて思ったことはない!」
廊下に響き渡るその声に思わず後ずさむ。
「決めた。僕は万引きをする」
その目は真剣そのもので、茶化す気にはなれなかった。俺は息を吐き「やめておけ」と静かに言う。自分も頭に血が昇っていた。別に、本気で言ったわけじゃ無い。
「いいや、僕は、決めたことは必ずやる」
力一杯握っている手を緩めない。
そうだ、こいつは、こういう頑固な一面もあった。こうなると、引き下がらない。俺は翼の目をのぞき込む。なんでそんなに他人の事を気にかけれる。そう聞こうと口を開けたが、聞くことは出来なかった。
「今日って・・・。お前に万引きなんて出来るわけないだろ」
「周りの奴もやってるんだろう。なら、僕にだって出来るはずだ」
「そういう問題じゃ無くて」
「だけどお願いがある、万引きのやり方は教えてくれ。どうやるか分からない」
「はぁ?」
何を言ってるんだこいつは。人に万引きをやるなと言っておいて、自分がやると言いだし、更にそのやり方をさっきまで止めていたクラスメートに聞いてくる。訳が分からない。だが、呆れると同時に、少し懐かしさも込み上げてきた。
翼は小学生の頃から人望があり、運動も勉強も出来るスター性を持った奴だった。そんなこいつに俺が唯一勝てるのがサッカーだった。何度か勝負を挑んできたが、一度だって負けたことはない。こいつは俺に負けたのが悔しくて、似つかわしくない闘争心を隠そうともしなかった。ある日、俺に「サッカーが上手くなる方法を教えてくれ」と聞いてきた。プライドが無いのか、とあの時も思ったが。
あの時と一緒だ。納得するまで諦めない。目的の為なら手段を選ばない翼の事が、羨ましくて、憧れていた。
「・・・分かった。だけど、やるなら明日だ。平日はリスクが高い」
「リスク?」
「この辺りのスーパーには高校生がうようよいるんだよ。やるなら休日の方がいい」
「良く分からないけれど、それじゃあ明日にしよう」
本気でやるつもりか。翼が何か言いかけたときに授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
「やばい。もうこんな時間か。ほら、行こう」
「どこに」
「教室に決まってるだろう」
手を引いてくる。
「行かねーって。石下には許可を貰ってるんだよ」
「何の」
「なんのって・・・もういい。頭が痛いんだよ」
「そうだったのか。それならお大事に。明日、お前の家に行ったらいいか?」
「あぁ、そっちの方がいい。時間帯は昼で」
「持ち物は?」
「持ち物って・・・」
遊びに行くんじゃないだぞ。
「鞄。目立たないやつを持ってきたらいい」
分かった、と頷いて翼は教室に戻っていった。休日のあの人だかりをみたら、流石のあいつも萎縮して辞めるだろう。
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