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ジョジョ風に言えば最強スタンドをお持ちの俊英指揮者、クラウス・マケラとブライアン・イーノによる京都の陰翳礼賛

 人生にそうそう現れない「素晴らしい音楽日」がこの週末土曜日。クラウス・マケラ指揮の都響@サントリーホールでショスタコーヴィチ交響曲第7番ハ長調「レニングラード」→京都京都中央信用金庫 旧厚生センターで開催中の<BRIAN ENO AMBIENT KYOTO>のインスタレーション。鯖江の出張に合わせて(今、現地のメーカーさんととんでもなくカッコいい老眼鏡をつくっているのです。乞うご期待!!!!)、京都に前乗りして、やっと夜半帰宅なり。

 さて、クラウス・マケラ。若干26歳!!! ハーディングの後を継いでバリ管の主席指揮者となり、2027年にはコンセルトヘボウの首席指揮者就任がすでに決定しているという噂の才能ですが、こういう高スペックほど、その「良いに決まってる」というバイアスをハナから疑ってかかる性質(たち)のワタクシですが、その構えは見事に裏切られ、とんでもなく素晴らしい演奏が立ち現れたのでした。
 この指揮者の中には作曲家と結託したショスタコ×マケラの「レニングラード」というのが、確信的にあるわけです。「そんなの、どの指揮者だってソレをやってるわけでしょ?!」という話なのですが、その“装備がケタ違いにデカくて強い感じ。
 あっ、もっと良い表現があった。『ジョジョの奇妙な冒険』の主人公たちが「所有する」スタンド、という比喩がわかりやすい(読んでない人はすぐ読むべし)。これがマケラの場合、スタープラチナか、ゴールド・E・レクイエム級にケタ違いに強くて、オケの演奏者たちのスタンドが全員、マケラの最強「レニングラードスタンド」に合体せざるを得ない、というね!!!(わかったかな?)
 まあ、とにかく近年こんなに指揮者の動きとサインに集中したのも久しぶり。左手、ちょっと膝を曲げて良く動く足、この曲の心棒でもある低音部、コントラバスとチェロには身体の向きをそちらに正対する。弦のフレーズを定番的に振っているところにちょっと裏拍のような指立てを入れる細かさなどなど。
 第2楽章のメロディアスな木管部分のとこなんか、もう手なんか動かさないんだよ! 身体をちょっと前傾するだけの動きでフレージングの妙を伝えているというまるで、古武道もしくは詠春拳状態。この音楽と同化した身体は、ちょっと、ベルリンで観たキリル・ペトレンコを思い出しましたよ。とにかく、曲中目が離せなかった。
 CMでお茶の間レベルで有名になった「ちーちんぷいぷい(ドーレード・ソ・ソ)」の重層的な繰り返しで有名な第1楽章。このどう聴いてもスットコドッコイなメロに関しては(だからCM採用!)、ワタクシいつも、ショスタコお得意の「黒い哄笑」モードを楽しんでいたわけですが、今回のミケラ指揮ではそういった諧謔味方向ではなく、肯定的な真善美が堂々と立ち現れるのには感動した。この交響曲に関しては、「ナチスドイツの脅威にさらされたレニングラードの市民に向けたエール」という意の作曲家のラジオ発言が残っていますが、そこんとこが初めて共感できましたよ。
 「指揮者の仕事はリハの伝達の段階ですでにほとんど終わっている」という通説がありますが、それ以上にいやそれを踏まえた上で、本番で音楽を「身体プラス気迫化」して伝えることができるかということができるかという「現場のオーラ」がこの人は凄い。海外のオケのメンバーとして名だたる指揮者と同じ舞台に乗ったプレイヤーの多くは「振り方の美しさの善し悪し」を必ず述べるのですが、その意味が非常によく理解できる。いや、この人、心して追っかけますわ。ていいますか、絶対に爆クラにゲストで出てほしい。

 そんなこんなで、このアフターで、プライアン・イーノ。PRコメントを書かせていただいてたこともあって、必見必聴のインスタレーションでしたが、予想以上の仕上がり。アンビエントサウンド+暗がりはわりとお手軽に人をしてハマらせることができるので、評価には慎重にならざるを得ないのですが、さすがにイーノは音像の格が違う。イーノ版京都の陰影礼賛、ってね。
 いや、指揮者のマケラと同様に、「音」がどうしたら心の鍵を開けることができるかの秘訣を知っているのです。到着が夜半だったので、人も少なく、「The Ship」をスポンジ付きの台座をひとり占拠寝して40分ほど堪能。
 面白いのが、サウンドの中に、ディストーションギターを聴かせた、ガレージ系のダークロックンロールがインサートされるところ。、今トークショーのため舌戦準備中の、ヴィム・ヴェンダース(本日19時から、代官山・晴れたら豆まいてにて、オノセイゲン氏と語っております。是非。)やデビッド・リンチもそのセンスがあるのは世代ってヤツですかね。アメリカ50’sのスティグマ。
 ライトボックスを使った光のインスタレーションは、ピル・ヴィオラなどもお得意な時間経過とともに色や形が知らぬ間に変化していく、というもの。要するに「全ては変化し、生々流転する」という仏教の教えですね。


 会場の隣のビオワイン+京野菜の今どきの店(結構良かった)でご飯を食べた後に、河原町のバー『せくめと』。ななんと、カウンターの中にのえみが働いているではないか?! 店主のまゆみちゅん後から、バーレスクダンサーのピッピも加わって、結局2時すぎまでブチかましてしまった(泣)。いや、しかし店は日曜日だというのに千客万来。私たち以外はツウなファッショナブル野郎ばかりで、すでに東京では無くなった飲みカルチャーが健在なのにびっくり。
 あっ、ちなみにトップ画像はお翌日の仕事終わりのディナー。福井の名店、「泰平」。黒龍の凄いヤツに酔ったぜ。


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