見出し画像

運動神経が悪いことで拗らせた自我

私はなぜか周りから


運動ができそうとか
足が速そうとか
球技めっちゃうまそうとか

そんなイメージを持たれる。


そして夫に出会うまでは
特に否定も肯定もせず
ずっと周りにそう思わせていた。


そう、私はめちゃんこ運動神経が悪い。


アメトークの運動神経悪い芸人を
同情はしても笑える立場ではない。
なんなら、こいつ今作ってやがるな。と
嘘の運動神経悪いを見抜けるほど
運動神経が悪いとどんな動きになるかを
熟知している。


できないことには手を出さない。
うまくないことは最初からやらない。
を徹底して運動神経が悪いことを
誰にも悟られずに生きてきたのに。


何でもできそうなせしぼんちゃんで
通ってたのに
夫はものの数分で私の運動神経の悪さを見破った。



せしぼん、運動できんやろ。


なっ!!!(絶句)


できるしっ!!!(必死)


ふーん(興味なさげ)


いや、今思うと、
何で素直にできないと言えなかったんだろう。
どうして運動ができないと
カミングアウトできなかったんだろう。


夫は別に私が運動ができないことを
どうこう言ったのではなく
ただそうなんだね、という事実を
確認していただけなのに


そう、私は
運動ができないことをそれまで
ひどく恥じていたし
それが人としての出来のようなものと
リンクさせていたため
勝手に「ダメなやつ」と思われたと思い込んでしまった。


なぜそんなカッコ悪いことになってしまったんだろう・・・



思い返せば
同じ歳の従兄弟がいたのだが
何かとつけて
足の速さや縄跳びの出来で比べられたのが
きっかけだったと思う。



一輪車に乗れないだの
竹馬ができないだの
ローラースケートができないだの(光GENJI世代)
リレーの選手じゃないだの


親戚中がそうやって幼少期から
運動というカテゴリーで何かと比較するので
ほんとに屈辱だった。


母も父も運動ができたらしく
何かにつけ「母はリレーの選手だった」と
威張るし、何であんたは足が遅いのか?と
どんなに考えても出てこない答えを求められて
子供の私は殻に閉じこもった。


どんなに頑張っても
足が速くなれない。
努力することもやめた。


今でも覚えていることがある。


小学校1年生の時の運動会の時
初めてのかけっこで
一生懸命走ったら派手にこけた。


こけたときに、顔からこけたので
顔中に白線に使われてた石灰がついた。
恥ずかしすぎてその場から消えたかったけど
運動場の真ん中で
いきなり忍者のように消えるのは
いささか無理がある。


すぐに起き上がって
周りに紛れてゴールしようと思ったけど
もうみんなはうんと前にいて
一人だけ取り残されみんなが走り終わった後に
注目の的となりながら
てくてくとゴールまで走った。


謎の拍手が送られた。
恥ずかしかった。


恥ずかしくて仕方がなくて忘れたかったのに
しばらく私の周囲では
「せしぼんこけるの巻」が忘れてもらえなかった。


忘れてもらえなかった理由は
また嘘みたいな話だけど
運動会の撮影で学校から雇われた
街の写真館のおじさんが
その姿をシャッターチャンスとばかりに収めて
後日写真館の目立つところに飾っていたからだった。



無駄にドアップの石灰まみれの写真


せしぼんちゃん、見たよ!

せしぼんちゃん頑張ったね!


運動会が終わって数日
よくわからない声かけをされ
無かったことにしたかったくらい
子供の私にしては
衝撃すぎる事件だったのに、


まさかそんな写真がこの世に存在して
記録として残っているなんて
しかもいろんな人が目にする
写真館の表に飾られてるなんて
思っても見なかったため
何を見たのか?何を頑張ったのか?がまるでわからなかった。


母がその噂を聞きつけ
絶対に買ってこなくていいものを
とうとう買ってきてしまった。


よく撮れとるね〜!と
私の汚点を私の許可なく家に持ち帰ってきては
父と母と妹と
写真を愛でていた。

そんなこんなで
様々なことがきっかけで
人より運動ができないということが
徐々に明るみになり
苦肉の策で私はそれを必死で隠すことにした。


今思えば、悪しき習慣の中で
純真無垢な子供が育ったのだ。
そりゃ汚点だと思い込んでも仕方がない。


そして汚点は隠したい。


運動なんてできなくたっていいのよ!
なんていう大人は一人もいなかったし。


バスケをすればドリブルができない。
ペチペチいってボールが跳ねないし
遠くに投げれない。


バレーをすれば
突き指をするし
ジャンプも思うようにできない。


跳び箱も飛べないし
足も遅い。


大人になった今でも
ボールを投げる姿を見せれば
例外なく大爆笑をさらう。
youtubeにアップしたら数万回再生絶対行くよ!
元気出るもん。と言われたりした。
ちょっとその気になったけど。


とは言え、できることもある。
アスリートとは言わないけれど

泳げるし、ボールをバットで打ったり
卓球やバドミントンはまぁまぁできた。
自転車にも乗れるし
スノーボードも上から下まではこけずにスイスイ
滑れる。筋肉が割とついてるので
体幹トレーニングなんかも難なくこなせる。

ゴルフもベストスコアは82だから(平均は90前後)
大抵のところでは上手扱いをされる。

そう、できるところだけを見せて
私はできないところをひた隠しにした。


そしたら何だか何でもできそうな人
とうまく繕うことに成功した。


なのに、のちに夫となる人に
そっこーでバレた。


今でこそ
「運動できねっす。足遅いっす。」
ってすぐカミングアウトするけど
それまでは


運動ができないこと=
人として劣っている


運動ができないこと=
人として欠点がある


と思い込んでしまった私は
自分の欠点をひた隠しにし、

それどころか
人の欠点や、劣っているところを
いち早く見つける嫌な人間に育ってしまった。


欠点や劣っているところは
あってはならない。
恥ずべきことだ。
と信じて疑わなかったからだろうと思う。


人間として器がおちょこの後ろくらいしか
育ってなかったのだろう。
たかが運動で。


私は夏休みの工作を作れば大体入賞したし
作文を書けば大体入賞した。

クリエイティブな才能が
幼少期からも爆裂していたのに
そこを伸ばさずに
欠点ばかりを隠し
人の欠点ばかり探す嫌な人間を
20代後半まで生きてしまった。


そう、もしこれを読んでいる目の前のあなたも
欠点や汚点や劣ってるところがあったとしても
それは、単純にその人たちの価値でしかない。
誰かが、世の中が作り上げた幻想に過ぎない。


そんな他人の価値観や基準で生きなくとも、
自分の持ってる素敵なところに
目を向けて生きていけば良い。


世の中は広い。



私がただボールを投げただけで
ひどく落ち込んだ人が大爆笑をして
すごく元気になった!と言ってくることだってある。


私がジャンプをすると
ニコニコしながら
微笑ましいと言ってくる人もいる。


あんなにコンプレックスだったことも
今じゃ、人の笑顔の元となり、
人との距離を縮めるつかみとなりつつある私の運動神経。


生きてるといろんなことがあります。
そしてきっとこれからも
思いもよらない幸せや喜びが生まれる。


そのうち私のボール投げは
どこかで披露しようと思う。


数万再生いくかな。。。



#私のスポーツ遍歴

この記事が参加している募集

私のスポーツ遍歴

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?