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“こし”vs.“つぶ”の結末は 『ずっしり、あんこ』 #252

「“こしあん”なんて、のぺーっとしてかわいくないやん! “つぶあん”のぶちゃかわ感は大人にしかわからへんねん!」

むかーし、とある劇団のワークショップに行ったことがありました。「好きなもの」についてペアを組んで語り合う、というワークをやったのですが。

参加者は30人ほど。それだけ人数がいれば、なんとか一致させられるもんなんですよね、たぶん。この時は「カンフー映画」とか、「ミスチル」とかでどんどんペアができていきました。なのに、わたしの「好きなもの」と同じものを挙げた人がいないという事態に。

やっちまったかー。

だいたいこういうお題が挙がるとひとり浮いてしまうので、できるだけありきたりのものを選んだつもりだったのに。しかたがないので「こしあんが好き」という方とペアを組んでもらったのですが、わたしが好きなのは「つぶあん」なんです。

「こしあん」のよさを語る相手に、真っ向勝負でぶつかってしまう……という演出家の意図とは正反対のことをやってしまいました。おまけに「つぶあんのぶちゃかわ感」ってよく分からないとつっこまれる始末。

でも、 つぶあんのでこぼこした姿って、ぶちゃかわな感じがしませんか?

この感覚、劇作家の宮沢章夫さんなら分かってもらえるかもしれないと、『ずっしり、あんこ』を読んでいて思いました。愛してやまない「あんこ」に関するエッセイを集めたおいしい文藝シリーズの一冊です。

芥川龍之介が、相変わらずじっとりと「しるこ」について語っているかと思えば、池波正太郎が神田にある甘味処「竹むら」で旧友と会った話をおもしろおかしく紹介している。幸田文、手塚治虫、内田百閒といった作家もいれば、吉本隆明や外山滋比古ら学者もいます。もちろん、「あんこ」好きとして知られる糸井重里さんのお名前も。

書かれた時代が違うため、当時の時代風俗も感じられるエッセイ集です。

この中で宮沢章夫さんが書いているのが「あんこ」をめぐる定型の問いについて。

「つぶあん」か「こしあん」かという二択だ。どっちが好きなのかと人に問う。
(中略)
どちらを好むかによって人を分類しようと人はする。「つぶあん好きは女にだらしない」とか、「こしあん好きは神経が細やか」といったように。そんなに簡単に人を分類していいのか?

と疑問を投げかけたのに、宮沢さんは決然として言うんです。

分類すべきである。そこに深い溝があるのだ。

コクコクコクコク!!!(うなずく音) 

ワークショップでわたしが言い放った、

「こしあんなんて、のぺーっとしてかわいくないやん! つぶあんのぶちゃかわ感は大人にしかわからへんねん!」

このセリフは、あの時、誰にも理解してもらえませんでした。でも、いつか、きっと。語り合えると信じてよかった。いや、まだお会いしてないですけどね。

39人にもおよぶ方たちによる、「あんこ」エッセイのアンソロジー。こんなにぜいたくな本があっていいのだろうか。

お母さんの手作りおはぎの思い出、朝5時から有名店に並んだ記録など、わたし自身も「あんこ」片手に読みふけった本のなかで、少し異色だったのがジャーナリストの増田れい子さんが書いた「川ぞいの町にて」です。

川ぞいの町にある今川焼きのお店がお話の舞台。店先にいるおばあさんは戦後、生きていくために今川焼きのお店を始めたのですが、実は死んだ子どもたちが食べたいとせがんでも買ってあげられなかった、という過去があったのです。

息子たちに食べさせてやれなかった今川焼き。商いをしつつ、おばあさんは一度も口に入れなかったとのこと。

ちょっとほろ苦い「あんこ」も味わえますよ。


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