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“よそ者”に向けられる視線がイタい 映画「コクソン/哭声」 #601

「これこそが真相だ」

黒澤明監督の映画「羅生門」で、“自分が見た”情景を説明した樵は、そう主張します。「本当らしく聞こえるが、それだってあてにはならない」と反論されてしまうのですが、自分が見ている世界こそ“真実”だと考えてしまいがちですよね。

映画も、原作である芥川龍之介の短編小説『藪の中』も、真相は“藪の中”です。

結局、目に見えるものに“真実”なんてないのかもしれない。

ナ・ホンジン監督が6年ぶりにメガホンを取った「コクソン/哭声」は、そんな思いを強くする映画でした。國村隼が“よそ者”の男を演じ、第37回青龍映画賞で、外国人俳優として初となる助演男優賞と人気スター賞をダブル受賞しています。

<あらすじ>
「谷城(コクソン)」村で、村人が家族を虐殺する事件が発生する。山に住み着いた得体の知れない日本人の男に対して、疑いの目が向けられるように。警官ジョングは、自分の娘に殺人犯たちと同じ湿疹があることに気付き、男を問い詰めるが……。

ナ・ホンジン監督の前作「哀しき獣」で演技力を見込まれたクァク・ドウォンが、この映画で主役に抜擢されています。

ただ、本人はモーレツに悩んで、先輩に電話して相談までしたのだそう。理由は。

ナ・ホンジン監督は、“ワガママ小僧”として知られているから!

完璧主義者で、芸術家タイプなのでしょうね。「コクソン/哭声」では、編集作業になんと1年8か月もかけたそうです。「哀しき獣」のとき、公開日が決まっていたために、編集に時間をかけられず、本人が納得する形ができなかったらしい。だから今回は心ゆくまで練り上げて、満を持して公開することにしたようです。

どんだけ!!!

そう思ってしまうけれど、いや、映画を観ると、監督の意図が何層にも張り巡らされていて、「真相は“藪の中”」という気持ちになってしまうのです。

映画の冒頭で「ルカの福音書24章の39節」が引用され、クリスチャンの村人が対決の場に出たり、“よそ者”の男の手に聖痕があったりと、キリスト教の影響を大きく感じるのですが。

いま、このタイミングでこの映画を観ると、自分の「アンコンシャス・バイアス」を突きつけられるようにも感じたのでした。

「アンコンシャス・バイアス」とは、無意識での、ものの見方やとらえ方の歪みや偏りのことです。“よそ者”への疑念が勝手に膨れ上がっていくさまは、現在を映しているように思うんですよね。“よそ者”に向けられる視線がイタいのです。

韓国の土着のシャーマニズム方式でお祓い(ファン・ジョンミンが実行!)が行われたり。

コクソン2-KMDb

幽霊なのか、人間なのか、実体が不明な女がお告げを告げたり(チョン・ウヒはこういう役にぴったり)。

コクソン3-KMDb

登場したとたんに「怪しい」としか言えない輩たちに、クァク・ドウォン演じるビビりの警官ジョングは翻弄されていきます。もちろん、観ているわたしも。

幾通りにも取れるラストについて、2016年には、ナ監督が演出意図を語るトークイベントが開催されたようです(動画は全編韓国語で字幕なしなの。すいません…)。

この動画の中で監督は、「お祓い」の謎についても語っています。

司会:イルグァン(ファン・ジョンミンが演じた悪霊祓い)は、誰に「殺」を飛ばしたんですか?
ナ・ホンジン:キャラクターをどう捉えるかによって、方向は変わる。わざとどちらにも捉えられるように編集しました

mjsk!!!

タイトルの「コクソン/哭声」は、村の名前である「谷城」と、「泣き叫ぶ」という意味をかけ合わせて付けたそう。

観ると、泣き叫びます。人間の愚かさと、しょうもなさに。

「自分の思い込みを疑え」

そう言われているような気がしてなりません。

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