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子どもが心配

 長男が、独り立ちしました。平日は気にしていませんが、休日の朝に時間があると、ふと考えてしまいます。食事・睡眠・運動と口うるさく躾けてきましたが、一人で大丈夫だろうか、どうしているだろうかと心配になります。
 先日、実家へ戻ると父親👴が、
「〇〇がいないと寂しいだろう。」
と尋ねました。
「ご飯🍚の量を間違ってしまう。副菜も多めに作ってしまう。」
と告げると、目を細めて頷いていました。おそらく私や弟が家を出た時のことを思い出しているのでしょう。最近物忘れが進んできた母👵も、私が独り立ちした遠い日には、涙💧をこぼしていたそうです。今は、母の認知機能や身体機能の衰えが気になります。


認知機能~コグトレ

『ボケたくなければ歩きなさい』島田裕之さん監修の本を読みました。その中で、国立長寿医療研究センター予防老年学研究部が開発した
「コグニサイズ」
という運動法を知りました。

「Cognitionコグニション=認知」と「Exerciseエクササイズ=運動」をかけ合わせた造語です。頭を使う認知課題と体を使う運動課題を同時に行い、脳と体に適度な負荷を与えて認知機能を向上させるための運動法です。例えば、歩きながら足し算や引き算をする。ステップ運動をしながら、しりとりをするなどです。
ボケたくなければ歩きなさい


 母👵は、畑仕事や家事などで、毎日よく歩いています。移動手段は徒歩🚶‍♀️しかないからです。家と畑を何度も往復し、長い時間外で作業をしています。

 海馬の萎縮を回復させ、脳🧠のボリュームを増やすのは有酸素運動だそうですが、運動だけでは記憶力の回復は難しいようです。

 母👵は、処方された認知症の薬を飲み忘れたり、飲むことを拒んだりします。
 そんな母も、孫の独り立ちを喜んでくれていました。
「子どものことは心配だろうけど、親が案じるほどではない。大丈夫だ。」
と言いました。

 次の日、書店で『子どもが心配』という養老孟司さんの新書📖を手に取りました。
「人として大事な三つの力」
という副題がついています。新社会人の長男は、人として大事な力を身につけているのか、昔の子どもである自分自身はどうなのか気になりました。


 それにしても、人として大事な三つとは何だろう?
「自分を大事にする・人との繋がり・自分が決める」?
いろいろ思いつきますが、端的にいうと
「自分、相手、時間(命)」?
だろうかと考えました。

 本を開くと、
「認知機能・共感する力・自分の頭で考える人になる」
の三つを挙げておられました。

第一章では、
『ケーキの切れない非行少年たち』の著者、児童精神科医の宮口幸治さんが子どもたちをサポートする認知機能に特化したトレーニング、「コグトレ」について紹介されていました。


「Cognitiveコグニティブ=認知」と「Trainingトレーニング」の頭文字をとったものです。目的別に次の3つのトレーニングがあり、
① 認知機能強化トレーニング(学習面) 
② 認知ソーシャルトレーニング(社会面) 
③ 認知作業トレーニング(身体面) 
子どもたちに必要な3つの面を支援するための包括的プログラムです。
宮口幸治さん


スマホに奪われる子どもの体験

 長男が小学生の頃は、ガラケー隆盛期でした。主に大人が使用し、子どもに携帯電話を持たせている人は少数でした。
 全国的に子どもたちは、テレビゲームなどをしていましたが、近所の子どもは遊戯王のカードゲームで遊んでいました。異学年の子どもが何人も家の軒先に集まってゲームに興じていました。それに飽きると、鬼ごっこやかくれんぼなどが始まります。離れていても、子どもの歓声が
「わーっ!」
と聞こえたものです。それが、最近は小学生🧒👦の姿は見るのですが、鬼ごっこなどで走る姿や、
「わーっ!きゃー!」
といった子どものはしゃぎ声が聞こえてきません。


 長男が高校生になるころにはガラケー携帯は、スマホにとって代わりました。親も子も、小さな画面をじっと見ながら、互いに目を合わせることが、少なくなりました😢

 子どもは目の前のやらなくてはならないこと(勉強)から逃げるようにスマホに時間を費やしました。ネット上に、わんさかあふれている情報の洪水に溺れるのではなく、勉強することで自分の頭の中を整理し、考える力をつけなさいと口が酸っぱくなるほど言い続けました。


 新書の中で、医学博士の高橋孝雄さんが、

ネットがもたらした三つの弊害は
①無言化
②孤立化
③実体験の減少
『子どもが心配』養老孟司


と述べておられました。とくに③は、特に危惧すべき現象として詳しく記載されています。

 長男は、豊かな自然環境の中で生活していた時期がありました。五感をフルに活用して、エネルギッシュに過ごしてきました。カブトムシやスズムシを飼育したり、さなぎをふ化させたりして成長の様子を観察しました。

 キャンプでテントを立て、火を起こし、畑で収穫したトウモロコシ🌽やさつまいも🍠を焼いて食べました。大根を漬物にして食べた、たくあんの味や歯応えも忘れられません。すべてが貴重な体験でした。たとえ短くとも、体験できたことは宝だと思っています。

自分の頭で考える人になる

 「何事も経験!やってみてはじめて自分の力になる」をモットーにして来ました。しかし、子どもの前に転がる小石を取り除いて来たのではないかと反省することがありました。

子どもは木に登りながら落ち方も学ぶ

 危ないのは、子どもには登れない木の高い枝のところに、大人がひょいとのっけてあげることです。町の公園などでよく見かけませんか?私などは見ていてドキドキします。
 なぜなら、それは行き過ぎた手助けだからです。子どもから、自分に登れる木かどうかを判断する機会を奪うことになりかねないし、木に登るとはどういうことかを経験しないために、落ちる危険も増すのです。
『子どもが心配』養老孟司

 スマホを与え、体験を奪い、体を使って考える機会もいつの間にか奪ってしまうことになる、親の行き過ぎた手助け。長男が独り立ちするにあたって多くの手助けをしました。それは、行き過ぎた手助けだったのかもしれないと猛省しました。


幸せを感じるとき

「人が一番幸せを感じるのは、人の役に立つことなんだ」と前出の『ケーキの切れない非行少年たち』の宮口さんが書いておられました。この言葉は今の私自身にも当てはまります。職場では、お客様からの
「ありがとう。」
の一言で、今までの苦労が報われることが多いのです。次もがんばろうと思います。

 物忘れが進んでいる母は、畑で作った野菜をあげたりお菓子を贈ったりすることが好きな人です。何かを渡すことで相手に喜ばれ
「ありがとう。」
と互いに笑顔になることが、うれしいのでしょう。

 私が、仕事の事などで相談すると、頷いて聞いてくれます。
(聞いてもすぐに忘れてしまうのですが)
すでに答えを決めていても、あえて母に頼ると、真剣な顔つきで答えてくれます。時に叱られることもありますが、娘の力になってやろうという意思を感じます。物忘れがあっても、子どもを心配する親です。

 そんな時に、母の強く深い愛情を感じるのです。娘のために役に立つことで、幸せを感じているだろう母を見て、私もじんわりと、幸せを感じています☺️


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