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言葉の葬式をした

伝えられなかった。
って思うことが多い、なんか最近。

6月22日、午前6時10分。
私は茅ヶ崎のサザンビーチにいた。

ノリで「なんか海行きたくね!?」みたいなノリでドライブした。
正確に言うと、車運転してもらった。
私は免許ないからね。

車に乗ってる最中に雨が降り出してきて、
「うわっまじかよー」とかあーだこーだ言いながら海に到着。
車の中では「香水」が流れてる。
ドールチェ アーンド ガッバアアアナアア〜〜〜
みんな最近これ聴いてるよな。

寒いし雨だしで、全然人いなかった。
サーフィンしてるおじさん1人と、
釣りをしてるおじさん1人と、
犬の散歩するお姉さんが1人、
それとテンションぶっ壊れた大学生4人。

着くまでの間、窓にななめに跡を残す雨を見ながら、ずっと言葉のことを考えてた。
言いたくても言えないことって日常生活の中でたくさんあって、たとえば機嫌悪そうに愚痴をこぼす友達に相手のためになるとは思ってても正論言うのはあとでにしようとか、告白できずに失恋しちゃったとか、もっと話したいと思ってた人が突然亡くなってしまったり、遠くへいっちゃったりとか、数えだしたらそんなのキリがない。

そうして不完全燃焼のまま、火を消しきれずに煙があがるたばこみたいな、咲かずに枯れてしまったお花みたいになった、そういう言葉は一体どこにいくんだろうって思ってた。

自分の中に吸収されるのか?と言われたら、言語化してる時点である程度自分から離れて行ってると思うし、かと言って今から伝えるかといわれたらそうじゃない。言葉の賞味期限はすごくすごく短い。
どこか大気中にふわふわ漂ってるのかな?そしたらこの世界は、みんなの言葉で飽和して、息苦しくなってしまう。
じゃあだんだんと言葉の灯火が消えていくのか?でもそこに火があった事実が消えるわけではない、弱くなっただけだ。

ほんと、どこにいくんだよ。
てか、どこに向ければいいんだよ。
いつまでたっても自分だけどこにもいけないままだ。
言葉に引っ張られたままだ。

波打ち際で波とおいかけっこしたりして、
雨が少し強くなってきて、みんな車に引き返し始めた。

私は浜辺で見つけた木の棒で砂浜に絵とか文字とか書いたりしてた。
なんとなくみんながちょっとずつ戻ってるのはわかってたけど、私はまだ立てなかった。
自分の問いから今離れちゃいけない気がして、立てなかった。

砂浜に文字を書いた。
前にある人に伝えたかった言葉を書いた。
湘南の海の砂は黒い。
木の棒を動かして砂浜をなぞると砂が削れて、その周りの砂が盛り上がってゆるやかな線と弧を描く。
線と線がつながって文字になる。
文字が並んで言葉になる。
そうして言葉が意味を持ち始める。
言葉が私から離れていく。
言葉が独り立ちしていく。

独り立ちした言葉のそばまで波がやってくる。
4.5回波が来たけど、私が書いた所までは届かなかった。
波の引きが強くなって、その数秒後、波が私の書いた言葉を呑み込んで行った。
言葉はあとかたもなく綺麗に消えていた。
まっさらな黒い砂浜だけが残った。

言葉が旅立って行った。
一回じゃ流れないところに書いた私は往生際が悪いと思う。
けど、あとかたもなく流れて行った言葉を見て安心した自分もいた。
どうしても言いたかったけどもう言えなかった言葉。
それが波に呑まれて、海に溶け込んで行った。
言葉とおわかれをした。
言葉を看取った。

私は言葉の葬式をしたのだ。

いつか私の言葉を呑み込んだ海が、雲になって、雨を降らせてくれますように。それがいつか伝えたかったあの人に雨となって届いて、あの人の世界を少しでも潤しますように。いつかがいつかはわからないけど、もしかしたら骨になってるかもしれないけど 、いつか巡り巡って言葉がやさしく届きますように。

いつかそうして雨となって言葉が伝わりますように。

なんて書いたかは自分だけの秘密にしておこう。
そう決めて、立ち上がった。
振り返ると3人はもうずっと遠くにいた。
波が私の後ろ髪を引っ張ることはなかった。







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