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「生きるのをやめよう」とは思わなくなる

平野啓一郎著「私とは何か」読みました。

私はまだこの方の小説を読んだことがありませんが、最初に言いたいのは、「これはとてもすばらしいメッセージである」と言うことです。

ひとつではない。限定することが不毛

よく「本当の私ってなんだろ」とよく思うでしょうが、平野氏はそのような限定をするのではなく、「分人」という考え方を取り上げます。

いろいろな場面に応じた「私」が登場するが、それはどれも「私」である、と言うこと。「私」を、場に応じて使い分けることが、「分人」化であり、その構成比率を考えてみようと。

学園もののドラマでは、主役となる「いい先生」は、生徒一人一人に対して柔軟に分人化する、という一例をあげています。そして、

「人格は一つしかない」、「本当の自分はただ一つ」という考え方は、人に不毛な苦しみを強いるものである。
私たちは、日常生活の中で、複数の分人を生きているからこそ、精神のバランスを保っている。会社での分人が不調を来しても、家族との分人が快調であるなら、ストレスは軽減される。

今も私は、Aという状況にいる時の自分にはホトホト嫌気がさし、Bのときは充実感があります。なので「分人」という考え方はとても腑におちます。

消えたかった、学校に通っていたとき

学校に通っていた時期、自分のことが本当に嫌いで、この世から消えてしまいたいと何度も思っていました。

ですが、この著書を読んだ後にそのことをもう一度考えてみると、消したかったのは「あの学校に通っていたときの自分」です。たとえば家でひとりで学習していたり海外のラジオを聞いていたりするときにはそんな感情はない。

ということは、「あの学校に通う」が終われば、消したかった自分そのものも消える。

そういう考え方にシフトできていれば、当時の苦しみも少しは軽くなっていたのかもしれません。

ただ、学生にとっては「学校生活」は、人生における相当の比重を占めることは確かなので、そこをどう処理していくのか。そこは難しい課題かもしれません。

​最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。