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冒険の書(孫泰蔵)

「教育はなんのためにあるのか」「学校の存在する意義はどこにあるのか」

というワンテーマで300ページをゆうに超える分厚い本になっています。哲学書です。


「うん!」と思ったところ

少しずつでも自分の頭で考え続ければ、すなわち「思考停止」をやめれば、世界はガラリと変わるはず。常識に縛られ、不安にかられ、自分の本当の気持ちを抑え込んで生きるのをやめさえすれば、本当はみんな楽しく生きていけるはずです。

39ページ

学校の授業、というのは「受け取り型」が大半なので、自分で思考する事は確かにやらなくてもいい世界かもしれません。

ルールとは、先人たちがいろいろと痛い目にあった経験をふまえ、後につづく人が失敗をくり返さないよう、「転ばぬ先の杖」としてつくられた教えです。そう聞くと良さそうに思えるルールですが、実際には人々の思考を停止させ、人間の成長にとって大事な失敗をさせないようにし、理由もなく人々を恐れさせる点ですごく罪深いと思います。

88ページ

こういう観点はなかったです。

つくるべきは、ルールではなく、「試行錯誤できて、失敗から学べる環境」。

89ページ

同意します。

「社会にはいろいろな個性を持ったいろいろな人がいる」ということを前提に社会のすべてをつくり直す

と書かれています。もういろいろな事が行き詰まっている現代では、これぐらい大胆な施策が必要なのかもしれません。



そして著者が言いたいことは、「ただ楽しい遊びをとことん追究すればいいじゃない」なのですが、それを実現することがいかに難しい現実か、を思い知らされます。

論理的思考の枠組みにいるのではなく、問いを立て、おもしろがること

いたってシンプルな考えです。これを純粋にやればいいだけなのかもしれません。なのに、なぜにこの国はここまで「枠組み」がガッチリ固められているのか。

何のために生きるのか

人は何のために生きるのか。難しい問いです。
「社会の役に立つため」とすれば、その役目を終えた人は「生きる意味なし」となってしまう。かといって「いるだけで意味がある」という本もあるのですが、どうもそれでは私は釈然としない思いもありました。

本書では、内村鑑三氏の言葉が紹介されています。人間が後世に遺すことができる最大遺物として、

「勇ましい高尚なる生涯」

をあげています。

これは腑に落ちます。

「勇ましい」はなくとも、私の両親はたしかに「高尚なる生涯」を過ごしました。
母親は、毎日丹念に、全く不平をこぼさず家事をこなしていた姿がまさに「高尚なる」ものでした。父親も、定時に家を出て夜遅くに帰宅するサラリーマン生活を定年まで過ごし、その後も穏やかに家で過ごし「高尚なる」姿を見せました。

何か大きな歴史的なものを残さずとも、「高尚なる生涯」は目指すことができます。

そんな姿を、私も子どもに見せたいです。


#探究学習がすき

至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。