見出し画像

私は子どもの「応援者」でありたい

親は子どもの「応援者」でありたいと思っています。

なぜそれをやりたい? と思う事もありますが、何かをやりたいという「意志がある事」を評価してあげたいと思います。

「私は反対です」と、子どものいる前で言う必要はあるのでしょうか。
何をするにしても子どもに対しても私に対しても否定的な言葉しか言わないと、子どもはその人の言う事を聞かなくなりつつあります。

「工業高へ進学したい」と言ったら「工場で働くなんて危険だ」と言いました。
「水泳部に入りたい」と言ったら「毎日部活動なんて大変だ。そもそも危険だ。なにかあったらどうする?」と言いました。
「なにかあったらどうする」は、ほとんどすべての運動部に共通していることです。それを言ったら部活動自体、できません。
反対・否定ばかりしていたら、子どもは最終的に「なにもしたくない」人間になってしまわないかと思うのです。それが一番危険な事だと思います。

「反対・否定」をする前に、ほかの提案をするべきかと思います。
そのためには、相手の話をよく聞く事が欠かせません。
「工業高へ行きたい」と言われた時、私はその理由を聞きました。「それくらいの学力だから」と言うので、何が勉強で分からないのかを尋ねました。分からない事を聞いたら解決法を一緒に考えました。自分では解決出来ないと思ったことについては、外部の力(学習塾等)を借りました。
すると学習がおもしろくなったようで、進学した学校では成績上位者になり、今は化学を選択履修しています。私にはなぜ化学がおもしろいのかよく分からないのですが。

水泳部については、みんなが日焼けや暑さで苦しんでいる時期に水に入れるのはメリットだけど、よほどの強豪校でなければ毎日泳げず、「半年以上は筋トレ部みたいなものだ」と言いました。それでも水泳部に入り、筋トレも楽しんでいるようです。体力がつく事はとてもいい事です。

ただ、残念ながら「相手の話をよく聞く事」がそもそも出来ない人がいることも事実だと思います。特に子どもが相手になると、「子どもの意見なんて聞く必要などない」という人もいるでしょう。私はそういう人に対してどう対処すればいいのか分かりません。

私の経験

今もそうですが、特に子どものときの私はボーッと生きていました。将来どんな人間になりたいか、何をして社会に貢献しようか、などと考えたこともありませんでした。そんな私に対し、親は「モーターのメーカーなんてどうだ?」と提案してくれた事がありました。ただ、その時は「なぜ、モーター?」とピンと来ず。結局私は活字媒体に関連した事をしています。いまや風前の灯ともいえる衰退産業です。逆に、モーターというのはどんな電化製品等にも必要なので業界としての安定性は抜群でしょう。ただ、「自分は活字媒体の世界でなにかやりたい」という希望を親に言った時、親はなにも異論は言いませんでした。「なるほど、親の提案の意味がわかった」と今は思いますが、自分で決めた事ですので後悔はありません(ただ、マジでツラいです)。

私の親は、頭から否定はしませんでした。それが、子どもを導くためには大切なことだと思うのです。

否定をする人に対して、「それはどうか」といえば、否定に否定を重ねる結果ととなりますし、新たな諍いの元にもなります。
諍いを起こす人間からは離れるのがいちばんなのです。が、そう簡単に離れるわけにはいかないのが、家族間問題の根源です。
私には、解決方法が見えません。無理に解決しようとも思いません。


#子どもの成長記録

この記事が参加している募集

#熟成下書き

10,581件

#子どもの成長記録

31,688件

至ってごく普通のサラリーマンのつもりですが少し変わった体験もしています。