【お金のこと・障害のこと】本当にお金で買いたいけど買えないもの
確実な安心が、わたしは欲しい。
私たちは時間をお金で買っている。
とよく言われる。
自炊の時間をコンビニで。
通勤や移動の時間をタクシーや電車で。
わたしが日々行うリハビリもそうだと思う。
お金で健康を買っている。
だが、本当に効果を発揮するのかは正直わからない。
この点は、移動や食事に使う時間とお金の大きな違いだと思う。
確実性がないのだ。
効果は明確ではないけれども、足を曲げたりストレッチすることで、健康に生きられる(であろう)時間を延長している。
まぁ、効果はあるだろうけども。
要は気持ちの持ちようなのかもしれない。
「自分の身体をいたわっている」という自己肯定感。
「障害に適切に対処できている自分」という自己効力感。
わたしはお金(医療費)で安心を買いたい。
「これで確実に足がよくなる」
「歩き方が改善される」
「将来の不安が軽減する」という将来への安心。
でも、そんなものは到底お金では買えない。
将来に何も確実なものなんてない。
この事実に障害の有無は、関係ない。
みんな未来が見えないから、サプリを買ったりジムに行ったりするのだ。
構造はおんなじだ。
お金で確実な安心が購入できるなら、これまでの何倍も努力して稼ぐ。
得られるものと、その効果が明確であるならば。
でも、わたしが求めているものの多くはそうではない。
障害のこと
将来の孤独への不安
仕事をなくすことへの恐怖。
予期不安ばかりが強くなり、今の行動に集中できない。
確実な安心が買えないのであれば、安心『感』にお金を払うしかない。
不安障害の薬。
長く飲み続けていてもはや聞いているかなんてわからない。お守りの域だ。
毎週通うリハビリ。
「何でお金払っていたい思いしなければいけないんだ」と思うが、終われば「自分の身体を大切にできた」ことにほっとしている。
お金で安心「感」を購入する。
確実な安心なんて、この世では絶対手に入らないとわかっているけれど。
せめて気持ちを落ち着けたい。
毎日の仕事や、不安感で消費して擦り切れそうなこころと身体の痛みを、消費活動で埋め合わせる。
確実な安心は買えないと分かっているから、せめて安心「感」で自分を慰める。
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