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【障害のこと】感動ポルノにされた初めての記憶

障害があっても、一時期までの小学校の頃の運動会は楽しかった。

応援合戦やお弁当。ほとんどが集団競技だし、そこでうまく「自分の障害を気にせずそれなりに楽しむ」立ち回り方を覚えてきた。

徒競走は体力が削がれるので好きではなかったが、競技に組み込まれているので参加するのは当たり前だと思っていた。私はこの学校の一員だからだ。

ほかの生徒と同位置でスタートし、当然最下位でゴールする。周囲もそれをわかっているし、自分もわかって参加している。

一連の儀式みたいなものである。どれだけ遅くてもゴールテープは待ってくれた。

小学校も4年生くらいになると、さすがに周囲との速さの差は大きくなる。だが、先生の「30メートル先からのスタートにしようか?」という提案は断っていた。みんなと「同じ」で居たかったし、「30メートル先に移動する自分」が周囲にさらされることが、子どもながらにいたたまれなかったからだ。

自分なりの精いっぱいで走る。差がどんどん広がって、周囲の目がすべて自分に注がれているような気になる。気持ちが濁る。それでもゴールして待機のテントに戻ろうとした時だった。

来賓のおばさん二人がわたしをみて泣いているのだ。

「足が悪いのに、よく頑張ったねぇ」

「負けないでよく走ったねぇ」声をかけられた。

わたしは何に負けなかったと思っているのだろう。私は「普通に」競技に参加し、「普通に」走り切っただけだ。それなのに泣いている人がいる。

気味が悪かった。

泣いている理由がわからなかったが、無性に気分が悪かった。

わたしは特段頑張ったわけでも、困難に打ち勝とうと思っているわけでもない。義務を果たしただけだ。むしろ最後はめんどくさくて早歩きくらいにした。

だが、彼女たちの目には、「障害に負けず、最後まで懸命に走り切る少女」に映ったようだ。そういう物語が勝手に作られていたのだろう。そしてそのストーリーと理想のエンディングに、彼女らは勝手に感動したのだ。

親が感動するのとは違う。赤の他人からラベルをつけられて消費される自分。見られる自分。

屈辱的なきもち、どうして、という疑問。「なんで勝手に自分の感情を決めつけられるんだ」という反発心。感動するのは勝手だが、それをわたしに押し付けないでほしい。

相手は勝手に、感動している。

感動を「与えて」いるが、一方自分自身がとても哀れに思えてくる。

それ以降、徒競走は50メートル先から走るようにした。

準備の様子を見られても、みんなと同位置でゴールできる。普通のことをしているだけなのに、褒められる違和感。舐められている、という感覚が忘れられなくて、同じことをされるのが、声をかけられるのが嫌だった。

それから長い間、他人に傷つけられる前に、自衛の策を考える癖がついてしまった。










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