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将来の自分に何が必要か考えて、実行するんだよ

過去の前後編の投稿では、障害を持ちながら七転八倒した結果、自滅したことしか書いてなかった。
苦しいことが8割だったが、残りの2割で楽しく印象深い出来事ももちろんあった。
特に今も心の支えになっているのは、中途で入社してきた先輩がかけてくれた言葉だった。

将来の自分に何が必要か考えて、実行するんだよ

その先輩は合理化と効率化の天才だった。

先輩は、私が本格的に体調と精神を崩すまだ前に入社してきた。どんな繁忙期でもスケジュールを緻密に組み立て、優先順位を考え、面倒なことから先に実行した。定時かちょっと過ぎに退社し、本社から表彰もされるほどだった。

好きなジャニーズの話題で盛り上がって、一緒にファンサグッズを作った。営業の男性陣と一緒に喫煙室で盛り上がる姿がかっこ良かった。

一方、私は求められる仕事の質と量が1年目と比べて格段に上がり悲鳴をあげていた。自分のキャパを越えていた。それに応えたいが応えきれない。
「いっぱいいっぱいなんです」、「土日は泥のようになっていて、リハビリに行く気力もないです」「残業する体力がないんです」「今まで意地はって言えなかったけど、この仕事をやり抜くスキルも気力もないんです」
どの言葉も言えなかったし、言いたくなかった。
障害者であることを自分で口に出して証明するのが嫌だった。

私は2年目の冬から心療内科に通いだし、社内のパソコンで「会社 やめる」と頻繁に検索するようになった。トイレに動悸が収まるまでこもった。そして、薬の効果も自覚できなくなってきた頃、その先輩に「会社をやめたい」と業務中シマに誰も居なくなったときに相談した。

将来の自分に何が必要か考えて、実行するんだよ

先輩は、業務時間中の社内のデスクで、私の気持ちを否定せず、真剣に聞いてそれに答えてくれた。

先輩が将来目標とする働き方
それを実現するために今何をしているか
ブラック企業を経験しながら今の働き方を見いだしたこと
1つの会社で働くことが正解というわけではないこと
毎日2割の余力を残して仕事をしないと、継続的に力を出す仕事や繁忙期の仕事はできないこと

私はそれまで、「障害を持った体で働き続けるその後の人生」のことなんて考えたことがなかった。
ましてやエネルギーの配分なんて意識したこともない。ただでさえ燃費の悪い体でなんとかやりくりしてきたのだ。
まずは今日の仕事を終えて家に帰ること。それだけが目標。
「お金をためないと将来苦労するだろう」「今の体で将来ずっと生きられる訳ではない」正面から考えるのが怖かった。忙しい仕事を悪者にしていた。自分の能力を冷静に考えることも怖かった

結局は自分の将来に責任を持たずにいたのだ。
この先輩の言葉は、脚の改善手術や退職、資格の勉強など私の人生に大きく影響した。

面倒なことから考え実行すること。
私にとって一番面倒な「障害を持った体で生き続ける」ことを初めて真剣に考えられたのは、1回ボロボロになった約3年間の経験、そしてそこで奇跡的に出会えた先輩のお陰だったと今はちょっとだけ思えている。

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