マガジンのカバー画像

昔の話

21
昔、芝居をしてた頃などの話です。私小説っぽくなってしまってますが、エモくはないです。
運営しているクリエイター

#演劇

それでホントに幸せですか?

20年前の多分今頃、僕は自主映画の撮影に参加していた。 せっかく大学まで出してもらいながら…

餃子と豚まんと発泡酒と

目が覚めた。 まず最初にボンヤリと視界に映り込んだ物は、丸い球体。 目の焦点が合うに従って…

失言を吐いても生きる

僕は口下手だ。 おまけに人みしりだ。 口下手で人みしりの人間がムリヤリひねり出した一言は、…

太宰治が好きな彼女

昔から「私小説」というジャンルが好きだ。 私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、…

戦えペプシマン

あんなことがありながらも、先輩はまだ僕の部屋に住んでいた。 あんなこと↓ さすがに申し訳…

男2人で住むなら風呂無し四畳半はやめとけ。

20代の一時期、風呂無し四畳半に住んでいた。 参照↓ 読みました? 読んだら読んだ証として、…

風呂無しトイレ共同家賃1万7千円

20代の頃、風呂無しトイレ共同のアパートに住んでいた。 藤子不二雄Aの『まんが道』や椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んで、「原点は風呂無し四畳半」でなければならないと思ったからだ。 『めぞん一刻』の響子さんに憧れたという理由もある。 大体わかったと思うが、この時代の僕は形から入るタイプのバカだった。 もちろん、若き日の石ノ森章太郎や赤塚不二夫もいないし、音無響子さんもいなかった。 いたのは、僕のことが大好きなゲイの方や、毎晩深夜3時頃に「N荘(アパートの名前)はコ◯キ

花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ

僕のnoteでのフォロワーは5人だけだ。 その5人の中にハウス加賀谷さんがいることが、密かな…