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風呂無しトイレ共同家賃1万7千円

20代の頃、風呂無しトイレ共同のアパートに住んでいた。
藤子不二雄Aの『まんが道』や椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』を読んで、「原点は風呂無し四畳半」でなければならないと思ったからだ。
『めぞん一刻』の響子さんに憧れたという理由もある。
大体わかったと思うが、この時代の僕は形から入るタイプのバカだった。

もちろん、若き日の石ノ森章太郎や赤塚不二夫もいないし、音無響子さんもいなかった。
いたのは、僕のことが大好きなゲイの方や、毎晩深夜3時頃に「N荘(アパートの名前)はコ◯キの集団!!」って絶叫するおばさんや、帰宅するたびに何故か全部屋のドアを蹴っていくおじさんとかだった。

周りはラブホばかりでなかなか治安のよろしくない土地だったため、家賃は破格の1万7千円だった。
たま〜に夜中に「パンパン!!」という音がしてたが、あれは銃声だったのかも知れない。

当然銭湯に通うわけだが、そこがハッテン場だった。
その頃の僕は大変かわいらしい顔をしていたので、ゲイの方に大変モテた。
全裸の完全無防備な状態で、ゲイの方に誘われる。
ゲイの方の誘い文句には、回りくどい駆け引きなどは無い。
たいてい一言「する?」とかそんなんだ。
僕が「する」って答えたら、その場で始めそうな勢いだ。

ある日、おっぱいとちんちんを兼ね備えた方が入って来た。
「こういう方はどっち湯に入るんだろうと思ってたけど、やっぱり男湯なんやな」
と、ひとつ賢くなった。
当然その方にも目をつけられた。
部屋に誘われたので、走って逃げた。

実は、こんなにも僕が目をつけられるのには理由があった。
この銭湯ではロッカーの鍵を足首に付けることが、「僕はゲイです」というサインだったのだ。
知らずに僕は「手首に付けてると体洗う時に邪魔だから」という理由で、足首に付けていた。
僕は自分から誘っといて、それに応じた人たちを次々と拒絶していたことになる。
ひどい話だ。
あの頃のゲイのみなさん、本当にごめんなさい。

そして当然、部屋に洗濯機などあるはずもなく。
洗濯は基本コインランドリーだった。
最寄りのコインランドリーには、ジャンプもマガジンもあったし『人間交差点』もそこで読破した。
ジュースの自販機は80円だったし、貧乏な僕は重宝していた。

問題は、そこに住んでる母娘がいたことだ。

いつ行ってもおばさんとその娘らしい中学生ぐらいの女の子が、すみっこの地べたに座っていた。
僕がコインランドリーに入っても一瞥をくれるだけで、一言も言葉は発しない。
本当は洗濯してる間に銭湯に行ったり買い物をしたりしたかったのだが、洗濯物を盗まれる恐れがあるので、その場で終わるまで待った。

ある日いつものように洗濯に行ったら、母親はおらず、娘とネコがいた。
娘は、相変わらず一言も発せず無表情だが、ネコを撫でる様を見てると、ネコに愛情を感じているようだった。
僕は、その時食べてた肉まんの切れはしを、ネコにあげてみた。
娘は、僕を見て軽く会釈をした。
もちろん、言葉も笑顔も無いが、初めてその娘の感情らしきものを見た。

それから、洗濯に行くたびに(母親がいない時に限り)ネコにエサをあげるようになった。
その都度、娘が会釈をする。
いつかはもうワンランク上の感情表現をと、淡い期待を抱いていたのだが、結局会釈以上のリアクションは無かった。



何年か前に、フラッとこの場所を訪れたことがある。
アパートは取り壊され、モデルルームになっていた。
ハッテン場の銭湯も無くなっていて、マンションになっていた。
コインランドリーはまだあったけど、あの母娘はもういなかった。

ラブホ群だけが、あの頃と一切変わっていなかった。








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