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太宰治が好きな彼女
昔から「私小説」というジャンルが好きだ。
私小説(ししょうせつ、わたくししょうせつ)は、日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして、ほぼそのまま書かれた小説をさす用語である。心境小説と呼ぶこともあるものの、私小説と心境小説は区別されることがある。日本における自然主義文学は、私小説として展開された。
※Wikipediaより
私小説はだいたい暗い。
作者自身がまだ「何者」でもなかった時代を描いている場合が多いためだ。
不安感や厭世観や諦念にあふれている。
だから、私小説は続けて読んではいけない。
特に西村賢太(代表作『苦役列車』)はいけない。
死にたくなる。
でも稀に、私小説きっかけで彼女ができることもある。
*
演劇に興味を持ち出した大学生の僕は、ある新劇の劇団の研究所に入った。
ある日の稽古後、同年代の男女数人で呑みに行った。
隣に座った女の子がかわいかったので話していると、文学好きで私小説好きであることがわかった。
すぐにその子と付き合いだした。
かわいくて性格もいい、申し分の無い彼女だった。
ただ、夜ふたりきりになると、
「最期は心中しようね」
と、愛情を確認するように聞いてくるのだった。
キラキラした、花のような笑顔で。
彼女のお気に入りは、太宰治だった。
その頃の僕は、誰とお付き合いしても長続きしなかった。
理由は簡単で、僕が子供だったせいだ。
付き合いだしのラブラブの頃はいいのだが、初めてのケンカで、そのまま別れてしまう。
そして後で死ぬほど後悔する。
このパターンを何回も何回も何回も繰り返した。
彼女とも例外ではなく、3ヶ月ほどで別れた。
そしてまた例によって、死ぬほど後悔した。
*
それから1年ほどして、僕はある舞台のオーディションを受けに来ていた。
そこに、彼女がいた。
一瞬「気まずいかな⁉︎」と思ったが、僕を見つけた彼女は、1年前と変わらぬ笑顔で走り寄って来た。
もともと、自分自身の一瞬の感情でむりやり別れたので、未練たらたらである。
「よりを戻せるんじゃないか⁉︎」
一気にテンションが上がる。
ただ、ここにはよりを戻しに来たのではなく、オーディションを受けに来たのである。
彼女の番になった。
彼女は中・高と演劇部だったため、発声がしっかりしている。
しっかり「し過ぎ」ていて、宝塚のように朗々とセリフを発する。
彼女は小柄で地声もかわいらしいのに、いざ芝居になると突然「いい声」になってしまうのだった。
真矢みきさんみたいな外見ならハマるのだろうが、彼女の場合、見た目とのギャップがあり過ぎる。
その辺も変わってなくて、思わず苦笑してしまった。
そして僕の番。
自信たっぷりに演じた。
手応えを感じた。
「もらった」と思った。
*
審査員の審議待ちの間、僕はずっと彼女と喋っていた。
久しぶりに会えて嬉しい。別れたことをずっと後悔していた。こんなところで再会するとは、これはもう運命である。しかもこれから共演することになるとは、本当に幸せだ。
そのような主旨のことを、ペラペラ喋った。
彼女も概ね同意のようである。
ただ、あの大仰な発声はどうにかならないものか。そのかわいらしい声を生かした方が、より魅力的に映ると思われるが如何?
そのような主旨のアドバイスも行った。
彼女も納得しているようだった。
「とりあえず、これ終わったら呑みに行こうよ‼︎」
「行こう行こう‼︎」
変わらぬ花のような笑顔で、彼女も答えた。
これからものすごく楽しくなる予感がした。
*
結果発表。
彼女は合格していた。
僕は落ちていた。
彼女に見つかる前に、ダッシュで逃げ帰った。
僕の人生でいちばん速く走れた。
*
それから20年以上たつけど、彼女がどうしているのかは知らない。
その公演以降、彼女の名前は聞かないので、もうお芝居は辞めたんだと思う。
年齢的に、とっくに結婚して子供も産んで、幸せに暮らしているか。
あるいは、本当に好きな人と心中して本懐を遂げたか。
彼女にとって幸せな結末ならば、どちらでもいいが。
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