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餃子と豚まんと発泡酒と

目が覚めた。
まず最初にボンヤリと視界に映り込んだ物は、丸い球体。
目の焦点が合うに従って、それが裸電球であることを認識する。
ということは、ここは俺の部屋だ。
風呂無しトイレ共同家賃一万七千円の最底辺のアパートだ。
前の住人が残して行ったのであろう裸電球、いつか傘を付けよう付けようと思っていたが、もうその必要は無い。
どうせ俺は死ぬんだから。

恐ろしく長い時間寝たな。
24時間ぐらい寝たな。
バイト先からめちゃくちゃ着信が入ってる。
無断で3日も休んですんません、課長。
もうこのままクビにして下さい。
どうせ俺はこのまま死んでしまうから、もうお金を稼ぐ意味が無いんです。
いつもいつも芝居の稽古や公演を優先してもらって、ありがとうございました。
こないだ奢ってもらった焼肉、美味しゅうございました。
でも、その時酔った目で、
「お前、かわいい顔してるよなぁ…」
って言いましたよね。
もしかしたらと思ってましたが、やっぱり課長はそちらの方ですか?
だから五十過ぎても独身なんですか?


……いや、課長がそちらの方かどうかは、もはやどうでもいい。
もう会うことも無いだろうし、狙われることも無いだろう。
俺はこのまま死ぬんだから。
俺は痛いのも怖いのもイヤだけど、とりあえずこのまま何も食わずに寝てたら、いつかは死ぬだろう。
フェイドアウトするみたいに、ゆっくり眠るように死んで行くんだろう。
そして、『フランダースの犬』で見た天使たちが降りて来て、らんらんらーん、らんらんらーんって……

どんどんどんどんどん‼︎‼︎

うるせーー‼︎‼︎
ウチのドアはほぼベニヤ板なんだよ‼︎
そんな乱暴に叩いたら、穴が開くだろうが‼︎
このガサツな叩き方は、どうせMだろう。
もう俺のことはほっといてくれ。
頼むから、このまま死なせてくれ。

全裸の男

そいつ、Mとはあるお芝居のワークショップで知り合った。
背は高いが猫背。
顔は、決して二枚目ではない。
では不細工かと言われたらそんなことはない。
それならごく普通の顔かと言われたら、絶対にそれはない。
僕の語彙力ではうまく表現できないが、とにかく味のある顔だった。

そのワークショップでは、よくエチュードという稽古をした。
エチュードとは即興芝居のことで、最低限の設定だけ与えられて、後は役者が自由に創作しながら演じる。
当然展開に困ってしまうわけだけど、そんな時、僕はパートナーに払い腰したりしてウヤムヤにした。

Mの場合は、全裸になって走り回ったりした。
参加者の8割が女性という中でだ。
よく「脱ぎ芸は卑怯」と言われるけど、僕にはその度胸が無いから、単純に脱げる人はカッコいいと思う。
なんにせよ、「振り切れない」僕は「振り切れる」Mがうらやましかった。


格闘技好きでプロレス好きで東映ヤクザ映画好きでと共通点が多かったので、僕とMはよく遊んだし、よく一緒に呑んだし、よく一緒にバイトもした。

Mはスーパー田舎者だったので、部屋に鍵を掛ける習慣が無かった。
だから、大阪の中でも治安の悪い地域に住んでるにも関わらず、いつも部屋の鍵は開いていた。
僕は風呂無しアパートに住んでいたので、よく勝手にシャワーを借りた。
タダで使い続けるのも悪いので、3回に1回ぐらいは発泡酒を買って行った。
Mが在宅ならそのまま乾杯するし、いなければ冷蔵庫に入れて帰った。
そして、自分が鍵あけっぱのくせに、僕が突然入室するとめちゃくちゃ驚くのだった。

Mの部屋や僕の部屋や安い居酒屋や夜の公園や、いろんな場所で呑んだけど、いつもいつもMには笑わせられた。
サービス精神豊富で話術に長けていて、聞いてて飽きることが無い。
口下手で不器用な自分と比べて、「Mみたいなヤツが役者には向いてるんだろうな…」と感じていた。

その後Mは、関西の老舗有名劇団のメンバーになり、頭角を表して行った。
僕は、相変わらずオーディションに落ち続ける、ただのフリーターだった。

チャンスにやらかす

好きな劇団にも入れず、大きな公演にも出れず、仲間内でユニットを組んで、小さな小屋を借りて公演をしていた。
気の合う仲間とひとつのモノを作り上げて行く作業は、大変に面白いことだった。
ただ、もちろんそのことによる収入はゼロであり、いや、ゼロどころかマイナスであり、そろそろ限界を感じ出していた。

そんな頃に、ある有名劇団の公演に出演する話が来て。
「これが最後のチャンス」と気合いを入れたのだが。

気合いが空回りして、やらかしてしまった。

顔合わせの後の最初の呑み会で、メジャー劇団所属の先輩役者と向かいになった。
その方も格闘技好きで、最初は話が合っていた。
でも酔った先輩が、ただの格闘技好きなだけの先輩が、

「羽島くんにやったら勝てるわ」

って言った時に、

キレてしまった。

今なら、あるいはシラフなら、笑ってすませたと思う。
ただ、その頃の僕は、若くてバカだった。
「売られた喧嘩は買わねばならない」と思い込んでいた。
おまけに酔っていた。
先輩の胸ぐら掴んで、

「じゃー、今からやりますか⁉︎」

と、やってしまった。


周りに止められて、その日は何も無かった。
ただ、相手はメジャー劇団所属で関西では名のある方。
僕は、フリーランスの「こいつ誰?」な役者。

周りがどちらに味方するかは、火を見るより明らかで。
結果、僕は全出演者を敵に回してしまい、どんどんどんどん浮いた存在になっていった。

みんながワイワイ楽しそうにしている稽古場に僕が入ると、全員急に黙ってこっちをにらむ。
「来んなよ…」って顔して。

まだ稽古中は良かった。
でも、休憩時間になると、話す相手もいないし、とにかくその場にいるのがたまらなく辛かった。
結果、トイレにこもることになる。
長いウンコやなぁ、と思われていたのかも知れないが、僕は個室で吐いていた。
僕のメンタルは、どんどんどんどん壊れていった。

基本、稽古で誰かがトチッても、みんなは笑っている。
でも、四面楚歌の僕がトチッたら、周りは深いため息で。
「誰、こんなヤツ連れて来たの?」
てな空気で、僕はどんどん病んで行き、そしてどんどんトチるという悪循環。

ある日、昔共演して、一緒に何人かで泊まりがけでバイトにも行った女の子が稽古を見学に来た。
四面楚歌の中で久しぶりに仲間を見つけた僕は、
「おー、久しぶり〜‼︎」
と言いながら駆け寄った。
すると彼女は、僕が「久しぶり」と言い終える前に、貼りついたような営業スマイルを浮かべて、

「はじめまして‼︎」

と、大きな声で言った。
「それ以上話しかけんなよ…‼︎」
という、無言のプレッシャーを感じた。
どうやら彼女は、僕の悪評を聞いていたようだ。
僕と友達だと思われたくなかったんだろう。
なんにせよ僕は、仲間だと思っていた女性から谷底に突き落とされた。

僕のメンタルは、完全に壊れた。

壊れたまま本番

稽古に行く前に吐いて、稽古の休憩時間に吐いて、その日の稽古をなんとか終えて帰宅すると、酒をガブ呑みした。
そうしないと眠れなかった。

酔い潰れて眠り、毎晩同じ夢を見た。
『シティーハンター』に出てくるような、でっかいでっかいハンマーを持ったマッシブな男がひとり。
横たわった僕の頭を、そのハンマーで一気に叩き潰す。
そして、その頃の僕にとってそれは悪夢ではなく、願望だった。
このぐちゃぐちゃになった頭を、誰か叩き潰してくれ。

自分のメンタルが相当ヤバイ状態なのはわかっていた。
ただ、これだけ迷惑をかけた上に、さらに途中降板だけはしたくなかった。


本番初日。
ボロボロの僕に出来ることは、時間通りに小屋入りして、セリフと段取りを間違わずにこなすこと。
これだけが出来ればいい。
それ以上は望まない。
そう思っていた。

ああ、それなのに……。

僕の唯一の見せ場であった、死んだ仲間に追悼のハーモニカを吹くシーン。
(ダメダメだった僕にこんな見せ場を与えてくれたことには、本当に感謝しています)
生き絶えて横たわる仲間。
生き残った仲間たちの悲痛な表情。
静かに、BGMで鎮魂歌が流れ出す。
僕は静かにひざまずき、ハーモニカをくわえ、BGMに合わせて吹こうとした。

……音が鳴らない……‼︎‼︎

緊張で唇が乾いて、ハーモニカの音が鳴らない。
BGMは、もう半分ぐらい過ぎてしまった。

僕はとっさに、
「こんなに悲しいのに、ハーモニカなんか吹けるか‼︎‼︎」
って表情でハーモニカを投げ捨て、死んだ仲間を抱き上げ、天を仰いで咆哮した。

見に来た友達は、「元々そういう演出なんやと思った‼︎」って言ってたから、なんとか繋げたみたいだ。
でも、袖に引っ込んだ時、全員

「もう死ねば……⁉︎」

って顔で睨んでいた。
喉元までこみ上げて来たけど、必死で飲み下した。


なんとか芝居も楽日を終え、打ち上げへ。
もちろん居場所の無い僕は、相変わらずトイレにこもって吐いていた。

顔を洗ってトイレから出ると、共演者の女の子も、トイレに行くところだった。
実はこの子の推薦で、僕はこの芝居に抜擢されたのだった。
その子は、冷めた目で僕を見ると、

「ごめんな、ハシマくん。私、あなたを助ける気になれなかった」

と言った。

当然だ。
この子とは違う舞台で共演してから仲良くなり、だから僕を推薦してくれたんだ。
結果、この子の顔を潰してしまった。
「なんであんなヤツ連れて来たんだ⁉︎」って、さんざん上の人から言われただろう。

今でもいちばん謝りたいのは、この子だ。


死ぬ気で打ち上げも終え、やっとやっと帰宅した。
そのまま万年床につっぷした。

緊張の糸が切れ、もう完全に動けなくなった。
そのまま3日間、何も食えずに横たわったまま、眠ったり目覚めたりだけを繰り返した。


王将と蓬莱と発泡酒

どんどんどんどんどん‼︎

「おいこら鬱病、いるんだろ⁉︎」

やっぱりMだった。
僕は、布団から這いずって行き、鍵を開けた。
Mは、王将と蓬莱とコンビニのビニール袋を両手にぶら下げていた。
ズカズカと万年炬燵の上に食材と発泡酒を並べ、勝手にムシャムシャ食い出した。

特に僕に勧めはしない。
「俺がメシ食いたかったから来ただけだからね‼︎お前に買って来たわけじゃないんだからね‼︎」
と言いたげな表情で、僕を無視してただ食っている。
ツンデレか。

しかし、ひとりで食うにしては量が多い。
餃子も豚まんも4人前ぐらいあるし、発泡酒も4本ある。

空腹もだけど、それ以上に強烈に喉が渇いている。
Mが美味そうに喉を鳴らして発泡酒を呑むのを見て、たまらず僕も発泡酒を手に取った。
一気に呑み干す。
悪魔的な美味さの後に、キューっと腹が痛くなった。
絶食してた胃袋にいきなりアルコールを放り込んだんだから、無理も無い。

「あいたたたたたたた……」と腹をおさえてたら、僕が缶を持ってる右手に、Mがガツンと乱暴に自分の缶をぶつけて来た。
最初はなにかの攻撃かと思ったが、恐らくMなりの乾杯だったんだろう。

結局、発泡酒で生き延びてしまった僕は、そのまま餃子と豚まんを貪り食った。
2人で無言で貪り食った。

帰り際、Mがポツリと、

「お前のアレ、良かったよ」

と言った。

ズタボロだった僕だけど、せめてもの「足掻き」として、演出にない小ネタを少し挟んでいた。
見た人の大半は気付かないような、単なる自己満足の小ネタ。
Mの言った「アレ」とは、その小ネタのことだった。
おそらくMだけが、その小ネタに気付いていた。

嬉しくて、Mが帰った後ひとりで泣いた。


そこまでしっかり俺のことを見てくれてるヤツもいるんだ。
俺も少しは生きる価値があるのかな。
もう少し生きてみようか。
いや、生きてやろう。

その夜から、でっかいハンマーの夢は見なくなった。


…。
……。
………。
あれから20年たち、僕もMも芝居は辞めた。
今はお互い、ただの勤め人だ。
昔はバカみたいにしょっちゅう呑んでいたけれど、今会って呑むのは、年に一回か二回ほどだ。
それでいい。

Mによって生かされた僕が、年々ちゃんと人生を重ねて立派にオッサン化して行ってるところを見せることが出来れば、それでいい。

今年はまだ会ってないな。
そろそろ、またガツンと乱暴に乾杯するか。
















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