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人を介さずに見つける自分の幸せ〜何も入ってないショートケーキ〜

私は今年32歳。
3年前初めて私は私の為に生きようと決めた。
これまでやりたいと思った事はなるべく叶えられるように心掛けてきたし
大好きな旅行もして
働く事も好きだったから自分の興味のある仕事をしてきた。
それなりに自分の意思に沿って自分の人生を生きてきた。

でも私は29歳まで
自分の軸を知らなかった。
他人を介さない、自分の幸せを。


29歳の時に離婚をした。
子供を作るという事が難しかったのだ。
それに伴う価値観の違い。

この件について悩む方はとても多いのではないでしょうか?
私の場合不妊という理由とは違いましたが
どんな理由であろうと
夫婦として試される第1関門だと思う。
短い結婚生活の中で足並みを揃える大切さを
身に染みて感じたのがこの時です。

結婚生活は二人三脚と一緒で
足並みを揃えないと上手く進むことができない。
相手の気持ちを無視して走り続けるという事は
相手の体を引きずってそのまま走ると言うことと同じ。
大事なのは前に進むことではなく
相手の目を見て、歩み寄り、1歩ずつゆっくり
進んでいくことだと私は思う。

当時彼はその話題を出すと機嫌が悪くなり
何も意見や感情を言わない。という姿勢だった為

"彼も彼で抱えているものがあるんだ。
優しい人だから
私に対しても罪悪感を感じているはず。
もう少し様子を見て待っていよう。"

と言い聞かせていた。
が、周りがそれを許さなかった。

会社へ行くと
「子供はまだ作らないの?」
「不妊の場合もあるから早い方がいいよ」
と先輩からの良かれと思って放たれる言葉達。

当時私は彼との子供が本当に欲しかった。
小さい赤ちゃんを抱えているお母さん
ベビーカーを押している夫婦を何度自分達と重ねたか。
でもそれがどうも叶いそうにない。
必死に振り出した私の言葉は


「子供はまだ欲しくないんですよね。」



案外簡単に私の口から出てきた言葉は
静かに容赦なく心に突き刺さってくる。

そうして彼の気持ちを考慮し
自分の感情を抱える事が出来なくなっては
ぐちゃぐちゃな感情をぐちゃぐちゃのまま
彼に投げつけては何も言わない彼に対し
不信感を募らせていった。

そんな彼も不器用ながらに自らその話題を持ち出し歩み寄ってきてくれたことがあった。
これまでに感じた事がないくらいに嬉しかった。
やっと彼と夫婦としてスタートラインに立てた気がした。
しかし神様は残酷で
歩み寄って掛けてくれた彼の言葉は
彼により崩され
結局お互いが理解できなかった。
ほとんど笑顔もなく、食欲もない状態で迎えた
29歳の誕生日は一日中泣いていて
彼が買ってくれたショートケーキは
様子を伺うように下から私を見上げていた。
泣いて乾いた口の中にへばりつく様に広がる甘いケーキ。
そこには去年と同じ愛情が入っていたのかな。
何も味がしなかった。
誕生日から数日後私から離婚を告げ、彼は1度だけ戻ってきてほしいと言ったがその日のうちに了承した。

そんな事があったが彼はいつも私が喜ぶ事を探してきては喜ばせてくれる素敵な人でした。
そんな私の体の1部だった彼を切り離し
心が痛む事も不安や周りに対する負い目も感じることはなくなった。

けどその後に分かったことがある。
それは私は彼を通してしか幸せを見れなかったことだ。

恐らくそれは昔の体験によるものが関係しているのではないかと思う。
私は子供の頃自分が嫌いだった。
この世にあるものの中で1番価値がなく
無駄なもの。
ただ生かされているのが自分だと
中学生の時はずっと思っていた。
1番苦しかった地獄のような時間は2年もあって
苦しまない為に心を何度も踏み潰した。
2年以上踏み潰し続けたけど
結局心はそれでも無くなることは無く
痛みをずっと感じ続けた。
ここでの出来事は割愛させてもらいますが

"幸せになるために結婚するわけじゃない。
     彼となら地獄でも一緒に行ける。"

そんな風に自分自身豪語していたことが恥ずかしいくらいに
当時私は結婚も自分の事も理解していなかった。

離婚したという事実に何か意味があるのなら
それはきっと自分の軸取り戻す為だったと思う。
あのまま結婚生活を続けていたら
私はきっと迷子になっていただろう。
もし先に彼が死んでしまったら…
歳を取り私から彼を取って残るのは
一体なんだったんだろうか。
その時の私に自分の価値や幸せを見つけることは
できるのだろうか。
恐らく出来ない。

だから私は
聞こえなくなった心の声をもう一度聞くために自分と向き合うことを始めた。


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