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良い姉であり、良い子でいるために。

これはわたしがわたし自身と向き合うために始めたnoteです。

向き合うためには、記憶を巡らせる必要があり、それが辛くてなかなか書き進められません。

それでも、少しずつ書きたいです。

"妹が統合失調症になった日"

"わたしの孤独生活の始まり"

でした。

まず、わたしに待ち受けていたのは、

ありとあらゆる制限

でした。

具体的には……

・TVを観てはいけない

・音楽を聴いてはいけない

・鼻歌を歌ってはいけない

・学校であった話をしてはいけない

・友達の話をしてはいけない

・大好きなピアノを弾いてはいけない

これはほんの一部でした。

制限した妹は、妹にとってはとても辛いことだったようで、わたし含め家族はそれら全てを受け入れました。

母は仕事を辞め、常に妹に付き添いました。母は、外出することも出来なかったので、日用品や、食材の買い物は父と2人で出かけました。

高校1年のわたしは、反抗期を迎えてもいいはずでしたが、そんなことをしている暇もなく。

ただ、少し耐えれば、少し我慢すれば、元の生活に戻ると思っていました。

そうすれば、妹の病気が治ると信じて。

だけど、何年経っても妹の病気は治らず。

たまにわたしが話してしまう学校生活の話を聞いた妹は、わたしに敵意を現しました。

"お姉ちゃんなんかいなくなればいい"
"お姉ちゃんが苦しめばいい"

そう言いました。

そして

フォークをわたしに投げてきたり、

フォークでわたしを刺そうとしました。

妹が苦しめば苦しむほど、わたしも苦しかった。

そんな妹とわたしを見た両親は、わたしにこんなことを言いました。

"妹と会わない生活をしてほしい"

理由は、

妹がわたしを殺すかもしれないから

でした。

わたしは、両親に従いました。

泣き叫び暴れてしまう妹がリビングにいる間は、わたしは自分の部屋に閉じこもりました。

疲れきって妹がわたしの隣の部屋の自室にいる間は、わたしはリビングへ行くようにしました。

両親は揃って、常に妹の傍にいました。

だからわたしは、

家の中でも独りでした。

わたしは、そんな状態であることを友達に話すことも、彼氏に話すこともできませんでした。

わたしはその時、

"わたしよりも妹の方が辛い"

と言い聞かせていたから。


言い聞かせてたところで、わたしの孤独は深まり、救われない苦しさに押し潰されていきました。

それでも

家族のことが大好きな姉で居続けました。

それが、

良い姉

だと思っていたから。

だから、わたしはわたしの感情を手離しました。

良い姉であり、良い子でいるために。





気にかけて下さり、ありがとうございます*⑅୨୧いつか自分で自分を救える人になります‪𓂃 𓈒𓏸໒꒱見ていてください❁⃘*.゚