命より大切なものなどあるはずがない。

皆さん。こんにちは。
谷田です。

先にお伝えしておくと、今日は真剣に書く。
その理由は、こんな私の経験でも誰かを勇気付けたり、諦めずに済むことがあるかもしれないと思ったからだ。決していい格好をするわけではない。そして、かなり長い文章になるという覚悟を持って読んでいただければ幸いである。その量、1万字だ。

また、ここの文章は、私個人が思う事であり、特定の団体や組織に対して忖度をしたものではなく、本当に私自身が今感じて、考えている事だと言うことは先に申し上げておく。途中で気分が悪くなる方がいらっしゃった場合は、無視して頂く事をお願いしておきます。

政府より緊急事態宣言が発表されて、本当に不安な日々を過ごしている方も多いだろう。これから先の見通しが立たず不透明であるこの状況で、冷静さを失わず居られる人は、思ったよりも多くないようだ。そんな私自身も不安で不安で仕方ない日々を送っている。

何を隠そうイベント産業のど真ん中にいる我が社は今年入って、実施にまで至った仕事は一本もないのだ。去年に立った売り上げを食い潰す日々を送っている。ありがたいことに、キャンセルになった仕事に関しては、キャンセルにかかる費用を請求させていただけるクライアントに本当に感謝している。会場を押さえておいた分のキャンセル料や、実際に作業に入ってしまっていた分の支払いは頂けている。しかし、当たり前のことなのだが企業は利益を生み出さなければ家賃や人件費の分がどんどん出て行って、会社のお金というものは減っていくことになる。

企業とは利益を生み出してこそ社員の雇用が守られることで成立している。こんな状況になったからこそ、平和で平穏な日々を送れていたことに感謝を感じずにはいられない。今日はそんなこと書く。

人との繋がりが奇跡を呼ぶ。

昔話になるが、我が社は起業して今年で8年目を迎える。我が社はお恥ずかしながら経営に関しては決して褒められるものではない。それは、今も尚、現在進行形だ。去年にようやく黒字になったのを除いては、ずっと赤字だった。会社とは不思議なもので、赤字でも潰れないのだ。会社が潰れるのは、外部内部問わず支払うべきものが支払う事ができなくなった時である。当たり前のことなのだが、そんなことにならないよう、支払いに際して銀行残高が足りなくならないように、常に資金繰りを気にするのが中小企業の社長と呼ばれる人種だ。私の会社も、そんな事が無いようにお金を借り入れたり、支払いに融通を利かせてもらったりしてようやく乗り越えてきた創業期を経てここに至っている。こんなことを言うのは本当に恥ずかしいことだ。しかし、こんな恥ずかしいことを公にしてでも、今、皆さんに伝えたいことがある。

私は、本当に経営者としては失格だと思う。

これは、謙遜ではない。間違いのない事実だ。

私は、かつて創業期は資金繰りに困り果てて、お金を借り入れてようやく会社を維持していた。私は公庫から借り入れをし、毎月50万近くの返済を2年以上にわたって行いながら事業を回していた。ある日、その時の銀行残高では取引先に支払いがどうしても立てられない状態に陥った。取引先に支払いが立てられないのだから、当然借金の返済も出来るわけがない。そんな状態ならば、当然のことながら自分に給料も出せるわけがない。気がつけば、どうしようもない状態になっていたのだ。

その時の私の会社の資金繰りは文字通り自転車操業だった。支払いするために、次から次の仕事を決めていかなければならないし、そのリズムが崩れると会社は一気に危ない状況に陥った。借入額は目一杯借りている状態でこれ以上は借入することはできない。そんな状況でありながら我が社は当時、社員を2名抱えていた。

本当に申し訳ないことだが、そんな状態だったからと言い訳にはならないが最終的に一人は辞めてもらった。そして、もう一人は一緒に会社を立ち上げた仲間だったが、私に気を使ったのか会社を去っていってしまった。気がつけば、私の会社には借金と、どうしようもない社長が1人残っただけだった。本当に恥ずかしい話だ。当時は会計士の報酬も支払うことができない状態になり、契約も解除された。事務所の家賃は1ヶ月遅れでようやく支払える状態。家賃を支払えば公庫への返済は、毎月のように滞り、個人の税金も滞納した。本当にもう何もかもが嫌になって、逃げ出したいと思う毎日だった。こんな私でも円形脱毛症を発症し、精神状態は不安定のどん底状態にあったのだ。

そんな時に出会ったのが、今のパートナーである浅野氏だ。
厳密には数年前のとあるプロジェクトで出会ったのだが、それから一緒に仕事をするようになっていた。

私は、とあるプロジェクトの打ち合わせで浅野氏と打ち合わせを行うために東京に行っていた。その時に、私の会社に『もしも』のことがあったら、代理店には言っておくから、そこと直接取引をして代金をもらってくれ。確かそんなことを言った記憶がある。

『谷田さんがこのまま潰れるのは良くない。心当たりがあるのでもう少し頑張ってみようよ。』彼は、どん底の私にそう言ってくれたのだ。

彼から連絡が来たのは、私が大阪に戻った次の日だった。『明後日、東京に来れないか。』浅野氏が私にそんな連絡をくれた時、確か私の会社の口座にあったお金は10万円を切っていたのだが、私は藁をもつかむ思いで、そのお金を使って東京に向かった。

その時のことは、今でも昨日のことのように思い出すことがある。

この時、我が社は銀行の残高が10万円を切った状態で、3日後には300万ほどの支払いをする必要があった。所謂『資金繰りのショート』と言うことだ。しかも、1ヶ月待ってもらった300万だった。もういよいよ限界だと思っていた。半ば諦めていたが、何か奇跡が起こるかもしれないと言う淡い期待とともに、東京へと向かった新幹線の中の空気は、今でも忘れられない。

そして、浅野氏のオフィスで一人の男と出会った。大林という男だった。

彼は情けない我が社の通帳を見て言った。
『貸します。』

私は耳を疑った。『ただし、いつ振り込めるかは、明日またご連絡します。』とのことだった。そして、彼は言った。『とりあえず、今日はゆっくり休んでください。』私は、日帰りで大阪に帰る予定だったが、その夜、東京の宿泊施設付きの銭湯、一泊2800円のところに泊まった。情けなく、全く眠れなかった。支払い日は2日後に迫っていた。憂鬱な朝だった。

その朝、大林氏からの電話があり『先ほど振り込みをしました』と連絡をもらった。私は、待ってもらっていた支払い先に支払いを済ませた。首の皮一枚という言葉がふさわしい状態で、なんとかその日が今日につながったのだ。それが5年前のことだ。


大林氏はそれからしばらくの間、頼りない私に代わって経営という観点から無茶苦茶であった我が社の状況を立て直してくれた。入出金の管理から支払いの設定までを、自分の会社もあるのに面倒を見てくれた。

毎週会議で、大林氏から『今月末の支払いを実行したら谷田さんの給料は払えないので、来月の給料は止めますね。』みたいなことを言われることは、日常茶飯事だった。それでも公庫の支払いがどうしても目処が立たない時は、自らの会社からお金を貸してくれて、会社を回してくれた。もちろん、ちゃんと返済もしなければならないのだが、その時に、彼が教えてくれたのは、資金繰りを考える時に常に数ヶ月は先を見ていく必要があるということだった。いつまでにいくら必要かを数ヶ月先まで見越して考えること。こんな当たり前のことができなかった私だが、『大林さんに怒られるのが嫌だから頑張る』と思って無理矢理頑張っていた。

『3ヶ月後に300万の売上がないと、ショートしますよ。』
『それを乗り越えても5ヶ月後に400万の売上がないとどのみち、ショートしますよ。』
この大林氏が出すアラートに対して、企画を懸命に書きまくって、文字通りの荒波を乗り越えてきた。大林氏と出会って3年後。公庫からの借り入れは完済。大林氏の会社からの借り入れもその1年後には完済した。

その間に、2千万近くになる大赤字のプロジェクトも経験した。
相手の企業がクリエイターとしての私のことをとても大切にしてくださり、ゆっくりでもいいから払ってくれれば良いと言ってくださったことで、なんとか持ち堪え2年かけてそれも返した。

そんな間も浅野氏は東京に私が行った時には、必ずと言って良いほど食事に誘ってくれた。そして、『谷田さんなら大丈夫だよ』と言い続けてくれた。個人的に生活に困窮した時には、生活費を貸してくれたことも一度や二度ではない。ひどい時には、ホテルの支払いをするためにホテルにまで来てくれたこともあった。

『俺は、もうダメだ。』
『いやいや、谷田さんは大丈夫だよ。』

この繰り返しの日々だった。

そして、現在の我が社には、社員が居てくれていて、会社は続けられている。現在、浅野氏は取締役として会社のマネージメントをしてくれている。

人との繋がりの先に、奇跡があり、
その奇跡の上に私は今、生きているのだ。

社員とその家族の生活を守る覚悟。

社員を雇用する時ほど、経営者が覚悟を試されることはない。
社員が増え、その社員に給料を払い、福利厚生も充実させていくには、給料のおよそ2倍以上の経費が掛かり、それらを支払う必要がある。会社として社会に存在するためには、この絶対的なルールを守らなければならない。投資家に莫大な投資をしてもらうこともなく、会社の状況が劇的に好転することもない状況の中でなぜそんな事ができたのか。本当に謎だが、私の会社はまだ生きている。それだけは事実だ。そして、もうひとつだけわかっている事がある。それは、経営者には資金繰りの管理はもちろんのこと、常に先を見通し、社員を引っ張っていくだけのビジョンが必要だという事だ。私の個人事務所のような状態の我が社では、それは即ち、私がどうこの会社を導いて行くかというリーダーシップでしかない。

案件をクライアントから与えてもらい、そして我が社が維持できるだけの売上を立てさせていただく。そして、その中で与えられた役割を果たすことで会社を回している。2020年のオリンピックということに浮かれることもなく、期待もせず、地道に自分の与えられた役割を果たし、結果を出すことでここまでやってきた。そのつもりだ。

そんな私が常に心掛けている事がある。それは、絶対に社員とその家族の生活を守るという事だ。私は、一人でやってきた時にあれだけ苦手だった資金繰りの計算をシビアにできるようになった。去年、我が社は創業以来最高の売上を立てる事ができて、初めての黒字に転じた。戦略的に市場を見て、クライアントには練りに練った企画を提案し、文字通り手繰り寄せた結果だった。創業以来伸び悩んだ売り上げは、前年比の2倍以上の売上を立てる事ができた。本当に忙しい一年だったし、社員もみんな本当に頑張ったと思う。何より、私が誰よりも考えて動いた1年だった。いつしか、月末の支払いを気にする事がないくらいになった。なぜ、そんな事ができたかというと、経営の責任者である私が社員とその家族の生活を絶対に守るという覚悟を持つ事ができたからだと私は思う。社員に育ててもらったとも言えるだろうと思う。

私は、社員に言った。
『来期の売上が今期くらいだったら、全員の給料をさらに上げる』

前にもこのnoteに書いたが、我が社の社員の給料は悪くないと思う。社員が言うのだから本当だと思う。毎月数字を見てくれている浅野氏が言うのだから相当なんだと思う。

そんな時に、この一連のコロナショックが起こった。

絶望という言葉の意味を知ることから始めた挑戦。

イベント業界という世界には、一年を通して波がある。
毎年1月から4月にかけては、毎年緩やかに過ぎてゆく。そしてこの期間に提案した案件が夏頃から爆発しだして、夏の終わりから秋、そして年末へと怒涛の日々が続く。その売上を元に、また1月から始まり…と言う具合の波の中で会社を回していく。しかし、今年は、オリンピック・イヤーということで夏の終わりから秋にかけて思うようにイベントができない状況が当初から予測されていた。オリンピックは経済効果を齎すと言われていたが、私たちにとっては、全く関係がないものだと思っていた。なので、2年くらい前から、この状況は予測していた。

東京のイベント関連会社の知り合いに聞くと、人が足りないほど仕事があるという言葉をよく聞いていた。しかし、私は、オリンピックは彼らに任せて、自分がやるべき仕事を考えて、そこに集中しようと決めていた。だから、関西の仕事を中心にプロジェクトを開発し、見通しを立てようと準備をしていた。去年の売り上げが高かったこともあり、今期の消費税は前納でかなりのパンチがある金額で来ることはわかっていた。その準備をしていかなければならないこともあり、資金繰りに関してはいつもに増して慎重に注意深く見ていた。

大林氏に代わって浅野氏が出してくれるアラートも、数ヶ月前から対策を講じる事ができていた。むしろ、先回りをして対策を講じて、解決する方法も具体的に出せていた。

そして、徐々に決まっていく売上の管理も仕入れと支払いをシビアに見て、資金繰りを見ていた。それでも、いくら予測してもこのコロナの影響までは予測できなかった。2月にクルーズ船のニュースが出た時に、正直ここまで酷くなるとは思ってもいなかったが、日本中に感染が広がっていく中で1本目のイベントのキャンセルの知らせが来た時、私はこれは不味いと思った。

最悪で、更にそれよりも最悪な事態を考えたくはないが、楽観的になるには材料が少な過ぎた。受注産業を中心に事業展開する我が社にとって、どんなに足掻いてもこの影響を受けない方がおかしいと思った。私は、一旦資金繰りから全ての受注案件の数字を消してみた時に、自分の会社の置かれている厳しい状況を理解した。既に遅過ぎた。

『潰れるかも知れない』

久しぶりに感じる絶望だった。これまで半年以上かけて社員が頑張って数字化してくれた売上が全てゼロになり、利益が消えてしまうのだから。
そして、かつての苦い記憶から、借入を行わなかった経営者としての自分の甘さを悔やんだ。私にもっと常に危機感があればこの状況になって慌てることもなく、状況を迎え撃つ事ができたのではないか。自責の念がこみ上げてきたが、新たに借入を行うそんな猶予も迷っている時間も無いことも同時にわかっていた。

しかし、同時にこうも思った。

『潰さない為に考えろ』
『嘆く前に、考えて行動しろ』

私は意識を変えた。

国が何かをしてくれることを期待していたら社員を守る事ができないと直感的に思った。

逆にいつまでなら耐えられる。そのXデーがいつで、いつまでに私は結果を出さなければならないのか。

そこで、経営者として決めなければならない時がもうすでに来ていることを知った。会社として防備に回るか、攻めるか。会社のキャッシュと状況を冷静にみて、一日考えた。

そして、私は挑戦することを決めた。

そこから、私はひとり考えた。この時から社員と距離をとり集中できる環境に身を置いて考え続けた。なぜなら、会社が潰れる時、責任は全て社長である私にあるからだ。社員は何も悪くない。悪いのはコロナだ。

しかし、最後責任を取るのは自分だと決めたものの、万策尽きた状態ではないこの時点で、自分が責任を取ることは違うと思った。社長である私が責任を取るのは最後の最後だからだ。

私は、7階にあるオフィスの自分の席から3階の会議室に1人こもって、かつてないほど集中して今ある私たちの武器からこの状況を戦い抜けるものはないかと、考えに考える日々を過ごした。そしてひとつの可能性を見つけた。

こんな短い期間に、これだけのことを考えられたのは会社のマネージメントを任せられるパートナーが居たからだ。私が、考えを巡らせて様々な角度からこの事業を考えることができたのは、そう言う環境を用意してくれた浅野氏を含めた仲間が居てくれたからに他ならない。

社員は『一体社長は何をしているんだろう』と思ったに違いない。

その姿はまるで、鶴の恩返しのおつうさんのようだったに違いない。

日々の努力からしか活路は見出せない。

去年の終わり頃から会社の数年後を見据えて、受注した仕事とは別に私たちは新規事業というプロジェクトを進めていた。この新規事業というのは、とても面白い企画でありクライアントも無い、言わば自分たちの自分たちによる未来のためのプロジェクトだった。

内容に関しては機密上ここで申し上げられないのが残念だが、これは間違いなく、面白いプロジェクトになるという予感の元、案件と並行して進めることを社員に課して進めていた。基本的には私自身が考えたアイデアを事業計画書にまとめる作業を社員にやってもらっていたのだが、私は、この事業計画書にある、とある部分に注目し、この部分を独立させ、先にスタートさせることで会社の未来を切り拓けないかと考えた。

この事業計画書の作成自体は現段階において、第19稿目を迎えており、かなり練られているものだった。様々な人のご協力やアドバイスを頂き、かなりの精度にまで達していた。だからこそ、この一部分を切り離しても成立するものだと思えたのだ。

この事業計画書では、担当社員に何度も何度も書き直しをさせた。

事業計画書は手直しをする度に、精度が上がってゆき、問題点なども改善されていった。信頼のおける何人かの人に目を通してもらい、意見をもらい更に手を加え続けること19回。ページ数は内容の非常に濃い30ページにまとまっていた。しかも、企画家としての矜恃にかけて革新性と、インパクトに満ちたこの計画は多くの人たちを救うものだと確信を持って言えるものだ。この事業計画から抜き出したこの一つのアイデアが、私たちの会社を救うことができて、今のこの世の中に価値あるものを生み出すことができると信じている。

なぜなら、このプロジェクトには夢があるからだ。
夢などと言って、幼稚なことだと笑う人がいるかもしれない。
でも、こんな時だからこそ、私たちにはこれが必要だったのだ。

冒頭にも書いたが、困難に立ち向かう時に経営者に求められるもの。
それは『常に先を見通し、社員を引っ張っていくだけのビジョン』だ。
そして、そのビジョンから真っ直ぐ伸びた先にあるものが夢だ。

そして、私は会社を潰さないことを決めた。
この決定が何より大切なことなのだ。

私は、新規事業の計画書をまとめてくれていた社員に言った。

『お前がしっかり纏めてくれたからこそ、この企画はここまでできた。お前のこれまでの努力は無駄じゃない。ただ、事態は一刻の猶予も許さないので、ここから先、この新しい企画は俺がまとめる。ま、お前は俺の才能を羨ましがって見ておけ。お前らの生活は俺が守るから安心してろ。』

そして、社員には政府からの助成金の要項をまとめておいてくれと指示を出した。もらうものはもらう事。これとは別に新たに進むことを我が社は決めた。

頭を使い、考え、前に向かって進んでいたからこそ、今この時がある。


活動自粛だから考えなくても良いとは誰も言ってない。

活動自粛、外出は控えて会社にも行くな。
そもそも、会社に行けば給料がもらえると思い込んでいる事が何よりも問題なのではないかと私は思う。

本当に、あなたは会社に行かなければ自分は会社に不必要な存在と言われ、扱われるような存在なのだろうか。リモートワークができない職種もあるだろうが、そもそも、場所が職場じゃなくなって自宅になったからと言って、本当に仕事に対して何もできないのだろうか。通常業務ができなくとも、仕事はできるはずだ。

それは、あなたが何もできないと決めただけではないだろうか。

または、あなたの職種・業種には新しいアイデアが不要だと決めてしまっているからではないだろうか。

それとも私たちは、例えば、一般の事務職の方ならば、日頃から思っている仕事上の問題を解決するアイデアを纏めて、上司に送るとか、ひとりひとりが考えていること、職場の課題だなと思っていることを纏めて会社に伝えることもできないほど、活動を自粛せねばならないのだろうか。

果たして、店を営まれている方に関しては、本当に自分達の商売は店を開けていなければできないと決まっているのだろうか。また、それは誰が決めたのだろうか。

私の会社も助成金は申請する。
申請してもらえるものは、もらいます。

ある程度は収入が保証されると言う事が決まったが、本当に満足いく額だとは言えないだろうし、到底ほしいと思う額には足りないだろう。しかし、どんな状況にあろうと、請求書は送られて来るし、人は食べなければ生きては行けない。

だからこそ、生きるための方法を考えなければならんのだと私は思う。

生きること。それはどんな人にも等しく与えられた権利であると思う。
健康上の問題を抱えてしまっていて、この状況を到底受け入れられない方もいらっしゃると思う。場合によってはご高齢であったりするとそんなことも思うように行かない人もいらっしゃると思う。そんな人には、どうか手厚く、温かく支えてゆく対策を政府には強く求めたい。

高齢化・福祉先進国である我が国にはしっかりとしたセーフティーネットがあるので、是非その制度を利用し、命を守ることを第一に考え、生きてほしいと切に願う。そのために、私たち働ける世代は納税を行なっていると思っている。

忙しく働く世代の日々の暮らしの中では、ゆっくりと考える時間がまともに取れずにそう言ったアイデアや意見を思ってはいても、纏める事ができないことは、十分に理解できる。子供の世話をしなければならないし、親の介護、作物の世話、日々の暮らしの中で多かれ少なかれ、誰しもが問題を抱えていると思う。だからこそ、一定の収入が保証されるなどの処置が取られる事が決まった今、あなたの目の間にある時間は一体何に向けられるべきなのだろうか。

本当に不安だと思う。私も不安じゃないといえば嘘になる。正直いうと不安だ。しかし、その不安の中で怯えて暮らすのか、この状況をどう良い方向に変えていくために考えるか。

人間は考えることから、状況を変えていけるものだと私は思っている。

今回、多くの人がこれまでに経験したことのない状況に直面しているのは紛れもない事実だろう。おそらく、それは世の中の経営者も同じだと思う。
誰もが経験したことのない状況に置かれている。

しかし、だからと言って、会社に行けない事であったり、活動を自粛することは身体的な移動を控えるということであり、思考を止めろということでは断じて無い。そう言った意味で、活動をしないことを決められたわけではないのだと私は思っている。

こんな時だからこそ、一人一人が日頃感じている問題を自分の最も近い場所から良い方向に変えてゆくための方法を考える時だと私は思う。

命より大切なものなどあるはずがない。

誤解をしないで頂きたいのは、何より大切なことは、自分の命を守ることだ。あなたにとって大切な人の命を守るために、自分の命を守ることだ。そして、自分を含めたあらゆる守りたい命を守るために自分が何をすべきか考えることだ。

不要不急の外出を控えることは命を守ることである。まずは自分の命や、自分の一部とも言える大切なひとの命を守ることを第一に考え、自分を中心に身近な人たちの命を守るためにできることを考えるこだ。自分を中心に輪をイメージし、その輪を広げて行った時、自分と社会の間にある境界線があることに気づくと思います。私はその距離感を半径5mの距離と言っています。この半径5mの距離にある人たちのことをまずは考え、その人たちの命を守ることとは、どうするべきなのかを考えてみてほしい。

そして、その5mの境界線の先にあるのが、仕事だと私は思っている。

人と社会は仕事によって繋がっていると私は考えている。
それは、そこに役割が存在しているからだと思う。

この機会に自分の半径5mの大切なひとの命を守ることを考え、自分が社会とつながっている仕事、つまり役割の中で何ができるかを考え、行動する。何度も言うが行動とは、身体を動かす事だけではない。

働き方を考える時。生き方を考える時。
その先に、働き方を変え、生き方を変える事ができる未来があるはずだ。

はっきり言って、今の日本の政治家は0点だと思う。
なぜなら、こんな時に国民の心が政治家から離れているからである。
その時点で、あそこに彼らが居る資格はない。

では、一体それは、誰が悪いのだろうか。それは、日々自分たちのことを考えなかった人たちではないだろうか。少なからず、彼らは私たちが行なった選挙によって選ばれてしまっている。今の政治家が0点であるということは、それを選んだ私たち国民は同じく0点だろう。

私は、あいつらに投票してない。
マジ、投票に行かなかったやつ、ほんまに終わってる。

などと言っても、もう後の祭りなのだ。

選挙に行かない空気を認める空気が、社会全体において以前からあったことは、否定できないのではないだろうか。

そこで、お前は馬鹿だとか、最低だとかの相手を罵倒する言葉は不要なのではないだろうか。政府に望む事、やってほしいことを冷静に訴えかける事が何よりも大切ではないだろうか。『クソ政治家が!お前らほんまマジ終わってる。』とか、『こんなこと言う奴は、政府の犬だ!こいつらは俺たちの気持ちなんてわかんねー最低な奴だ!』と言うような内容は、冷静さを欠いた無駄で実に幼稚なものだ。

大切なのは、『私はこう思う。こうしてほしい』と言うあなたの中から出てきた、あなたが望む自身の言葉であり、意見なのではないだろうか。

罵詈雑言のような無駄な言葉に、あなたが本当に伝えたい言葉が埋もれてはいけない。そんな言葉によって、あなたが政府に求める事や、あなたが考えた状況を良くするための意見を伝えるために、一番重要であるあなたの正義が薄れてはいけない。そんな無駄な文字数を使うくらいなら、もっと要求を整理し、相手に伝わる言葉で真っ直ぐに伝えるべきだろう。

だから、私たちはまずは、考えなければならない。


1日も早く、今の事態が終息に向かいますように。
そして、大切な命を守りたいと願うあなたの心の言葉が、そのままの美しい姿で、伝わるべき人に伝わりますように。そして、そのメッセージを受け取った人たちが、伝えてくれた人たちの心を裏切ることがないよう、全ての命を守るための努力を怠ることがありませんように。

命より大切なものなどあるはずがない。

だからこそ、私たちは考えなければならないのだ。


長々失礼しました。

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