見出し画像

テキスト『あなたの魂がぬけていく以前の話』

これから、昔の話をします。

かといって、「むか〜しむかし」で始まる昔話ほど昔じゃなくて、”さっき”と”あの時”のあいだくらいの昔です。

あなたは、これまでずっとつつましく生活を続けてきて、この生活が、終わったりすることなんか考えたことは無かったと思います。
しかし、終わりというのは、その瞬間おとずれるように見えても、実際の終わりというのは、じわじわと、鉄が錆びて朽ちていくようにして、忍び寄っています。それに気づかずに、身体に触れるか触れないかあたりのデッドラインを超えてから認識をしても遅いということをあなたは嫌というほど知っているはずなのに、今回も、今回も、それと同じようなことです。

「終焉は明滅を繰り返しながら私たちの周りを踊っている」って何回も話したし、LINEでも沢山話したと思うんですけど、実際そうですよね。
苦しみに実感が伴ってからもがくのは、滑稽極まりないと私は思います。

でもねでもね、知って言っているんですけど、忍び寄って来ないパターンもありえるんですよね。
急にボガーンってね、壊されるパターン。
それは”改革”って言葉がニコイチで考えられると思うんですけど、まあ、それは、置いておいて、本筋に戻しますね。

生活が壊されて、終わったりすることを想像したことあります?
想像してくれなくても、これから確定で訪れるんで、想像をしていても、デジャブみたいになると思うから、出来ない場合は無理にすることはないんですけどね。

あなたの知っている人たちは不満を漏らし続けながら息絶えて、あなたが知っている場所のすべては朽ちきり果ててしまいます。
そんな時にあなたは何をしていますか?とか言いたいわけじゃなくて、こんなことが現在進行形で進んでいるものもあれば、部分的に見ると、既に終わりきっているものもあります。具体例を出さなくても、思い浮かぶものがあるならばそれです。ってことです。

ここまで熱をもって話しているようにみえるかもしれませんけど、全ては過去のことです。
これからの未来の話をするために、確認していることです。

もうここまで言っても戻って来ないことはわかっているつもりです。
短絡的かもしれませんが、こういうロマンチシズムに近い、地に足ついてないみたいなことを言ってしまいます。

懐古主義になるのも仕方ない。そうならざるを得ない。
最近は、未来に向かうために確認している過去のことがうらやましくてどうしようもないです。

近未来って言葉は死語じゃないですか?

お読みいただきありがとうございました。