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「印象・日の出」(モネ)を語る


印象・日の出

パリオリンピックが話題となっている世間。
その前の6月にパリに行ってきたのですが、その中で印象に残ったものを語っていこうと思います。

特に狙ったわけではないのですが、パリと言えば芸術、ド素人でもアートを語らないわけにはいかず、その中でもフランスを代表する画家としてクロード・モネと時代を作ったと言われる「印象・日の出」をまず持ってこないわけにはいかないでしょう。パリの有名なものは他にもありますが、モナリザはイタリア人画家作だし、ミロのビーナスやサモトラケのニケはギリシャだし、マリー・アントワネットはオーストリア人で、ナポレオンはコルシカ人ですしね。

さて、この「印象・日の出」が凄いぞというか、ヤバいぞという話をしていきたいのですが、正直、教科書とかでもこれが印象派の結成きっかけになったとして大きく取り上げられても「なんかぼやぼやしている」以上の感想しかない人も多いと思います。私もその一人でした。
いわゆる現代アートに否定的な気持ちを持つ一般庶民の感覚からすると、玄人ぶっている人が持ち上げているんだろうなというド偏見でも正当化されるものでしかありませんでした。

まず「印象・日の出」はパリのルーブルに次ぐ巨大美術館オルセーで見てきたのですが、まず入って立ち並ぶアート作品が大体教科書にある有名どころ、知らないものも大体なんか見たことある気がするというものが並んでいます。
この時点でも凄いのですが、大体想像よりもデカくて迫力も桁違い。
なんといいますか、一昔前のテレビ映画と巨額を注ぎこんだハリウッド映画くらいの差があるようなイメージです。人物も背景も描き込みがヤバい(語彙不足)。これを見てしまうとネット民の言う「絵師」という言葉が恥ずかしくなります。単にイラストレーターでいいんじゃないですかね。
そんな超級品物たちが所狭しと並んでいる中で、こんなぼやぼやした「印象・日の出」がそもそも印象に残るかというと…残るんですよ、これががっつりと。ここがまず凄い。

「印象・日の出」は絵のサイズ的には他の大作に比べるとそこまで大きくはありません。それでもこのサムネイルにしているもののイメージよりはかなり大きかったですが。
芸術を齧った人に「ちゃんと現物を見ないとわからないよ」みたいに言われてムッとした人は多いかと思いますが、残念ですがその通りでした。これは実際に見ないと全く分からない系のものです。
なんでそうなるかというと"絵の具の重ね方が立体的"なんですよ。

行ってみて気がついたのですが、基本、アカデミーと言われる古典的な絵に関しては絵の具そのものの置き方は結構平坦です。逆に言えば、平坦な絵であるが、技巧を駆使して立体であったり奥行きを見せるということに魂を燃やしてきたわけです。
ただ、それにも限界があるというか、概ねその方針は頂点が見えてきてしまったのだと思います。

「印象・日の出」はじゃあリアリティよりも印象に振った方が良いよね、みたいな雑な解説もあったりするのですが、個人的にはこの絵はまだまだリアルを追求する部分があるというか、むしろ主題はそこにあったんだと思います。限界が見えているけど限界を超えようとしていると言いますか。

ただ、狙った本来のモチーフをしっかり見せたいので、港、小船、人が描かれていますが、ディテールはがっつり削って影のようになっています。
この作品で見せたいのはタイトルにある「日の出」で、ここの絵の具の置き方に異常なほど拘っています。
そして、その絵の具が絶妙に置かれているので、まるで本当に日の出の場面に遭遇したような"錯覚"さえ覚えます。
絵の前に立つと「えっ?」という感覚になり、左右から見たり、ちょっと離れて見てみたりします。そうすると絵の具に光が反射してその反射具合がまさに日の出のそれなんです。
こういう絵の前でうろうろする人たまに見たことがあり、ちょっとおかしいマニアかなぐらいに思ってましたが、まさか自分がやるとは思いませんでした。
恐らく後発作でもこういう表現を(上手いかは別にして)ある程度狙ったものがあり、そういう作品は絵の周りを動いてみるということがあるのは普通なんでしょうね。無知で申し訳なかったです。

表現は悪いですが、とにかくこの絵は"ジャンル違い"だったのだと思います。2Dの恋愛映画を見に行こうと思って行ったら、4Dのアクションじゃん、みたいな。
実際、比喩表現でもなくこの絵動くんですもん。もちろん、視覚効果を科学的に研究して作ったというのとも違うので、その効果は限定的なんですが、絶妙に光がちらちらしてしかも絵としてのバランスも保っているからよいといいますか。当時の人も衝撃を受けたのだと思います。

それでどうなっちゃったかというと、歴史においてはまぁ普通に賞を逃しました。
だって微妙にレギュレーション違反みたいなものですもの。
もちろん、ちゃんとサロンという絵画発表の場における参加資格という面では十分だし、禁止する規定もないんですが、だからってこういうことができるのはみんななんとなくわかってはいたけど、それに全振りしたようなのが出てくるとは思わないわけです。
だから賞を与えなかった人たちの褒めたくない気持ちも良くわかるし、逆に「なんでここまで突き詰めた作品が無冠なの?」という人たちの気持ちも痛いほどわかるんですよ。

そんなわけで「いつまでもアカデミーのやり方じゃやってられない」という芸術家の派閥ができるわけなのですが、まぁこの作品が出ても出なくてもある意味絵の表現の限界は来ていたのでどこかでそういう流れになっただろうことは想像でき、「印象・日の出」もあくまできっかけにしやすかっただけなんだろうとは思います。
それでも、やはり思ってもやり切るかやり切れるかというのは別ですから、個人的には素直に称賛したいです。

クロード・モネという人も経歴的にはそこまで突拍子もあるわけではなく、この絵も実は真面目に絵の具を使った絵の表現を突き詰めた結果だったんだろうな、という気がします。
でも、得てして実は改革者と後から扱われる人ってそんな感じだったりするかもしれません(逆に改革者を自分で名乗る人、大体保守チックですしね…)。

まぁ結論としてはやはり見た方がいいですよ、そして周りにたくさんあるアカデミーの絵画と比べてみるとすごくおもしろかったですよ、ということになります。
そして、「見なきゃわからない」という人はもうちょっとこんな感じの説明が欲しかったなというところで。

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