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どこまで身を削る? 健康と自分らしさ 〜私のドレスコード遍歴・3〜

営業部門に戻って、間もなく。
ある日、自部にだけ、「内勤の役付者女性も、毎日制服を着るべし」とお達しが出た。全社的なルールではなく、上司である部長が決めたローカル・ルールである。
納得がいかずに上にかけあったが、結局、最新の黒系制服を着る羽目になった。敢えて書かないが、この時、上司や、判断役の総務部員にかけられた理不尽な言葉を、忘れることはないだろう。

諦めて、制服を身に着けはじめて。1ヵ月もしないうちに、私の肌に異変が起きた。上半身の各所が広範囲に被れてしまったのだ。新しい制服のブラウスが原因である。
元々肌が弱く、化繊の服は苦手だったが。ここまで酷い症状が出たのは初めてだった。リニューアルごとに、制服の素材の質が落ちていたのかもしれない。また、内勤と言いながら、外部の別部署と掛け持ちの、夜討ち朝駆けのようなハードな働き方で、疲労も相当溜まっていた。
初めて金属アレルギーになったのもこの夏だ。持病の顎関節症の悪化も著しく、免疫力が落ち、空調の風が当たるだけで気分が悪くなった。しかし制服&服飾規定を守ると、首元や足元の保護は叶わないのだった。

「理不尽ドレスコードで身を削る? ありえない…」
私は四十路にして、制服改造と校則?破りに本腰を入れた。

私の校則破りは部内で問題になったが、結局うやむやに…その秋に、労災事故を起こしたからだ。
業務中に、左足首を骨折した。怪我をした後も休みは全く取れず、半年近く、杖を突いて出社し、勤務を続けた。
さすがに誰も、杖付きの私に「制服に着替えろ」とは言わなくなった。
その後、この怪我(と、それを押しての勤務継続)をきっかけに、体力・気力が限界を迎えた私は、初めての長い休職を経験することになる。

休職中、主治医や各種の医師・施術者から、スニーカーを履け、健康維持に適した服を着ろ…と細かく指示された。
今までしてきた格好、したくても出来なかった格好もあれば、全く視野になかった指摘もあった。わかっているのは、我が「ぜんざい公社」の営業部門に普通に復職したら、出来ない服装ばかりだということだ。
リワーク通所中に、
「服装も、徐々に会社仕様に戻していきましょう」と言われた頃から、私は、どうやって復帰時のドレスコード負荷を下げるべきか、と考え始めた。

さて。
交渉と幸運の結果、今、私は入社以来最もドレスコードの寛容な職場にいる。

復職時、「そこそこきちんとしていれば何でも良い」と上司に言われ、顎関節症のケアに適したハイネックカットソーとロングスカート、リュックで出社した。何の問題もなかった。土曜日はカジュアルデーで、ジーンズ出社も許されていた。
緊急事態宣言を機に、ビル全体が、全日カジュアルデーに移行。宣言が解除されると、早々に9月末までのクールビズ導入が発表された。

マスク通勤が辛い昨今、私もかなりの頻度でカジュアル&クールビズで出勤している。ジーンズで出社したことはないが、Tシャツやスニーカーの出番は多い。休日に友人とウォーキングに行くのと、大差ない格好だ。
今後、コロナの状況がどうなるのか。クールビズ終了後は以前に戻るのか。
未来は、わからない(…世の無駄なドレスコードが殲滅される未来が来ますように)。が、自分の健康を犠牲にするようなドレスコードを強いられる事はもうない…と、思う。

むしろ気になるのは、
「本当に、私はこれで、満足なのか」
ということだ。
もう7センチヒールを履き潰すことはない。しかし、ヒールを履かない人生と思い決めたつもりもない。友人とのウォーキングは大好きだが、その時の格好を、最も自分らしい姿と感じているわけでもないのだ。

規制が最低限になった今、その日の体調に合った服を選べる幸せを手に入れた今。
子供の頃のように、「好きな服」を着たい。カラス時代、金魚時代の経験を糧に、心から満足できる装いをしたいのだ。

久々に読んだファッション本、山本あきこ氏の『これまでの服が、似合わなくなったら』で、そんな思いを新たにした。
健康と自分らしさのバランスをとりながら、私だけのドレスコードを作るのは、これからだ。

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