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越乃寒梅とお義父さんと:元教授、定年退職74日目

前回、新潟の「へぎそば」の話を書きました。その際に、新潟のお酒「越乃寒梅」の思い出がよみがえってきました(タイトル写真:注1)。今日はその話にお付き合い下さい。


私が「越乃寒梅」を初めて口にしたのは、今から約35年前のこと。さすがに記憶が曖昧ですが、当時新潟出身の教え子がいて、お兄さんの結婚式でもらったものを持ってきてくれたのです。ちなみにその教え子は、先日の私の最終講義に来てくれ、久しぶりの再会を懐しみました。会った瞬間に、その当時に戻った気がして嬉しかったです。

当時はバブル期で、いろいろな銘酒を探しては、楽しんだ記憶があります。そういう時代だったと思いますが、たとえばシャンパンのドンペリなど、味もわからないのに安売り店で何本も買い込んでコンパに持って行ったことを覚えています。


さて「越乃寒梅」に戻りますと、飲み口がとても爽やかで、スッと胃に入る感じは初めての衝撃でした。特に私は辛口のお酒が好きだったので、これ以上ない大好きな味でした。


実は二十代の頃、私は日本酒があまり得意ではありませんでした。コンパで安い甘い日本酒を飲み過ぎたせいかもしれませんがw、その甘さが合わない気がしました。そんなある日、研究室の高知出身の先輩が「それなら辛口の酒がいい」と教えてくれて、持ってきてくれたのが「土佐鶴」という高知のお酒でした。研究室で深夜に味わったそのお酒は二級酒でしたが、それはそれは美味しかったです。それ以来、頼めるときは必ず辛口のお酒を注文するようになりました(もちろん、肴との相性も抜群です)。


少し話が逸れましたが、そんな私にとって理想のお酒が「越乃寒梅」でした。しかし、一つ問題がありました。それは、どこにも売っていなかったことです。最初の時はたまたま新潟の方の祝い事で手に入りましたが、その後、酒屋をどれだけ探しても全く見つかりませんでした(今のように、Amazon もなかった時代なので)。それでも、あらゆる酒屋をしらみつぶしに回りました。そして、ついに手に入れた「越乃寒梅」を、当時結婚直後だった私は、大のお酒好きのお義父さんの住む神戸に持参しました(下写真:注1)。いやー、喜ばれました。特に、関西では関東以上に入手困難だったようで、大感激してくれました。友人たちにも自慢していたそうで、義理の息子として面目躍如でした。

越乃寒梅:石本酒造ホームページより


それ以来、神戸に伺うたびに「越乃寒梅は手に入ったか?」が挨拶代わりになるほどでした。それほどまで喜んでもらえたことが、本当に嬉しかったです。最終的には「越乃寒梅 別撰」という特別なものまで手に入れることができました(下写真:注1)。すると今度は、義父から大阪・池田の銘酒「呉春」というお酒を教えてもらい、私はこれも大好きになりました。辛口ではありませんが、スッキリとした飲みやすいお酒でした。

越乃寒梅 別撰:石本酒造ホームページより


お義父さんは、神戸の震災後に京都の宇治に移り住み、2005年に他界しましたが、今でも私は「越乃寒梅」を見る度にお義父さんを思い出します。


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注1:越乃寒梅公式サイト(石本酒造)より
https://koshinokanbai.co.jp/


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