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花の雲路(くもぢ)をしるべにて。

「花の雲路(くもぢ)をしるべにて」は、能の謡曲「吉野天人」の冒頭の歌詞で、私の知る数少ない謡曲の内でもとりわけ好きな曲だ。

花はもちろん、この季節の「桜」のことで、今も吉野山の桜はその壮麗さで有名である。

昔、京の都に住む一人の都人(みやこびと)がいた。毎年「京都嵐山の桜」を愛でていたが、その嵐山の桜が、元はと言えば御吉野山の千本桜を移したものだという伝説を聞いて、その桜を見に行こうと吉野山へ足を運ぶ。
いよいよ吉野山に着いて、見事な桜に感じ入っていたところ、そこに一人の美しい女性が現れる。
不思議に思って声を掛けると「このあたりに住む者ですが、春の気配に花を友として暮らしているのです」という。
こんな山中にいるとは思われない高貴な姿に、都人は不審に思うものの、桜の花の元では、知り合いであろうとなかろうとその美しさに帰ることも忘れて見入ってしまうものだ。
とはいえ、ますます女性への不審な思いはつのり、再び何者かを尋ねると、実はその女性は天人で、花に魅かれてこの吉野山に降りたのだと告げる。
そして、もし信心をするならば、その昔、天武天皇が吉野に行幸された際に天人が舞ったという「五節の舞」をお見せしましょうと言って、月の夜に舞い、天女は天に消えていく。

といった、実に幻想的な、桜と春の宵の歌だ。

花の盛りともなれば、日本の各地で人々が外へ出て桜の木の下に集まり、知る人も知らぬ人も酒や御馳走を持ち寄って、ともに花を愛でたものだが、ここ数年はすっかり静かになってしまった。
桜にとってはありがたいことだろうが、古い人間としては、ついつい昔を懐かしく思うこともある。
せめて、同じ桜を見上げつつ「綺麗ですねえ」と言葉を交わし合いたいものだ。


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