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映画『バビ・ヤール』感想~いつまでも続く「顔」の迫力と権力の軽さ~

セルゲイ・ロズニツァ監督のドキュメンタリー映画は「顔」をキーワードとして語られることが多いと思います。

二時間以上スターリンの葬式映像を編集し流した『国葬』でも、「偉大なる人物」の死に対し、悲しんだり様々な反応をする人民の顔がこれでもかと映し出されます。

今回紹介する戦争の記録映像を練り上げて制作された『バビ・ヤール』においても、「顔」は重要なキーワードとなります。

戦後約50年間にもわたり隠蔽されていた事件「バビヤール大虐殺」。2日間で3万人以上の被害者を出した悲劇を全編アーカイブ映像で観客に"体験"させる映画『バビ・ヤール』GOOD CINEMA PICKS #35 | NEUT Magazine

(以下ネタバレあり)

第二次大戦中、(当時ソ連を構成する一共和国であった)ウクライナにナチス・ドイツが侵略します。轟音。進撃する戦車。村を捜索するドイツ軍。(市民との会話に簡単な英語が使われていたのは驚きました)街でドイツ軍を出迎えるウクライナ市民。(プロパガンダ要素もあるでしょうが、スターリンの過酷な統治から少なからずドイツ軍は本心で歓迎されていたことでしょう)

そして圧巻なのが、疲れ切ったソ連軍捕虜の列です。飛行機から撮られた、ウクライナの広大な大地の上を延々と続く列にも圧倒されますし、近景の、疲れ切った顔、不安そうな顔、汚れた顔がいくつも並ぶ様も圧倒的です。(白人からアジア系まで様々な捕虜がいて、多民族国家ソ連が垣間見えます)

また「ソ連の虐殺者の共犯」とされ、ウクライナ人とドイツ軍に連行され暴行されるユダヤ人の憔悴、不安、悲哀といった様々な表情の顔……決してあってはならなかったが、価値ある映像が時系列に沿って重ねられていき、大量虐殺の惨劇へと繋がっていきます。

この映像を「選び、編集する」という技術の高さがあることによって、人々の遠景も近景も、馬や戦車等の兵器も、焼け落ちる建物や村も……全ての映像が「顔」を持ち、観る人は顔を背けたくとも背けられなくなります。ドキュメンタリーだから容赦無く「出演者」達はカメラ目線で、観る人にその時々の極限の表情を向けます。

しかし大量のユダヤ人が連行され射殺されたバビ・ヤールの大量虐殺は、鳥のさえずりとともに、殺された人々の遺体の写真が映し出されるだけ。どこか「軽さ」すら感じる演出からは、独裁者スターリンを倒すために進撃し、ウクライナ人や一部捕虜から歓迎されもするナチス・ドイツが、結局は解放者たり得なかったという滑稽さを感じます。

ナチス・ドイツの理想は結局災厄と破壊しかもたらさなかったのだと。

映画の後半では、ソ連軍が巻き返し、ウクライナを「解放」していきます。力強い「解放者」を歓迎するウクライナ人。疲れ切って延々と歩いていくドイツ軍捕虜。そして暴かれる残虐行為の跡。

ドイツ軍が進撃した前半の逆回しを見ている印象であり、そこから戦後の大虐殺の裁判、元ドイツ軍将兵達の絞首刑に繋がる流れは圧巻です。
(前述の大量虐殺の「軽い」映像の後に、ランズマンの詩を長めに取り入れたり、戦後の裁判では生き残った人々や目撃者等の証言が、圧巻の流れの中に取り入れられることで、単に大量虐殺を「滑稽で軽いもの」と扱ってしまうのを防いでいるように感じました)

最後にロズニツァ監督は、大量虐殺現場が廃棄物処理工場として使われ、何事も無かったように建設や稼働が進む映像を持ってきます。前半のドイツ軍進撃と同じように、後半で「解放者」となりナチスの罪を裁いたソ連も、結局は歴史を継いでいく責任を果たさず、忘却に任せるという滑稽さを持っていたことになるでしょう。

それは戦後しばらくしてユダヤ人の存在自体を軽視する方向に行ってしまったソ連を象徴していると言えますし、国内外問わず様々な衝突や事件について、単純な構図をメディアやSNSから与えられるまま熱狂し、しばらくしたら忘れてしまい、それがまた別な悲劇を準備するという、私達自身が陥りがちなサイクルを表しているとも言えそうです。



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