【算数文章問題から考える】子どもの成長が楽しみになった件
小学3年生の娘が、算数の宿題をやりながらつぶやく。
「バナナ1本10円、やっす(安い)!」
「リンゴが1個100円も安いよなあ」
うんうん、確かに安いよね。バナナ1本10円なんて、まず見たことないよ。
それを聞いていた小学4年の息子も参戦。
「こっちの問題もすごいで。1日で8人が切り傷って多いやろ。やばくない?」
ん?保健室に行った人の数かな?
いや~、それにしても全校生徒何人か書いてないから、マンモス校だったら少ないほうかもよ。
君たちは1学年1クラスしかなくて全校生徒は200人弱だけど、きっとこの問題で取り上げられている学校は1学年4クラスくらいはあるんじゃないの?
私は子どものつぶやきに笑顔で反応しつつ、思わず心の中でツッコミを入れる。
目の前の問題を読みながら、自分の身近なこととして考える子どもの視点。子どもらしくてかわいいなあと思いつつ、素敵だなあとも思う。
私自身も昔はそうだったような気がする。多分。
子どもたちの将来を想像しながら、自分自身の過去を振り返ってみた。
だんだん問題を解くことに必死になって、現実の相場とか実際の身の回りのことなんか考える余裕がなくなった小学校高学年。
そして中高生になると、あまりにも現実とはかけ離れた答えが出ていた時に、「ちょっと自分の答えは間違っているかも?」と考えるヒントにするようになった。
小学校高学年とは違った意味で問題に必死、そして点を取るために何でもヒントにするようになった、といったところか。
社会人になると、文章題として考えるよりも、数字は数字、それ以上でもそれ以下でもなくなってしまった気がする。
最近の私、すなわち主婦になるとどうなるか。
消費税が8%から10%に上がる直前、中学生の長女が友だちから聞いた話を報告してきたときに思わずそろばんをはじいていた。
「今お家を買わないと、消費税が上がった時に60万円も払う金額が違ってくるんだって。だから今のうちに買う、って言ってた。」
中学生の娘はまだ総額を計算しようとは思わなかったらしい。
そんなことを考えるのは、隣の庭が気になる大人だけか。
それにしても、小学生が考えることは可愛いらしい。
ただ、これがずっと続いても困る、とも思う。
問題を解かずに余計なことを考えて先に進めないようでは大変だ。
彼らは今後どんな道をたどって成長していくのだろうか。私と同じような道をたどるのであろうか?
今後が楽しみである。
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