免れることはない。
朝起きて、ああもうだめだ何もかも、と思いながら洗面所に行って蛇口をひねれば、潤沢な水が出てくる。
あのときなんであんなことを、と過去を悔やみながらケトルを火にかければ、いい塩梅の火加減で炎があらわれる。
なぜあんな風に言われなければならんのだ、と憤りながらディスプレイのスイッチを押せば、あっという間に湯船にお湯がたまる。
はあ、と、日々しんしんと降り積もるストレスにため息をつけば、ふいに友人から電話が入って、寄る辺ない気持ちを聞いてもらえる。
その他もろもろ、こんなにもあんなにも。
もういい加減に幸福に降参し、目の前に現れるものひとつひとつの正体に気付きたい。
日常の様々に応援され支えられてることを、感謝とともに気づける人生でありたいけれど、
私はいつも自分のことばかり考えているなあと、
ひとり反省会をしながらお茶碗を洗う。
そんなものおもいを全部ひとりでに完結させて、
素知らぬフリで回覧板をおとなりにまわし、
夕ご飯の支度を始める。
支度というか、
今夜はスーパーのお寿司なんだった。
幸せがここにもまた。
二男が歯を磨きながら鼻歌を歌っていて
今日は幸せそうに見える。
とても幸せそうに見えるんだが。
その実わからない。
何があっても
どん底のように見えるだけで、
幸せからは決して免れることはできないと
いつか知るだろう、と、願うように思う。
とにもかくにも
私は子供の幸せを願いすぎている。
不登校になってから特に。
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