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新刊「富山売薬薩摩組」が発売されます

 著者と編集者の関係は、ピッチャーとキャッチャーだと言われます。どんな作品を書いても、受け止めてくれる編集者がいなければ、本にはならないのです。それにピッチャーが好きな玉を投げる場合もあれば、キャッチャーがサインを出して、ピッチャーが、それに従う場合もあります。今度の新刊は完全に後者でした。
 古くから富山藩には薬の行商の制度があり、行先別に紀州組、駿河組などと組分けされていて、もっとも遠く、もっとも旅が厳しいのが薩摩組でした。まして薩摩は他国人の入国を嫌う国柄。そんな中で入国が許されたのが、富山の薬売りたちでした。
 江戸後期に薩摩藩の家老だった調所広郷が、破綻寸前だった藩の経済を、密貿易によって立て直したことは、比較的、よく知られています。薩摩組の薬売りたちは自前の船を持って、これに手を貸しました。でも船が遭難したり、その乗り手たちがアメリカの捕鯨船に助けられて、思いがけなく帰国したり。さまざまな事件が起きました。「このドラマチックな史実を小説に」というのが編集者からの依頼だったのです。
 今回の編集者は、以前「不抜の剣」という本を作ってくれた人で、そのときの題材も編集者からの提案でした。ハードカバーの単行本が売れないという昨今に、珍しく「不抜の剣」は重版がかかりました。有名書店で、長く平台に置かれた本でもありました。さすがに編集者の目は確かなようで、私が自分から「書きたい」と申し出た本よりも、ずっと売れたのです。

植松三十里著「不抜の剣」

 それで「次作も」ということになり、富山まで取材に連れて行ってもらったのが、かれこれ4〜5年前。でも、いざ書くとなると悩みました。なにせ密貿易は大罪。それに手を染めた人たちを、どう養護したらいいのか。多すぎるほどの事件を、どこまで取り入れるか。

富山取材中に売薬さん人形とツーショット

 だいいち誰を主人公にすべきなのかも迷いました。私は本来、知られていない人物や、歴史的評価の低い人物を見つけて、その言い分を書いてあげたいという思いが強いのです。だから最初から主人公が決まっているのが常で、誰を選んだらいいのか、当初、見当がつきませんでした。
 そうこうしているうちに、ほかから執筆依頼があれば、つい、そっちを先にしてしまい、このテーマは、どんどん後送りに。「編集者は待つのも仕事」と言ってくれる人もいますが、さすがに限度があります。私は依頼された仕事は、ほとんど断らず、なんとしても納得のいく作品にして応えたいという思いがあります。そんなこんなで、もがきながらも、ちょっとずつアイディアがまとまってきて、着手に至りました。
 薩摩組が密貿易に手を染めたのは、中国から輸入される漢方薬を、できるだけ低価格で手に入れて、庶民に提供したかったからでしょう。それに幕府にとっては大罪でも、開国への先駆けととらえれば正義になります。そこまで筋道が見えてくると、おのずから主人公や脇役たちのキャラクターも定まり、なんとかラストまで書けました。
 その間、鹿児島はもちろん、北海道や韓国まで取材に行きました。書き上げてからも、なんとなく薄い部分があり、取材に行くと、登場人物の動きが見えてきて、要所要所が濃くなるのです。
 そうして苦労して書いた過程と、もとの史実を解説し、そこから歴史小説として、どう膨らましたかなどを、今月の幕末史研究会で話します。史実とフィクションの境い目は、マジシャンが種明かしをするようなもので、本来は隠しておくものなのですが、今回は披露します。なので歴史小説の書き方に興味をお持ちの方は、ぜひ足をお運びください。日時や会場については、下の幕末史研究会のサイトで、ご確認を!


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