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苛つきと歌と漫画といちゃつきと家庭内恋愛

本当にやりたいことがわかってるかどうかで、人生は劇的に左右されると思う。
本当にやりたいことがわからなくて、幸せではあるが何かが足りないと感じる人は多いと思う。
かく言うわたしもそうだった。

「だった。」と過去形にしたのは、ひとつ、本当にやりたいことがわかったからだ。


それは。
「いちゃいちゃしたい」だ。


相方さんとはレスではないし、ハグやおやすみのキスくらいのスキンシップもそれなりにあるし、
何よりも息子がわたしと相方さんとのスキンシップを催促するので
一度は離婚の危機と完全なレスになったにも関わらず
ありがたいことに復活できたしそれ以来疎遠になることはなかった。

が、しかし。
掴みきれないが確実な不足感があって、セックスにも積極的に臨めずにいて
相方さんからのスキンシップに若干苛つく自分がいた。


ストレスを溜めないようにと常日頃からいろいろと解放したり緩めたり
できることはしているにも関わらず時折くるこの閉塞感。


セックスを変える必要性がある?とも思ったがそれは過去何度か試し済み。
マンネリは解消しても次のマンネリが風物詩の如くやってくるので、そこへのテコ入れも違うと感じる。
相方さんとはセックス感に多少ギャップがあるのは事実だが、それを相手に指摘するのも違う。
かと言ってわたしが合わせすぎるのも違う。


でも性的なところに引っ掛かりがあると感じるのは確かなので
いっそのことお互い別々のセックス相手を持ち、フィードバックを得ることでセックスのバージョンアップをしてみるか?
でもそれは嫌だと相方さんが言うなら、もう離婚してそれぞれの道を進むのか?

なんて、一気に離婚までのネガティブパラレルワールドを脳内シミュレーター起動&爆速で算出する始末。


違う違う、そうじゃ、そうじゃなーいー♪
鈴木雅之を召喚し算出結果を破棄しつつも、違う結果が見えてこないので悶々としていた。


そこで前回の記事で書いた「ハルカミライ」の曲がたまたまかかったのだ。

不思議なほど一気に、ふっと。心がその曲に共振したのがわかった。
「いや、相方さんは簡単にわたしを否定せず、散々受け入れてくれたじゃないか。そんな大切な人ともっと大切な時間を生きていきたい。」
と胸に湧いてきた。


そこから相方さんと出会った時まで一瞬で遡り、大切な思い出がフラッシュバックしてきた。
同時に胸が温かくなって、モヤが晴れて大きな大きな安心感を覚えた。


からの、たまたま見た漫画がクリティカルヒット。
講談社の姉フレンド掲載「俺の声に堕ちてください」と言う女性漫画だ。


女性漫画なので性的な描写も18禁ではない程度だがきちんと描かれていて
この登場人物の素直さや、コンプレックスと自分の欲に正直であろうと自分自身に向き合うことや
透明感のある関係性がとても素敵だなと思って。


漫画はたくさん読むけれど、なぜかこの作品にとてもとても心惹かれて何度も読むうちに、これまた作品の世界観に共振していて。
「あ、わたし、いちゃつきたいんだ」
と、胸の底からふわっと聞こえてきた。


セックスのことを考えるとハードル増し増しに高く感じるけど
いちゃつくとなると路上の縁石くらいに一気にハードルが下がった。

そして、わたしにとっていちゃつくのは
まさになくてはならないものだったことに、やっと気づき、自覚した。


性の目覚めが早かったわたしは、無意識にいちゃつくことを抑えていたようだ。
もちろん過去に色々やらかしたり否定されたりしたからだが。

でもやっぱり大事なのだ。
セックスも大事だが、それより何より、いちゃつきたいのだ。
セックスはその延長線上にある方が、わたしには自然で気負いがない。


子供の自己肯定感を育むのも、性教育も、夫婦仲が鍵。
そう思って取り組んできたことがたくさんあるが、
何かが不調和で「ズレ」を感じていた。


あぁそうか。
わたしが我慢してたからだ!

とわかってからは一斉に心に光が差し込んで、命が明るくなった感覚になり
いちゃつきモード炸裂。
一気に付き合いたての感覚が蘇る。
相方さんへの態度が一変。
そして息子喜ぶ。
わたし潤い満たされ、ルンルン。


普通のハグとかチューとかじゃ物足りなかったんだな。

いわゆる恋人同士のいちゃつきが
わたしにはどうやら必要だと、心底納得した。
そしてどうやら、わたしはその分野が得意なのだと、観念した。


ここから相方さんとの関係性がどう発展していくか、とても楽しみだ。
何歳になっても自分の「やりたいこと」はちゃんと表現していきたい。
たとえ、体型が崩れても、保湿力が弱くなっても、色気のある人であり続けたい。

愛せる相手に恋をし続ける。そんな夢を叶えたい。


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