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投資版フランス革命「ダム・マネー」にみるコロナ禍のインフルエンサー論

"投資版フランス革命"というワードがまさに言い得て妙!個人投資家たちがウォール街のエリート投資家たちにギャフンと言わせた実話をもとにした映画「ダム・マネー ウォール街を狙え!」。
ポール・ダノが赤いハチマキを巻いたオタク全開キャラなティザービジュアルを信じて観た。間違いなかった。

「ダム・マネー ウォール街を狙え!」日本版ポスターより。© 2023, BBP Antisocial, LLC. All rights reserved.


この実話、コロナ禍に起きた出来事だそうだ。たった3年ほど前に海の向こうで実際に起こった事件(革命というべきか)がもう映画化され、字幕までついて日本で公開されるのだから、そのスピード感には恐れ入る。

「ローリング・キティ」というふざけた名前の投資系インフルエンサーが、「このゲーム販売会社の株は過小評価されている!」と配信動画で熱弁。市井の個人投資家たちがその会社の株をこぞって買い、空売りで一儲けしようと思っていたヘッジファンドが大損害を被った、というのが大まかなことの顛末だ。

”投資”と聞くと、なんだか難しそうにも聞こえるが、投資のことはわからなくても大丈夫。赤いハチマキに猫Tシャツの「ローリング・キティ」は、いったいなぜ市井の民たちから信頼されたのか?というインフルエンサー論としても十分に興味深い映画なのだ。

「SNS全盛のこの時代だから個人が声を持つようになった」という、理由とも概略ともいうような、使い古されたクリシェ(たかだかここ数年の話にも関わらず)がそこかしこで聞こえてくるようだが、私はそんな単純な話でもないような気がしている。というか、なんだかよく分からない物足りなさをずっと感じてきた。
だって、個人だったらみんながみんな注目される訳じゃない。インフルエンサーになれるのは、”一部の個人”だ。広報・PRという仕事柄もあって、個人は個人でも、一般人とインフルエンサーの違いは何なのか?ということをここ近年頭の片隅で考えている。

直接会って話したこともない個人を信頼することは、本来とても難しいことだ。その人が"本当のこと"を話しているなんて、何を根拠に信じられるのだろう?

かつてはそれなりの規模の会社が運営するメディアが、専門家やKOLとして知名度のまだあまりない個人の声を広く届けた。バックに”それなりの規模の会社”がついているから、「まあ嘘は言っていないだろう」という担保にはなっていたと思う。

SNS以降の現代の信頼は、透明性によってもたらされるのかもしれない。「私以外にもこの人を信じている人がXX人もいる」という目に見える数値は、「この人を信じてもいいかもしれない」という集団の中での安心を与える。

また、ローリング・キティは動画で顔出しをし、ゲーム・ストップ社への愛を熱弁した。とりわけマスク着用を余儀なくされたコロナ禍では、動画越しとはいえ顔を出してコミュニケーションすることに多くの人が飢えていたのかもしれない。加えてなにより、金(残高)という世間一般の個人が絶対に気軽に見せないであろうものを公開したのが大きかっただろう。その透明性が「信頼に値する」と多くの人に判断させたのではないだろうか。

ただ、Xのユーザー数が突出しているという日本は文字と画の文化が他国に比べて比較的豊かだと感じており、顔出しをしなくても、動画でなくても、(何らかの才能に秀でていれば)集団の信頼を勝ち得ているインフルエンサーが数多くいるのもまた面白い。これぞまさにお国柄、だと思う。

余談だが、この映画を試写で観せていただいた直後くらいに、とある超有名動画系インフルエンサーの謝罪動画が絶賛されていたのをニュースで目にした。今や一般人ではなくセレブの彼を映すカメラのバックには危機管理の専門家(「ダム・マネー」の後半シーンでいうところの"配信画面には映らない人々")がいたはずだ。すでに個として信頼を勝ち得ていた”貯蓄”もダメージ減に寄与したのではないだろうか。

…インフルエンサー云々と書いてきたが、洋画好きならば映画館に行きたくなるキャスティングであることもまた間違いない。ゴシップ記事ではよく見かけるピート・デヴィットソンが演技しているところを初めてまじまじと観たのだが、このどうしようもない感じ、なんともはまり役。

  • 「ダム・マネー ウォール街を狙え!」(原題「Dumb Money」)105分

  • 公開:2023年(2024年2月2日 日本公開)

  • 出演:ポール・ダノ、ピート・デヴィットソン、ヴィンセント・ドノフリオ、アメリカ・フェレ―ラ、セバスチャン・スタン他

  • 監督:クレイグ・ギレスピー

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