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創業から5年、働く中で見えてきた「らしさ」とは-宮崎悠 × 大谷省悟 対談| WHAT IS 301 PRODUCER? #4

301らしいプロデューサーとは何か?を問うシリーズ第4回は、301 CEO 大谷と CCO・デザイナーの宮崎による対談です。301全体の舵を取り、これまで数々のプロジェクトを統括している2人が、働く中で自身に問いかけてきた301のプロデューサー像について聞いてみました。

<基礎力と個の職能を伸ばすキャリアパス>

今日は301の創業時からタッグを組み続ける大谷さんと宮崎さんに、301のプロデューサーとは?というテーマでお話をお願いします。元々広告業界で経験を積んだお二人が、どんな思いで301を動かし、ここまでやってこられたのかというところをうかがうことで、他の会社でいう「プロデューサー」という役割と301の「プロデューサー」の大きく違うところが見えてくるんじゃないかな?なんて思っています。

ーー実際、宮崎さんが所属していた会社ではプロデューサーってどんな役割でしたか?

宮崎 僕が最初にいたクリエイティブエージェンシーは、130人の社員に対してプロデューサーは5、6人だけ。経営者も多摩美出身で、組織の中に「営業」の人はいなかったから、プロデューサーは「営業」の役割が強かった気がする。仕事をとってきたり、あとはお金の管理かな。

ーーデザイナーとプロデューサーの関係性ってどんなでしたか?

宮崎 クライアントの窓口になる人がプロデューサーと呼ばれてて、デザイナーはデザインに集中って感じであんまり関わりがなかったかな。プレイヤーをまとめていくのはアートディレクター、クリエイティブディレクターっていう役職の人がいたから。

ーー301はあんまりプレイヤーとプロデューサーって分業してないですよね?

宮崎 そうだね。僕自身、301でプレイヤーとしての動きもプロデューサーとしての動きもやっていて、正直大変な時もあるけど。元々僕の考えとしては、クリエイティブをわかっている人がお客さんとの窓口にも立つべきだと思ってるので、そこにプレイヤーが立っている301はもっと深く話ができる可能性はあると思う。

大谷 「ペンタグラム」も確か「営業」の人がいないんじゃなかったかな?あとは「Takram Cast」で「PARTY」の伊藤さんと「Takram」の田川さんの対談を聞いた時に、「Takram」も営業がいなくて、デザイナーがスケジューリングやお金の話をするって言ってた。それは「Takram」が、プロダクトデザインやエンジニア出身の人が中心だからかもしれない。

ーーそれでプロジェクトを回せるのってすごい!

大谷 おそらく、彼らからしたら多分それが習慣、カルチャーなんだよね。一方で301と同じように広告がバックグラウンドにあるのが「PARTY」。だから、プロデューサーとPMがいて、クリエイティブチームが別で組まれるのがカルチャー。それぞれに良さがあると思うんだけど、前者だとお金とクオリティの意思決定がスピーディー。予算や進行など全体管理する側とクリエイティブ陣の駆け引きが必要ない。ただ規模が大きくなるとマネジメントが大変。対談の中で、伊藤さんが「Takram式はすごい!」って言っていて。トップレベルのクリエイティブの会社でも広告業界出身の人たちのチームではプロデューサーがいないとプロジェクト回すの大変ってことは、個の能力と言うよりは文化なんじゃないかな?どういうチーム体制で仕事することに慣れているかっていう。

宮崎 そういえば、僕は会社にいた時はクリエイティブチーム側にいたけど、お金周りにもっとタッチしたいって思ってた。

ーーそれは何か理由があったんですか?

宮崎 僕の思想でもあるけど、自分たちが生み出しているものの価値をちゃんと認識しておきたかったんだよね。「この環境は作品に集中はできるけど、自分自身の市場価値もわからなくなってしまうんじゃないか」と思ってた。当時はデザイナーは薄給っていう時代の流れもあって、自分がどれくらいの価値を生み出していて給料がどれくらいなのか、それが曖昧になっていくことに危機感を感じてた。

ーー当時作っているものの価値を知る機会はあまりなかったですか?

宮崎 いや、もちろん会社にいても、噂で「これはいくらの仕事らしいよ」とか耳に入ることはあったよ。だけどクリエイターが困るのって、いくらで何をやるって定量化できないところ。ある別々の仕事に同じ熱量をかけていたとしても、一つは10万円でやらなきゃいけなくて、もう一つは100万円みたいなことが起きる。この違いはなんなんだろう、っていう感じにモヤっとしてた。

ーー宮崎さんはデザイナーとして会社に属している当時からプロデューサー的視点にも興味があったんですね。

大谷 言葉の定義として確認しておきたいのは、世の中で「プロデューサー」と言われているポジション、301では「ディレクター」って呼んでるけど、うちの場合その中に「営業職としてのプロデューサー」と「クリエイティブディレクター」っていうのが内包さてれるんだよね。
お客さんとの窓口になってプロジェクトをつくり、予算や進行など全体管理するプロデューサー、つくるものに対してのクオリティに責任をもつクリエイティブディレクター、その2つを併せ持っている。これが「301のプロデューサー」のモデルとして作ったものなんだよね。

ーー意識的に1つの役職にしたんですか?

大谷 そう、意識的にやった。役職名も色々変遷して今は「ディレクター」と呼んでる。この形に決まったのは、キャリアパスとして「プロジェクトを進める」ってことと「個の職能を伸ばす」の両輪で進んでいこうっていう話があったから。

自分が新卒で入った会社は、CM制作業界の中でも優秀なプロデューサーが多かったから、仕事のレベルはすごく高かったと思う。ただ、仕事の仕方はウォーターフォール式で、映像は好きなんだけど、自分の仕事が好きというのとは別物。自分がやりたい仕事とは違うけど広告の仕事はやりがいがあるってことに転換して、朝の3時とか4時まで働く忙しさをすり替えるのが現実だった気がする。本当にやりたいことと一致してたらその帳尻合わせは必要ないけど、どこか違うと思いながら変えられない現実やそれに対する感情を消化するために誤魔化している人も結構いたと思う。そこは大きく301の思想と違うところだよね。

あとは、そうなってくると視野が狭くなる。やりがいはあるけど本当にやりたいこととは別ってなると、その先にどんなことがしたいのかっていうビジョンが見れなくなる。今目に見えていることの話しかできない。業界内では人材に定評のある会社だったけど、それでも違う業界の話とか、自分が持っているスキルをどう転用していくかっていう会話が起きなかったのは辞めた大きな理由の一つ。

<替えが効かない仕事>

ーー目の前のことしか見えなくなってくるのは大きな組織だと起こりがちかもしれないですね。

大谷 ずっと不思議だったのは、CM業界のPMとプロデューサーって対応力がすごく高い人が多くて、世の中の大抵の問題には対処できるくらいのトレーニングがされているなって思っていて。それなのに、仕事以外のことにはなぜか応用させない。世の中の仕事って基本は問題解決だから、問題を分解して、対処できる人を入れてチームを組んだり、ステップとパターンを突き詰めて考えれば、解けないことはないはずで、プロデューサーやPMはそのやり方を制作業務の中で叩き込まれていくのに、身につけた力が他では活用されない。そのスキルは仕事をする基礎力だから、本当はどこにでも応用ができるはずなのに、視野が狭いと最大限に活かされない。

だから301が描くのは、PMやプロデューサーとして基礎力を身につけ、同時にデザイナーやコピーライターのような専門性も身につけていこうよっていうキャリアパスなんだよね。

ーー基礎力と専門性の両方を持っている宮崎さんとやっていく方がフリーのデザイナーさんと組むよりやりやすいですか?

大谷 それは当然だよ! 鍛えられてるから(笑)!   でも、フリーでやっているデザイナーも自分のスケジュールやお金の管理をしなきゃいけないだろうから、担当しているプロジェクトの規模によっては、鍛えられている人もいるんじゃないかな。

宮崎 確かにそうなんだけど、もう一個大事だと思っている要素があって、それは「能動的に何かができるか?」ってこと。デザイナーって結構受動的になりがちで「こう依頼されるかもしれないからこうしよう」はできるけど、「自分から何かを発想してください」は苦手。発注されないと動けない、というような受け身の仕事になることも多い。僕は、301の特異点はそこにあると思っていて、「受注脳」にならない。先手を打ってこちらから発想して「こういうのやってみない?」を伝えることが多い。

ーーその方が仕事として面白いからですか?

宮崎 うん。なんで面白いの?って言ったら、こちらから先に提案したことって自分がやりたいことなんだよね。301の前にいた会社にずっとはいないだろうなって思っていた一番の理由は「仕事が自分ゴトとしてできない」ってこと。組織でありがちな気がするんだけど、仕事の一部分だけをやっているとどうしても「自分じゃなくてもいいんじゃないか?」とか考えちゃうよね。

大谷 確かに「替えが効く」みたいなところはあるよね。優秀なプロデューサーだとパーソナルな関係性があるからできることもあるけど。それでも職能だけ見ていると、クオリティを担保する作品を作ってくれるなら別の人でもいいっていう、取替可能なものになってしまう。

宮崎 それが、301でもよく話になるけど、「価値」の発想でいくとそうなっちゃうってことだよね。プロセスが違ってもこのバリューさえ出せればいいっていうのはすごく「価値」の発想だなって思う。でも本当はそこに「意味」がないと、この人じゃなきゃっていう仕事はできない。仕事が面白くならない。

大谷 それで思い出したのは、昔から思ってたのは、広告業界って、いい仕事する人がいい人とは限らないっていうのがあって。

宮崎 デザイナーもそうだよ(笑)。

大谷 今はどうかわかんないけど、昔はそういう巨匠が結構いたよね。プロフェッショナルでいい仕事するのに、ちょっと性格悪かったり。人を下に見てたりとか、嫌味言ってきたりとか。

宮崎 それは成果主義だったからなんだろうね。結果さえ出れば、っていう考え方。

大谷 うん。そういうのがすごく嫌だったんだよね。「関わる人全てがハッピーじゃないと嫌だ」っていう価値観が自分の中にずっとあって。301的思想でいうと「みんなが意味を共有する」のはその為。だから301のプロデューサーはそれぞれ関わる人に向けて「意味を翻訳する」っていう動きがポイント。「これ、こちらがやって欲しいからやってください」じゃなくて「あなたがやりたいことと一致するからあなたにやって欲しい」に変換する。ウォーターホール的な仕事の仕方だと、上が言ってることを通す為に、誰かに無理をさせなきゃいけない。全員をハッピーにすることができない、無理をさせる分お金で動かしていくみたいな構造に違和感があったんだよね。

宮崎 しょうがない部分があるのは自分たちも業界にいたからわかるけど、301は欲張りだよね(笑)。会社にいると「お金か、やりがいか」みたいなことを考えることあると思うんだけど、やりがいをお金に繋げていくのを最初から諦めるのはなんか違うよなって思う。

大谷 それは理想論だよねって人もいるけど、そのユートピアをつくろうとしてるのが301のミッションかなって。世の中的にも最近はそういうムードがあるし、個ではできるかもしれないんだけど。そもそもの事業を立ち上げる段階からそこを見据えてやっていくのは難しいことだなっていうのは今も感じている。

ーーその理想を事業化の段階から見据えた理由ってありましたか?

大谷 ニーズがあるんじゃないかっていう感覚があったかな。法人化した時はこんな深いこと考えてなくて、勢いだった部分も大きいけど。でも、一緒に仕事するメンバーで大きな企業にいる人も「301は自分たちのことのようにプロジェクトの事考えてくれるから一緒にやっててやっぱりいいよね」って言ってくれたり、そこから担当の仕事を頻繁に相談してくれたり、「よくそれで事業回ってるよね、本当すごいと思う」って言って新しいことする時に声かけてくれたり。そういう人たちに気持ち的に支えられてきたと思う。

<経験値に替わる思考力と視座>

ーーなんだか応援団みたいですね。

宮崎 みんな組織の中で気持ち悪さみたいなのをどこか感じてるんだと思う。僕も前の会社にいた時、なんでこんなに仕事っぽく仕事するんだろう?っていう「面白くないな」っていう感覚が先にあった。得意先が来た時だけいい顔したり。それで、今301で活動する中で見えてきたのは、結果だけじゃなくてプロセスやストーリーが大事な時代になって透明性が出てきたから、やっと僕らの感覚と合ってきたってこと。

大谷 そういう中で「難しいな」と思うのは、若い人たちにの学びについて。少し前にNewsPicksのコンテンツで落合陽一さんのトークを見ていて、「20代の間に圧倒的な経験を積む必要がある、それがないと30代で開花しない」って話をしてたのね。それは自分たちもずっと考えてきたことだし、似た価値観を持っている経営者の友人たちともよく話すんだけど、いきなり「崩し」から入って、その仕事感でやっていくと意味合いが変わってきちゃう気もしてる。今の301って、ぎゅっと集中して圧倒的な仕事量をこなした時期があった上で、こうしていこうって選んできたかたちだから。新卒で入ったメンバーみたいに、経験値をまだ持っていない場合は、それに代替する何かを思考力でクリアしていかなきゃいけない。

宮崎 まさに、思考力って僕も言おうとしてた。上の世代がこういう苦労をしてきたから同じように苦労しろ!ってことではない。予測したり、予想したり、それができる「人間」だからこそ、その可能性をいかに自分で考え出すかっていうのは重要だよね。

大谷 最近、『問い続ける力』っていう本を書いてる石川善樹さんの考え方がすごく面白くて、彼とか落合陽一さんとかの話を聞いてると、知識の根源って膨大な知力だなって感じる。その上に彼らの思考力があって、さらに積層されてく感じ。研究や科学の世界で使われる西洋のメタファーで「巨人の肩の上に立つ」という言葉があって、これは「先人達の知の上に自分たちの知を乗せていく」っていう考え方らしいのね。学者の世界だと、過去の論文で同じことを発表している場合は自分の論文が発表できないとか、同じ表現は使えないとかルールが色々あるらしくて。だから過去の人たちの論文を継承した上で、発展させないと自分の新しい論文が書けない。彼らの知が分厚いのはそういう学者のベースがあるからっていうのが大きいのかもしれないけど。

宮崎 その考え方は本も近い気がする。僕は「本」って人生のセーブポイントだと思ってて。本を読むことで、先に生きた人たちがセーブしたポイントまで行かせてもらって、そこから自分で考えることが発展に繋がっていく。同じ苦労を堂々巡りしてたら意味ないから、偉人の知から学んで、その先を考えていくことが必要。

大谷 今20代の人たちが残業しまくったり、苦しい現場で働けってことではないよね。そこが改善されていっている分、「巨人の肩の上に立つ」っていう考え方があるといいんじゃないかって思う。で、その考え方っていうのは、今アカデミックな人たちが文化的な場でも活躍しているから、彼らの物事の見方や考え方、問い方は参考になるんじゃないかな。

ーーお二人の話を聞いていると、知識を得ることへの欲求も大切な気がします。

大谷 でもインテリではないんだよ。自分たちの場合、学ぶ先に具体的なアクション、社会がどう変わるのか、人の顔が見えていないと学びに対してもモチベーションは上がらない。

宮崎 使うための知識だよね。

大谷 そう。実践哲学の知。実践によって文化や社会をどう変えていくのか、に着地しないとなんかちょっと違う感じがする。

宮崎 わかる。「視座」が必要だよね。普段どういう視点から物事をみているのか。プロデューサーって基礎力を元にピボットを踏むことが多い仕事ではあるけど、主義や個性があってこそ、他の個性を持った人たちと一緒にやっていける。実践の中で「視座」は変化していくものだと思うけど、まずは持っていないとないと話が始まらない。そのためには知識がいる。僕も、元々本読むのは好きだけど、忙しいと時間の確保ができなくなる時もある。だけど学びってわざわざ時間をとっておかなくても、日常の情報の中でも自分の視座があれば考える力を休めることにはならない。

大谷 そういう意味で301に必要なのは、問題解決のための思考力ではなく、自分がやりたいことを実現していくための思考力だよね。だから、301のプロデューサーとしては、圧倒的な経験値を持った上で、自分の見ている方向はこっちじゃないんだって気づいている人、そこから飛び降りようとしている人に来てもらえたらいいなって思う。経験値がまだない場合は「巨人の肩の上に乗る」ような思考力とか決意を持っている人。

宮崎 そうだね。思考力も知識も、実践してやっと自分のものになるはずだよね。

今回のインタビューで印象に残ったのは、お二人それぞれに原点となった経験があるということ。それをどう変えていくか考え行動し続けてきたこと。だから301は、「自分はこう思う」という会話を楽しめる環境やメンバーが揃っていくんだな、ということでした。
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