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短編小説:D.S.(ダル・セーニョ)

「あ、サウスポーだ」
 浅野ちゃんが小さくつぶやいた。

 八月半ば、昼過ぎの定食屋。壁際のテレビでは、甲子園が放送されている。ツーアウト満塁、他のお客さんと定食屋のおばさんはテレビにくぎ付けになっている。もちろん私と浅野ちゃんも試合を見ているけれど、注目しているのはちょっと違うところ。
 後ろで流れている、吹奏楽部の応援の演奏。今流れているのは、ピンクレディーの『サウスポー』。定番中の定番だ。
「懐かしいね」
 他のお客さんの迷惑にならないように、私も小声で言う。
『空振り三振、バッターアウト。ここで一度ニュースです』の声が聞こえ、『サウスポー』が止まる。静かになっていた店は、ざわつき始めた。私と浅野ちゃんも、普通の声で話し始める。
「いやー、懐かしいね」
「浅野ちゃんの『ピンクレディーメドレー』思い出すね」
「やめてよ、恥ずかしい!」

 私が浅野ちゃんの存在を知ったのは、高校一年生の時。文化祭で、吹奏楽部が『ピンクレディーメドレー』を演奏していた。何人かの部員は演奏せずに前で踊っていたのだけれど、その中に浅野ちゃんがいた。誰よりも『ペッパー警部』のキレが良かったのを覚えている。
「浅野ちゃんキレッキレじゃん!」
 と誰かが言っていたので、ああ、あの子浅野ちゃんっていうんだ、と知った。浅野ちゃんは明るくて、元気いっぱいで、面白くて、有名な生徒だった。反対に私は、地味で大人しくて、友だちもあんまりいない。浅野ちゃんとは一度も同じクラスにならなかったし、話す機会もなかったから、私が一方的に知っているだけだった。
 そんな私と浅野ちゃんが今、同じ大学の、同じ学科の同じコースに進学して、こうして一緒にランチをしているんだから不思議なものだ。

「浅野ちゃんダンスめっちゃ上手かったよね」
 私が言うと、浅野ちゃんは恥ずかしそうに手を振った。
「そんなことないよ。本当は演奏したかったんだけどね」
「あれ、ダンス立候補じゃなかったの?」
「違うよー。私、高校で吹奏楽始めたからあんまり吹けなくて。ダンスの方に入れられたんだよね」
 あの時は悔しかったけど、今は良い思い出!と浅野ちゃんは笑っている。そうだったのか、知らなかった。
「お、今度はディープ・パープルだ」
 浅野ちゃんがテレビに目を向けた。ニュースは終わり、再び試合が流れている。得点は動いていない。
「『スモーク・オン・ザ・ウォーター』だね」
 今度は、ディープ・パープルの『スモーク・オン・ザ・ウォーター』が聞こえる。吹奏楽部の演奏としても、甲子園の応援としてもわりと定番だ。
「お、真鍋ちゃん、よく知ってるね」
「そりゃあね。浅野ちゃんがソロやってたからね」
 高校二年生の文化祭では、吹奏楽部は『ディープ・パープルメドレー』を演奏していた。メドレーの三曲目、『スモーク・オン・ザ・ウォーター』では、浅野ちゃんがトロンボーンのソロを演奏していた。サングラスをかけて、楽器を上に向けながらのけぞるようにして吹いていた浅野ちゃんの姿は、今でもしっかり思い出せる。
「浅野ちゃんかっこよかったよね」
「あら、嬉しい」
 浅野ちゃんはおどけたように言いながら、フフンと笑った。私は、隠していたわけではないけれど、ずっと浅野ちゃんに言っていなかったことを話してみる。
「私も、『ディープ・パープルメドレー』やったことあるんだよね」
「え?」
 浅野ちゃんはきょとんとしている。
「中学生の時、吹奏楽部だったんだ」
「うそ、知らなかった!楽器は?」
「トロンボーン」
「えー、一緒じゃん!すごい!」
 そう。私は中学生の頃は吹奏楽部に入っていた。浅野ちゃんと同じ、トロンボーンが担当楽器。私も『ディープ・パープルメドレー』でソロを演奏したことがある。しかも部長をやってた。
「なんで高校でやらなかったの?」
 不思議そうに浅野ちゃんが尋ねてきた。吹奏楽を続けなかった理由。

   「なんか偉そうなんだよね」
   「部長だからってガチになっちゃってさ」
   「たいして上手いわけでもないくせに」

 思い出したくもない声がふとよみがえる。それを振り払うように、私は答えた。
「んー、まあ、もう高校では良いかな、って思って」
「なにそれー。でも真鍋ちゃんと一緒にトロンボーンやったら楽しかっただろうな。そしたらソロは真鍋ちゃんがやってたのかなあ」
「そんなことないと思うよ。トロンボーンのソリになってたんじゃない?」
 きっと私は、あの時の浅野ちゃんみたいにかっこよく、上手くは吹けないだろうし。仮に私がいたとしても浅野ちゃんのソロか、一緒に吹くこと(ソリ)になっていたと思う。わかんないけど。
「そういえば、真鍋ちゃんはどこでディープ・パープルやったの?」
「確か『合同音楽祭』の時かな」
 私の入っていた吹奏楽部は、毎年秋にいくつかの中学校と一緒に『合同音楽祭』を開催していた。夏の大会で三年生が引退して、一、二年生の新体制での初舞台となる演奏会だ。
「もしかして、中二の時だったりする?」
 浅野ちゃんが身を乗り出してきた。「そうだよ」と答える。私が初めて『部長』として舞台に立ったときだ。
「じゃあ私、それ行ってたよ!」
 興奮したように浅野ちゃんが言った。あの演奏会に、浅野ちゃんもいたのか。それは私もびっくりだ。
「本当?」
「うん、友だちが吹奏楽部だったから、聴きに行ったんだよね。覚えてる!トロンボーンのソロしてた人だ!すごい上手だった人だ!」
「そんなことないよ」
 すごい、キセキだ、キセキ!と浅野ちゃんが騒ぐので、恥ずかしくなってしまう。それにしても浅野ちゃん、よく覚えてるなあ。私はあまり、覚えていないのに。覚えていない、というか、思い出したくないというか。

   「なんで真鍋先輩が部長なわけ?」
   「出しゃばってソロかよ」
   「私の方が上手いのに」

 ほら。思い出そうとすると、余計なものまで出てきちゃうから。
 部長に任命されたときは、頑張らなきゃ、と思った。たぶん、頑張りすぎちゃった。偶然聞こえた、後輩たちの話。同級生に言われたのだったら言い返せたかもしれないけれど、後輩たちにはできなかった。「後輩が緩んでるから引き締めて」と言う同級生と、「部長がガチすぎてムカつく」と言う後輩たちと。正直、つらかった。時間が経っても全然良い思い出なんかにはなってない。

「真鍋ちゃんの中学、コンクールでは『大草原の歌』やってたよね」
 浅野ちゃんの声で我に返る。本当に、浅野ちゃんはよく覚えているなあ。
「そうそう」
「私、それも行ったんだよね!金賞だったじゃん!」
 必死でみんなをまとめて挑んだ夏の大会。次の大会には進めなかったけれど、金賞をとることができた。決して強豪校とはいえないうちの中学ではなかなかの結果だ。でも、もしも私が部長じゃなかったら、もっと…、なんて考えてしまう。
 先輩の引退が悲しいです、なんて泣いていた後輩に「うそでしょ?」という言葉を飲み込んだ記憶。

「私、よく覚えてるよ!うちの中学が何やってたかとかは忘れちゃったんだけどね」
 浅野ちゃんは嬉しそうに話している。県の代表に選ばれたわけでもないし、そんなに印象に残るような演奏でもなかった気がするけど。
「すぐわかったもん、あ、ディープ・パープルのソロの人がいる!って」
「えー、本当に?」
 思わず笑ってしまう。『大草原の歌』では私のソロはなかったし、トロンボーンが特別目立つわけでもない。さすがにそれはうそでしょ、と言うと、浅野ちゃんは少し真剣な顔になった。
「ほんとだよ。すぐわかったもん。私あのソロ見て『吹奏楽って良いなあ』って思ったし、あの大会の演奏聴いて『吹奏楽やりたい』って思ったんだよ」
「…まじで言ってる?」
「まじだよ。だってなんか、すごく『本気!』って感じがしてかっこよかったもん!私語彙力ないからちゃんと言えないけど…。でも、すごい真剣で良いな、って思った!」
 勢いよく浅野ちゃんがまくし立てる。
「遠かったから顔はよく見えなかったけど、すぐに『ソロやってた人!』ってわかったからね!それが真鍋ちゃんだったのはびっくり!」
「うん、私もびっくり」
「だから、さ、真鍋ちゃんは、私が吹奏楽始めたきっかけみたいなもんだよ!」
 大きな声で浅野ちゃんは言い切ると、ちょっと顔を紅くした。私も自分の顔が紅くなっているのがわかる。いろいろびっくりしてる。そして、恥ずかしい、照れくさい。たぶん、浅野ちゃんも同じ。何て言えば良いんだろう。

 私も浅野ちゃんも、しばらく黙っていた。
 私たちの間を、甲子園の中継の音が流れていく。今の応援の音楽は『狙い撃ち』。

「真鍋ちゃん、吹奏楽はもうやらないの?」
 少し小さな声で、浅野ちゃんが尋ねてきた。
「え?」
「私、大学でも吹奏楽続けてるんだよね。あ、でも吹奏楽『部』じゃなくて、サークルの方だけど」
 うちの大学には、『吹奏楽部』と『吹奏楽サークル』があるらしい。部の方は練習もがっつりあって、大会にも出場するが、サークルはわりとゆるめにやっている、と浅野ちゃんが説明してくれた。
「まだまだメンバー募集してるからさ、よかったら」
「うん、ありがとう」
「あの…、」
 少し前までの勢いはどこにいったのか、浅野ちゃんはずっともじもじしている。たぶん、わたしもちょっともじもじしている。
「真鍋ちゃんと一緒に吹奏楽できたら、絶対、楽しい、と、思う、から…」
 浅野ちゃんの言葉は尻すぼみになっていったけど、ちゃんと聞こえた。
「ありがとう」
 私たちは顔を紅くしながら笑った。傍から見たら、変なふたり組だっただろうな。
 再び静かになった私たちの間を、音楽が流れていく。再び『サウスポー』の演奏が聴こえた。


「一緒にできたら、楽しい、か」
 浅野ちゃんと別れ、帰りついた家の中でつぶやく。ちょっとだけ、嬉しい。そういえば、吹奏楽って楽しかったな。
 部長としてはあんまり上手くできなかったこともあったけど。
『真鍋ちゃんはさ、私が吹奏楽始めたきっかけみたいなもんだよ!』
 浅野ちゃんの言葉を、思い出してみる。
 少しだけ、あの頃の自分が報われたような気がした。
 もしかしたら、あの後輩の「先輩の引退が寂しいです」という涙もあながちうそではなかったのかもな、なんて、都合の良い妄想をしてみる。

 スマホを見ると、浅野ちゃんからメッセージが届いていた。
『うちの吹奏楽サークルのホームページ送るね!もし興味あったら遊びに来てね!』
 続けて、かわいいスタンプと、URLが貼られている。
 吹奏楽はもうしないつもりでいたけど。URLをタップしてみる。

 気が付くと私は、『サウスポー』を口ずさんでいた。








※フィクションです。
 タイトル『D.S.(ダル・セーニョ)』は、目印(セーニョマーク)に戻って繰り返す、という意味の音楽記号。


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