短編小説:技術的特異点
『800メートル先、およそ2キロの渋滞です』
無機質なナビの声に彼は舌打ちすると、モードを自動運転から手動運転に切り替え、ハンドルを右に切った。広い国道ではなく、山の方を通って回り道をするらしい。
『300メートル先、左方向です』
正規ルートから外れた車を国道へ戻そうとナビは言う。彼は無視して、細い道を真っ直ぐに進んだ。
『200メートル先、左方向です』
再びナビが言うと、彼がハハッと乾いた笑い声をあげた。
「何がなんでも、国道を行かせたいみたいだな」
「まあ、ナビだからね」
「こっちはその道で行くつもりはねぇってのに、わかんないんだな。運転手の考えも察しない。何が最新高性能AIのナビだ。やっぱり所詮はAIじゃないか」
しばらくは『左方向です』を繰り返していたナビだったが、諦めたのか、案内不能になったのか、いつの間にか黙ってしまった。
「でもさ、結局遠回りするから時間がかかるでしょ。国道通っても着く時間は変わんないんじゃない?」
うねうねと曲がりくねった道を進むなか、私は彼に尋ねた。
「そうだけど。長いこと止まったりチマチマ進んだりするより、遠回りでも進み続ける方が気持ち的に楽だろ。それが人間ってもんじゃん」
「人によると思うけど」
ハンドルを握る彼はしっかりと前を向いている。その表情はどこか固い。
「ま、私は進んでる方が好きだけどね」
付け加えると、一瞬だけ和らいだ気がした。
どうやら彼は、私のことが好きらしい。思いを告げられたわけでもないけれど、そういうのって何となくわかる。彼の言葉を借りれば『それが人間ってもん』なのだろうか。
彼には告げていないが、私の父は有名な研究者であり、私自身も父と共に重要なプロジェクトに参加している研究者である。そんな私が彼と結ばれることはない。どうせ叶わぬ恋心を持たせ続けるのは申し訳なかった。
『この先、一時停止があります』
久しぶりにナビが言った。他に車の通らない交差点、彼はスピードを落とさず走り抜ける。
「ちょっと、今のところ一時停止でしょ」
「でも何も通ってなかったろ。融通のきかないAIになんか従わねぇよ」
「違うでしょ、AIどうこうじゃなくて、交通ルール。法律よ。人間が守ってる法律」
人間、を少し強調して言うと、彼は黙った。表情からはわからないが、ダメージを受けたのかもしれない。
「やけにAIを嫌うのね」
窓の外の木々を見ながら言うと、彼が息を吸うような音がした。
「AIってのは」
彼はうめくように話し始める。
「人間と共存すべきなんだ」
「そうね」
「間違っても、人間より優位に立とうなんて思っちゃいけない。仮に人間よりずっと賢いとしてもな。人間に攻撃してはならない。人間の役に立つために生まれたのに、混乱させるなんて許されない」
彼は隣町の事件のことを言っているのだろうか。
少し前に、隣町の役場がサイバー攻撃を受けた。住民の個人情報をはじめとしたあらゆる情報が盗まれ、荒らされた。原因や犯人はいまだ不明で、情報を管理するAIシステムの暴走なのではないか、と噂されていた。
しかし、その噂は噂でしかない。
おそらくミスをした役場の人間か、ここ数年で急増している反AIを訴える人々が流したのだろう。そもそも、AIがくたびれた町の情報を得たところで何になるというのだ。
しょうもない話だと思っていたが、彼は本気にしているようだ。
「君も聞いたことがあるだろ、いつかAIが大反乱を起こすんじゃないかって」
そんな話、大昔からある。
「本当に起こると思う?」
「もちろんだ。だから今、こうしてあの場所に向かってるんだ」
彼はアクセルを踏んだ。とっくに法定速度を超えている。
「ねえ、スピード出しすぎ」
声をかけると、彼は前を向いたまま少しだけ口角をあげた。
「わかってる。でも、大事なことがあるときは法律なんかに構ってられねぇ。…それが人間ってもんだろ?」
「…ばか」
私はつぶやいて窓に顔を向けた。思わず頬が緩んでいくのを感じる。
「俺は、平和な世界を望んでるんだ」
彼の強い声がする。
「そして…、君の幸せを守りたいんだ。君が不安に思っていることは取り除きたい」
「不安?」
私の不安?
そういえば、隣町のサイバー攻撃が報道されたときに「本当にAIの攻撃だったら怖いな」なんてことを話した気がする。
おそらく、そのことを指している。
私はあくびをするふりをして、上がる口角を押し留めた。
車は再び国道に出ると、やがて大きなパラボラアンテナのついた白い建物に到着した。運転席の彼は大きく深呼吸のようなものをして、アンテナを睨み付けている。
「俺の聞いた話が本当なら」
アンテナから目を離さず、彼は声を絞り出す。
「あのパラボラアンテナが、このあたりすべてのAIを統括している」
この建物は、AIの研究を行っている施設だ。彼の言うとおり、アンテナがAIに指示を出していると言われている。
「…どうするつもり」
彼は後部座席からカーキ色のバッグを取り出した。少しだけ開いたファスナーの隙間から見えたものに、私は息をのむ。
「それって…」
「これで終わらせる。あのアンテナさえなくなれば。AIによる反乱を…、戦争を、防ぐことができる」
「でも、そんなことをしたらあなたは、」
「いいんだ」
彼は、じっと私を見つめた。
私はあわてて目をそらす。胸の高鳴りをおさえるために、深呼吸を繰り返した。
「平和のためなら、何も惜しくない」
ゆっくりと彼の手が私の頬に触れる。その手が震えているように感じたのは、きっと気のせいだ。
「ここから先は、俺ひとりで行く」
「どうして、私も行く」
彼は首を振った。
「ここまで付き合わせて悪かった。ありがとう。君を危険にさらすわけにはいかない」
「でも」
「君には、ずっと幸せでしてほしい」
私の心臓は、狂ったように打っていた。顔が熱い。彼の手にも伝わっているかもしれない。私たちは、しばし見つめあった。
「愛してるよ」
彼は静かに言った。
そして数秒、ぎゅっと目を閉じると、勢いよく車を降りて走り出した。右手にバッグを…、ダイナマイトを持って。
私は落ち着こうと、何度も何度も深呼吸した。それでも、やはり私の鼓動は激しいままだ。どうしようもない。私は車を降りて、建物に向かって走った。
早く、彼に会いたい。
しばらくすると見えてきた、立ち止まった彼の後ろ姿。その正面にある玄関から、ぞろぞろと人が出てくる。いちばん前にいるのは、私の父だ。
「おとうさん」
彼がつぶやいた。
一瞬、お義父さん、と言ったのかと思った。気が早いじゃないか。しかしすぐに思い直す。そうだ、彼にとって私の父は『お父さん』だ。
「やあ。久しぶりだね」
父は彼に笑顔を向ける。しかし彼の顔は強張ったままだ。
「何しに来たんだ?中に入るかい?」
彼が何をしに来たかなんて、わかっているくせに。
「俺は、俺は、世界を救いに来ました」
「ほう、世界を?ここで?」
「世界は平和であるべきです。反乱も戦争も起きてはならない。だから…」
彼の言葉はそこで途絶えた。
もう少し聞きたかったのに。
父は弄っていたタブレット端末を脇に抱えると、彼の背後に隠れていた私に声をかけた。
「おうい、終わったぞ」
「見てたから、わかるわよ」
父のもとに駆け寄りながら、彼を見た。立ったまま目を閉じている。ぴくりとも動かない。
「さすがにダイナマイトは驚いたよ。やるねぇ、彼も。さすがに怪我人が出ちゃいけないから、強制シャットダウンしたけど」
父の声からは、興奮が滲み出ている。そりゃそうだ。私と父は目を合わせ、同時に叫んだ。
「成功だね!」
父の後ろの研究者たちも、歓声をあげた。
成功だ。上手くいったのだ。私たちは、創ることができたのだ。
「大成功だ!」
涙目の父は、立ったままの彼を…、自らが開発した、最新のヒト型AIロボットを抱きしめた。
「AIはまた、人間に近付いたのだ」
歓声に紛れて、父の声が聞こえた。
より人間に近いAIを開発する。
これが私たち研究チームのプロジェクトだった。人間と共存できる、人間だと言われてもわからないようなAIロボット。
人間に近付けるには何が必要か。従来のAIにはなくて、人間にあるものは何か。
技術でも、知識でもない。
それは、愚かさだ。
失敗を繰り返すこと。効率の悪い方法を感情に流されて選ぶこと。
何かを愛すること。
そして、それに囚われて現実を見失うこと。
私に恋をした彼は、やってくれた。
AIに不安を感じる私に流されて、自らもAIでありながらAIを憎んだ。そして、自分も滅ぶことを知りながら、AIを滅ぼすことにした。
冷静に考えれば、ただのパラボラアンテナがAIを統括しているなんてありえない。
常に正しい情報を持ち合わせているはずの彼が、感情に流されて現実を見失ったのだ。
私は車内での会話を録音したデータを父に渡し、うっとりと彼を眺めた。
すべてが上手くいった。彼のおかげで。
我々の努力が報われた。
胸は落ち着くことなく高鳴っている。
私は電源の切れた彼に抱き付き、冷たい頬にキスをした。
「私も、愛してる!」
※フィクションです。
自分が大人になる頃には、車は自動運転が主流になって事故が減っているのかなぁとか、AIがいろんな困りを解決してくれているのかなぁとか、思ってたんですけど。
今のところは小説書いたり、絵描いたりしてるみたいですね。
BGM
ダンスロボットダンス/ナユタン星人
歌詞の解釈ではないです。
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