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短編小説:カメラ

 次から次へと、景色は車窓を流れていく。けれども、僕の漠然とした不安は流れることなく、相変わらず僕の心にとどまっていた。
 とっくに最寄り駅を通り過ぎ、住み慣れた町をぐんぐん遠ざかっていく列車のなか、きっと僕だけが場違いな表情をしている。

 そんな僕の様子に気付いているのかいないのか、向かいに座る史暁ふみあきはやけに楽しそうにカメラをいじっていた。
「あのさあ」
 声をかけると、史暁は「ん?」と微笑みを浮かべたままこちらを見た。
「なんで僕のこと誘ったん?」
 史暁はふふっと鼻で笑うと、カメラに視線を戻す。
「いちばん暇そうやけん」
「え?」
さとるならどうせ、何も用事とかないやろうと思って」
「…それだけ?」
「おう。別に、悟が断っても俺ひとりで来るつもりやったし。まあ、ボックス席で知らん人と相席になるよりは、友だちと一緒の方が良いかなとは思ったけど」
「…そうか」
「実際、暇なんやろ」
「暇ではないよ。僕もいろいろあるし」
「ふうん」
 史暁は小さくうなずくと、ボックス席の間にある小さなテーブルにそっとカメラを置いた。しばらく黙って車窓を流れる景色を眺めていたが、視線は外に向けたまま、僕に尋ねた。
「で、どうなん?仕事の方は」
「ん、まあ、ぼちぼち」
「ぼちぼち?」
「いや…、上手く行ってない。というか、できてない」
「ふうん」
 相変わらず、史暁の返事は適当だ。しかし史暁も、自分から聞いておいてその返事はふさわしくないと思ったのか、少し経ってから小さな声で言った。
「まあ、あれやな。そんな焦らんでも大丈夫やろ」
「…そうかな」
「たぶん。責任はとれんけど」
 外を眺めたまま言う史暁の横顔をちらりと見た。適当なことを言っているようだけれど、真剣で優しい目をしていると思う。そういうところは史暁らしい。
「なんとか、なるかな」
 つぶやくように言うと、史暁は小さくうなずいた。

 新卒で始めた仕事を辞めて、半年以上経つ。僕の転職活動は、まるで上手くいっていない。前の職場は心身の調子を崩したため辞めたのだが、退職ではなくて休職にしておけばよかった、と今更ながら思う。
 今は実家で暮らしながら近所の本屋でバイトをしているものの、いつまでもこの生活を続けるわけにはいかない。でも、たいした資格もスキルも経験もなく、数年で前の職場を辞めてしまっている僕に、新しい仕事はなかなか見つからない。
 いろんな焦りやストレスのせいか、回復してきていたはずの体調もまた崩れつつあった。そして最近はまた引きこもりがちになってしまい、思うように活動できなくて、それに落ち込んで、という悪循環に陥りそうになっている。
 そんな僕を、史暁は突然旅行に誘ってきた。
 鉄道会社が主催する、日帰り旅行。昔ながらの列車に乗って隣県の駅まで行き、ランチを食べて帰って来る、というツアーだ。二つ返事、とまではいかなかったか、気分転換をした方が良いだろうという親の勧めもあり、僕は史暁の誘いにのることにした。
 口では「暇そうだったから誘った」と言っているものの、きっと内心ではいろいろ上手くいかず、引きこもりがちになっていた僕を心配してくれているのだ…と思う。史暁は、高校の写真部で知り合った友人で、大学は別々だったがこまめに連絡をとっており、僕が仕事を辞めたことも、現在はバイトをしていることも、就職活動が上手くいっていないことも知っていたから。
 しかし、さっきからカメラばかり気にしている史暁を見ていると、案外そうでもなく、本当に僕が暇だからとりあえず誘った、という説も濃厚だと思い始めていた。

「相変わらず、写真が好きやな」
 黙っていると就職の不安で頭がいっぱいになってしまうので、僕は史暁に声をかけた。
「まあね。後で悟も撮っちゃん」
「僕は撮らんでいいよ」
 あんまり写真に写るのは得意じゃないから、撮ってほしくない。というか、被写体としては僕より史暁の方が適任だろう。
 史暁は、かっこいい。
 顔が良い。スタイルが良い。いつも同じような、安物の黒いコートを着ているが、それがまるで上等なものに見えるくらい品のある見た目をしている。コートからすらりと伸びる足は細くて長いし、すっと通った鼻筋も、どこかミステリアスな切れ長の目も、すべてが絵になる。
 だから、そんな史暁に、スタイルも顔もたいしたことない僕を撮られるのは好きではなかった。
「なんで。撮らせろよ」
 史暁は不満そうな声を出す。
「僕なんか撮ってもしょうがないやろ。あ、そうだ、あとでフミのこと撮っちゃん」
「俺の方こそ撮ってもしょうがないやん」
「イケメンなのに?」
「イケメンだけど」
「否定しろ」
「俺がイケメンでモデル体型なのは事実やん」
 史暁は得意げに笑う。こういうところは、昔から変わらない。
「そういえば悟、最近は写真撮ってないん?」
 ふと、思い出したように史暁は言った。
 高校の写真部で知り合った僕らだが、正直僕はそんなにカメラが好きだったわけではない。とりあえず楽そうな部活に入りたかったというのが本音だ。不真面目な部員も少なくないなか、史暁だけは真剣だった。今でもコンテストには出品しているらしいし、匿名で写真をアップしているSNSのフォロワーも多い。写真部を引退してからはカメラどころか、スマホのカメラアプリさえろくに使わなくなった僕とは違う。
「あんまり撮ることもないしなあ」
「じゃあやっぱり、撮ってないんや」
「撮ってないな」
「もしも久しぶりに、リハビリがてらカメラ触りたいって言うんやったら、俺のこと撮ってもいいよ?」
「え?」
「久しぶりに撮ったら、楽しいかもしれんやん」
「…確かに。撮らせてもらうわ」
「それに、俺みたいな最高の被写体ってなかなかおらんやろ」
「うるせえ」
 そんなことを言い合いながらも、史暁は僕にカメラを見せながら、使い方や機能をレクチャーした。

「次の停車駅は結構長い時間停まるらしいけん、そん時撮って良いよ」
「そうやな」
「俺がいちばん映える画角考えろよ」
「はいはい」
 史暁のいちばん良い撮り方、か。
 ちょっと癪だし、たいした熱意のない部員でかつ10年くらい前の話とはいえ、僕だっていちおう、元写真部なのだ。良い構図を考えたい。
 窓の外を見ながら考えていると、パシャっと音がした。
「え?」
 驚いてきょろきょろすると、にやにやしながらカメラを持つ史暁が目に入った。
「え、何?」
「いや、なんか、考えよん悟の顔っち面白いなと思って」
「…はあ?」
「ほら見てん」
 史暁が差し出したカメラの液晶を見ると、確かに、ばかみたいな顔をして考えている僕の姿が写っている。
「やめろよ、恥ずかしい」
 ばかみたいだけど…、笑っている。ばかみたいな顔をして、うっすら笑う僕が写っている。
 あ、僕、ちゃんと笑ってる。

「…消せよ」
 でも、やっぱり恥ずかしい。
「消さんよ。おもろいし」
「おもんないやろ」
「まあ、後々かっこいい悟も撮っちゃんけん」
「撮らんでいいって」
「悟も俺のこと撮るんやけん、俺も撮らんと不平等やんか」
「そうかな」
「そうで」
 史暁は楽しそうに笑った。
「まあ、カメラ貸しちゃんけん、悟もいろいろ撮れよ」
「…そうする」
 いろいろ触って良いよ、特別で、と、史暁は僕にカメラを差し出した。そっと受け取り、ファインダーをのぞくと、アイドルスマイルを浮かべる史暁が見える。
 久しぶりの感覚。
 カメラを触るのが、というだけではない。久しぶりに、僕はわくわくしていた。

 よし。
 いろいろ、考えることも不安なこともあるけれど…。とりあえず今は、目の前のことを楽しもう。
 旅はまだ、始まったばかりなのだ。





※フィクションです。

 画像は SL人吉の車内。
 JR九州主催の日帰り旅行に行ってきました。そこで思い浮かんだストーリーです。
 私自身の旅行については、後日プチ旅エッセイでも書こうかなと。

2023.02.27追記
エッセイらしきものを書いたので、よければ。

 


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