超短編小説:夜空、売ります
そのままびんに閉じこめて、ベッドのうえに飾っておきたいくらいの、みごとな夜の色でした。
しかし、そんな夜空のしたを歩く青年の心は晴れません。どんなに今日の夜空が綺麗でも、明日の朝の空が、素敵だとはかぎらないからです。
こんなにみごとな夜ならば、自分ごと、この夜空をどこかに仕舞っておけたら良いのに、と思いました。
「おにいさん、そこの、おにいさん」
声がして、青年は足を止めました。きょろきょろとあたりをみると、すぐそばの地面におばあさんがひとり、座っていました。
「ごらん、良いものを売ってるよ」
おばあさんの前には黒い布が広げられていて、そこにはいろんな形のびんがならんでいました。そして、真ん中には白い紙、藍色の文字で何か書かれていました。
「夜空、売ります…?」
「そう。今日の、みごとな夜空を売ってるよ。買っていかないかい」
青年はしゃがんで、たくさんのびんを見ました。なるほど、どのびんも、まるで今日の夜のよう。美しい夜の色がつまっていました。ところどころ、星のような金銀のつぶが輝いています。
欲しいな、と青年は思いました。「ください」と言いかけて、青年はあわてて首をふりました。
「今、お金を持っていないんです」
「お金ならいらないよ」
「本当?」
おどろいて、青年はおばあさんを見つめました。おばあさんはほほえんでうなずきます。
「ああ。でも、ただじゃないよ。お金の代わりに、他の空をもらうよ」
「他の空?」
「明日の朝からの空さ。おにいさんの、明日の朝からあとの空をぜんぶもらうよ。そしたら、明日からの空はわからないけれど、ずっと今日の夜空のなかで過ごせるのさ」
素敵だろう、とおばあさんは言いました。
青年は何も答えず、考えました。
ずっと今日の夜空のなかで過ごせる…。とても素晴らしいことのようです。でも、明日からの空は…?
そのとき、
「ごはんよ、帰ってきなさい」
どこかで、だれかが、子どもを呼ぶ声がしました。いっしょに、青年のおなかがぐう、と鳴りました。
「おや、おや」
おばあさんはひとさしゆびでめがねを押し上げ、じっと青年を見つめました。
「夜空じゃ、おなかはふくれないからねぇ。まだ、いらないようだね」
そして、青年が何も言わないうちに、広げていた黒い布でびんをみんな包んでしまいました。
「本当に必要なときに、また会おうかね」
よいしょ、とおばあさんは立ち上がると、黒い包みを持ってもう歩きだしていました。
「手伝いますよ」
呆気にとられていた青年は、はっとして、あわてて言いました。
するとおばあさんはにやりと笑って言いました。
「ありがとうねぇ。でも、けっこう。ばあさんをあなどっちゃいけないよ。さ、おにいさんは、はやく帰って晩ごはんにしなさい」
そして、すたすたと歩いて行ってしまいました。
びっくりしておばあさんの後ろ姿を見ていた青年でしたが、またおなかがぐう、と鳴りました。
素晴らしい夜のなか、青年は早足で家に向かいます。
冷蔵庫に、何が残っていたかな。
明日の空のことは、わかりません。
今はとりあえず、晩ごはんについて考えることにしました。
※フィクションです。
明日もさらっと、やり過ごしましょう。
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