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過度な「競技化」は「愛好者」を減らす
こんにちは。佐藤奨(さとうつとむ)です。
私は、スポーツなどのイベントプロデュースを行うケースが多く、さまざまなスポーツや様々なジャンルのコミュニティに触れることが多いです。
その中で中で感じたこと。
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす。
今回は、陥りやすい、競技のコミュニティの傾向、「愛好者」と「ガチ勢」で起こりやすい話について掘り下げてみる。
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす。とは、よく言われるフレーズ。例えばだが、固有名詞を出してしまって恐縮だが、ラジコンを、なんとなく好きでコースで走らせていたら、めっちゃウマい人が来て、そのコースで激走させ続けたら、なんとなく楽しんでいた初級者が、急にやりにくくなるなるのに近い。
「すべてのジャンルはマニアが潰す。」という似たフレーズもある。(こちらは、ブシロードの木谷高明氏の言葉)
実際に、こういうことが起きているスポーツはある。競技場や大会形式で楽しむことがセットのスポーツの場合、その傾向が顕著と言える。誰しも、いつかウマくなるので、愛好者であり続けることの方が難しいが、統括側は「競技化」を推進し続けることで、初級者が離れ、自分たちの首を締めることもある。
超大事な心がけは「初級者の居心地づくり」
そうならないたいめに、統括側として行える、超大事な心がけは「初級者の居心地づくり」。
統括運営者は、元々コアなプレーヤーである場合が多く、いつのまにか初級者の想いを拾いにくくなったり、要望を上げてくる人は「コアなプレーヤー」が多いので、そこに寄り添いすぎると、徐々に「初級者視点」がなくなる。
「初級者視点」がなくなると、あらゆる意思決定が「競技化」や「コア」寄りなものに引っ張られてしまう。そうなると、気がついたら競技場や大会には、ガチ勢ばかりの空間になってしまう。初級者がそこに混ざると、場違いな場所に来てしまった、と思わせ、二度とその場に訪れることがなくなってしまうのだ。
循環がおきなければ濁った水になる
「ガチ勢」ばかりの空間は、そこに慣れている人たちからすれば、話の分かる人、通じる人が多く、楽しみやすい。カルチャーが形成されるとも言える。だからこそ気づきにくいことなのだが、そこの人口が狭すぎると「ムラ化」しやすくもなる。循環がおきなければ濁った水になるのと同じように、新規ファンの心地よさづくりは必要だろう。
統括側は”やさしさ”ある意思決定を
「新規ファンの心地よさ」に向かうことが、「ガチ勢の心地悪さ」になることもある。どちらのコミュニティに対しても、統括側は”やさしさ”ある意思決定が大事になってくる。空気感や、風土づくりとも言える。どういう仕組みやルールにすることで、どちらにも「求められるか」を掘り下げる必要がある。
この”どういう仕組みやルールにすることで、どちらにも「求められるか」を掘り下げる必要がある”だが、あえてルールを厳しくしない、あえて仕組みにしないことも大事。厳格化すると、それを知っているのはよく利用する「ガチ勢」だけになる。ルールありすぎは初級者が入りにくくなる。バランスがとてもムズいのだ。
今回のnoteは、こちらのツイートがきっかけで投稿したものだ。
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす、は、よく言われるフレーズ。例えばだが、固有名詞を出してしまって恐縮だが、ラジコンを、なんとなく好きでコースで走らせていたら、めっちゃウマい人が来て、そのコースで激走させ続けたら、なんとなく楽しんでいた初級者が、急にやりにくくなるなるのに近い。
— 佐藤奨 / 𝗧𝘀𝘂𝘁𝗼𝗺𝘂 𝗦𝗮𝘁𝗼 (@2tomman) December 2, 2019
投稿した直後から100リツイートを超えるなどしてバズっている。
この連続ツイートは、実は、特定のスポーツを指しているわけではないにも関わらず、ここまで拡散されている背景は「よくあること」だからだ。
こんな反応もあった。
セパタクローは競技の難易度が高いと思われがちなので、競技化で愛好家を減らすと言うよりかは、やり始める人が少ない。
— 玉置12/28.29セパタクロー全日本選手権@駒沢 (@takraw126) December 2, 2019
けど、実際は試合を見るにあたっての難易度は、ルール自体がシンプルなので、観戦におけるハードルは高くないと思ってる。
ので、新規ファンの居心地の良さを考えるべきかなと! https://t.co/RbCTYRoUNm
そもそも、はじめる難易度が高い競技の場合、やり始める人が少ないという課題があるようだ。
スポーツ普及課題となるのは3つ
1つ目は、まず、そもそもそのスポーツを知ってもらうこと。新規の興味がありそうな方との接点を増やすこと。
2つ目は、はじめる環境を増やすこと。興味を持ってもらってもはじめられる場所がなければ興味は薄れていく。
3つ目は、はじめた人をつなぎ止めておく環境を用意することだろう。
今回のこの記事は、この3つ目の、はじめた人をつなぎ止めておく環境を用意することにつながる話だ。
さまざまな反応をピックアップ
今回の投稿をきっかけとする、さまざまな反応をピックアップしてみた。
これはダーツにも当てはまることやないやろうか
— タイソン【固定ツイ見て】 (@kazukimaeda1985) December 2, 2019
自分も長くやっててコアな人間の部類になるんやろけど、これから始める人や最近始めた人が楽しめる事も大事にせなあかんのやね https://t.co/ihLgmjdQ0R
カードゲームにも同じこと言えちゃうよなぁ https://t.co/mFIX72wtSC
— おでんでん (@dedendendendm) December 2, 2019
ゲーセンにある音ゲーとかに陥りやすい気がする https://t.co/49HcRumIt5
— あまこ (@amaco711) December 2, 2019
ほんとこれ大事だと思う。その競技のモノを扱うショップやグループなども初心者が居心地悪くなる「ムラ化」してるところが多い感じ。そして常に内輪ネタで盛り上がり過ぎてたりすると初心者はその場から立ち去りたくなるのもあると思う。そうじゃないところもあるけどね。 https://t.co/sWx0APubkO
— さか…ひろ (@onisura3) December 2, 2019
これはスポーツ観戦する人にも言える。ガチ勢でガッチガチなんは怖いし。かといって、ゆるゆるすぎるのもなんだかなー、だし。ムズい。 https://t.co/EhpAOXEUWq
— にわかちゃん (@niwakasyugi) December 2, 2019
初心者が失敗するのは上達へ続く貴重な経験ですが、そこに上級者がノコノコやってくることで、それが気まずい体験に変わってしまう。
— Hajime Saito (@replicorn) December 2, 2019
だから入口が狭くなるのでしょうね。 https://t.co/Ap3uZBuxlX
棲み分けって大事、と言うお話
— 稀翔@最高レア引けません (@zirai005) December 3, 2019
「半端な気持ちで入ってくるなよ、○○の世界によォ!」と言うのは構わんけどそれだと界隈衰退するよ? https://t.co/pHOTVZ63df
「ガチな人」の存在は、憧れとか目標にもなるけど、逆もある。
— おはぎ@you pizzicato (@ukuroi) December 3, 2019
二者のどちらかに問題があるって言い切れないけど、熟練者は場を見ての配慮は、必要だよね。 https://t.co/DRlBT4Zp4J
インフラ次第で競技というかそのジャンルの隆盛が左右される常。 https://t.co/A5PiLqRJ5R
— タケモトヒロタカ (@takebowtune) December 3, 2019
モータースポーツ界もサイクルスポーツ界も気を付けたいですね~🤔
— MOTOっち (@MOTO3388) December 4, 2019
自分はベテランだ、上級者だと思ってる人ほど注意が必要ですよね~🤔
初心者・初級者には優しく😊https://t.co/cv37XumZws
“すべてのジャンルはマニアが潰す。”
— 廣田恵介 (@hirota_kei) December 5, 2019
“「ガチ勢」ばかりの空間は、そこに慣れている人たちからすれば、話の分かる人、通じる人が多く、楽しみやすい。”
プラモデル趣味の世界にも絶えず新しい水を循環させるべきだと、僕は思う。
■過度な「競技化」は「愛好者」を減らす https://t.co/nHInPGG0Y9
20年前、大好きだったクイズの世界から一回遠のいたのはまさにこれ。自分は愛好者でありたい。そしてタイトルにある「過度」なんだよね、ポイントは。
— 松浦 シゲキ (@shigekixs) December 5, 2019
肝に銘じつつ、クイズにおける初心者からの愛好者増やしたい。
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす|佐藤奨 https://t.co/mkRR62YgtA
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす
— もじゃお@エキサイティングサウンド (@absolute_9) December 5, 2019
改造車業界(走る/置く)でさえもそういう雰囲気あるしな😅 ベテラン(?)勢はどんどん先鋭化しちゃって新規参入を拒んだり、先鋭化しないエンジョイ勢と対立したり…。互いに尊重して水が濁らないように楽しみたいよね🤭@2tomman #note https://t.co/BoTvpHw3FC
これ、競技だけで無く、まさに業界にも言える。今いる業界は新参者が少なく、自分も含めて壁を高くしている気がする。
— よしけん@3Dプリンタ (@sumamee) December 5, 2019
過度な「競技化」は「愛好者」を減らす|佐藤奨 / 𝗧𝘀𝘂𝘁𝗼𝗺𝘂 𝗦𝗮𝘁𝗼 @2tomman #note https://t.co/0IrRXTlP6q
タイムラインに流れてきたこの件、スポーツだけでなく、趣味のこと全般にも言える気がする…(´・ω・`)
— Tomoppi-NG (@TomoppiNGK) December 5, 2019
https://t.co/gITNnVhats
これは、ゲームデザイナーを名乗る者として肝に銘じておきたい話題やね
— えすぺら@Vカードゲーム制作者【クロス・ユニバース】 (@esuperannt) December 6, 2019
「過度な「競技化」は「愛好者」を減らす 」https://t.co/xtUXdNxeH6
医療の世界でも似たことがあるようだ。
医療の世界もそう。
— もりもり (@moritako1121) December 2, 2019
極めて狭い専門家集団が門戸を開く土壌は大切だと思う。
そして、ぼくの上司はそのバランス感覚が天才的に上手いと思う。 https://t.co/d3ezAFMakG
スポーツだけじゃなくてコミュニティを形成するもの全部に言える。ソシャゲとか、SNSとか… https://t.co/1YDWexjYtb
— kensaku araga (@ken39arg) December 2, 2019
スポーツだけでなく、ゲームセンターなどでも起きる。スポーツ観戦の現場でも起こる。音楽ライブなどの現場でも聞いたことがある。医療現場でもあるようだ。
つまり、「特定のコミュニティ」では、似たようなことが起こる。これは人間の、コミニティでの普遍的な"傾向"と言えるだろう。
では、特定のスポーツにて「愛好者」初級者を減らさないために、どうすべきかを考えてみる。
どのような「打ち手」があるか?
上記にも書いたが、そのコミュニティで、循環がおきなければ濁った水になる。人もほとんどが水でできているというCMもあったが、コミュニティも水のようなものだ。
そのための打ち手としては、統括運営者は、元々コアなプレーヤーである場合が多く、いつのまにか初級者の想いを拾いにくくなったり、要望を上げてくる人はコアなプレーヤーが多いので、そこに寄り添いすぎると、徐々に初級者視点がなくなるという、つまり客観的な視点が必要。
そのスポーツの統括側として、過度な「競技化」を推進させないことの大切さも合わせて持っておくべきだろう。愛好者の心地よさを守るために、初級者視点がとても大切。
また、これも上記で触れたが、「新規ファンの心地よさ」に向かうことが「ガチ勢の心地悪さ」になることもある。こうして、どっちがを立てれば、どちらかが嫌な想いをする可能性がある状態、いわゆるトレードオフの関係になったときの、このような意見もあった。
トレードオフになる場合は中長期的な戦略として新規層獲得を優先しつつ、優良なコアファンを囲い込む必要がありますね。ガチ勢の中にもネガティブな層はいるので、それらは勇気を持って捨てる選択も必要になります。 https://t.co/gDNLKp973o
— Yuya Tamai/プロ野球の人 (@YTamai) December 2, 2019
こうした中長期の視点が大切にもなってくるだろう。
また、この投稿での指摘の通り、逆もある。競技化しないとファンが残らない。大会を欲する人がいる、ということ。
(´・ω・`) 逆のケースもあるのだろうなーとボンヤリおもいつつ、急所は「来なくなった人の来なくなった理由を訊くチャンスほとんどゼロ」ということなんだろうなーって https://t.co/Sqd6thY9oo
— きふかくのもの (@shogitarou36) December 3, 2019
これもまったくその通りで、今回の私が用いているフレーズは、競技化をさせないことではなく、”過度な”「競技化」を推進させないことというフレーズにしている。
過度な「競技化」を推進させないこととはどういうことか。私の関わるスポーツの一つで、子供向けのランニングバイク大会があるが、過度な「競技化」は「愛好者」を減らすことを、とても意識してルール設計、運営を行なっている。
ここでは、その大会の細かなルールについては掘り下げないが、初級者でも居心地を感じやすくなる企画を増やしたり、競技以外でも楽しめる場所を用意したりする。空間の設計から空気づくりも含めて、初級者にできるだけ寄り添う雰囲気をつくる一方で、コアなトップ選手たちを、しっかりと表彰する大会ルールも合わせて行なっている。
統括側として、一番大切なのは、こうしたこと(過度な「競技化」は「愛好者」を減らすこと)があるというコミュニティの傾向をしっかり理解しておくこと。そして、そこに向けた準備をし、仕組みやルールに落とし込むこと。
一番大切なのは”理念”や”ビジョン”
もし大会などを主催する場合、一番大切なのは、理念やビジョンではないだろうか。
なぜ、なんのためにこの大会(イベント)を行うのかという”理念”。誰に、自分たちのどういう価値で、喜んでもらいたいのか。どうしていきたいのかという”ビジョン”のことだ。
そうした理念や方向性やあれば、基準も決めやすく、ルールや仕組み、課題ができたときに、どう立ち回るのかを決めやすくなるのではないだろうか。
もしコアなガチ勢だけでいい、たとえ、循環がないコミュニティで少数でも問題がないという理念なら、愛好者や初級者を受け入れなくてもいいわけだ。それがビジョンならば。
統括する側として、どうあるべきか。どう在りたいのか。まずそれが大切で、判断に悩んだときは、その意思決定をすると、未来のコミュニティにて、どういうことが起こるのか。そこまで掘り下げてコミュニティの運営(コミュニティの課題をふまえてルールメイクする = コミュニティデザイン)することが求められているだろう。
追記:投稿に対して私の追記
ごく少数かもしれないけど逆に競技色の強さやガチ勢に憧れる初心者もいる。
— モンゴメリ (@dynatech01r) December 3, 2019
小学校高学年の時にラジコンを始めたけど高価な物を持つ大人や上級者が格好良く見えて、それを目指したいという願望があった(諸事情でブランクが何度もあって今では下手の横好きの万年初心者になってしまったが) https://t.co/xurFrWJNBM
”競技色の強さやガチ勢に憧れる初心者もいる”→まさにそう感じますね。トッププロの舞台があることで、初級者を惹きつける面もある。
”過度に”競技化することで、愛好者が離れるというのは、棲み分けが出来ていない場合。ルールや仕組みで、双方が満足しにくい環境にしてしまっている場合のこと。
僕はキャップ野球普及派、しかし競技化も超がつくほど推進派です。
— えむぷれ(Morishita Kanata) (@mprecap) December 3, 2019
ってのも、他のマイナースポーツと違ってまだ真に始まったばかりのモノであるため体系化って面も大事だと思うんすよね
キャップ投げというかなり入門しやすいものであるが故に「競技」として見られない、覧られないというのは少し。 https://t.co/rtkzYTAs1y
私の一連の投稿は、競技化を否定しているものではない。むしろ競技は必要で、そこで「価値」を証明する必要があると考えている。ただし”過度な”競技化は気をつけるべきで、運営の統括者が、初級者の居心地もつくれるよう、仕組みやルールなど棲み分けを考えて対応しましょう。という話である。
レベル差の棲み分けがなされている競技がある
あらゆる競技で、レベル差の棲み分けがなされている。例えば、柔道では段位があるし、将棋などでもそう。強さを表す「価値指標」として、段位やランキングもあり、レベルの差が事前に棲み分けられている。それがあるから、レベル差ある対決でもストーリーが生まれたりする。指標は棲み分け作用もある。
その競技により、レベル差の棲み分けがしにくい競技があるのも確かだ。そこは年齢で区分けをしていくのか、初めての大会参加などで区分けしていくのか。細分化が難しい場合、どう初級者をカバーして居心地よい空間にしていくのか。そうした部分を、統括者が、初級者の視点に立って思案する必要がある。
著者のプロフィール(制作プロダクションを経営)
BMXジャンプショーを展開
1万人規模の子供向けイベント
お読みいただきありがとうございます!これからも情報配信していきます。