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(閑休話題)わたしをつくる本たち

今日は軽めの話題を、と思い、わたしの本棚ではないけれど、出会った中でじぶんを構成してくれている本について、書きたいと思います。これ読んだー!というのがあったら、ぜひコメントください。似たようなので構成されている人って、いるのだろうか?と率直に思うのです。

あっさり書くぞ!…でも、思い余っていつものごとく濃ゆくなってしまったら、ご笑納をば……( ´艸`)


『自閉症だったわたしへ』 1~3

ドナ・ウィリアムズ 著, 河野万里子 訳.

日本語版は数字で三部作のようになっているけど、原題のタイトル自体は独立していて、それぞれ:

『自閉症だったわたしへ 1』 … "NOBODY NOWHERE"
『自閉症だったわたしへ 2』 … "SOMEBODY SOMEWHERE"
『自閉症だったわたしへ 3』 … "LIKE COLOUR TO A BLIND"

タイトルに即して #オハラ翻訳事務所 *的に訳すると:

『どこにも属さず 何者でもないわたし』
『どこかに属する 誰か』
『盲目の人が色に焦がれるように』
*オハラ翻訳事務所は、すかーれっとが今のところ一人で営む、日英多次元翻訳事業です。現在は、"TIME WARRIOR" 『いのちのじかんのまもりびと』を翻訳・出版すべく、クラウドファンディングの準備をしています。

感性が次元を超えてみているせかいの「わたし」と、理性がこの物理的な世界で人と交わっている世界の「私」――この二つをつなぐための、著者の壮絶な「たたかい」の軌跡がそこにあり、同じく自閉傾向をうっすらと自覚していた18歳からのわたしにいつも希望を投げかけてくれていた本です。青春十八きっぷに揺られながら、いつも、読んでいた。

同じ #自閉症 の傾向をもち生き方に戸惑う人皆に、ゴトゴト車中で読んで欲しい。


#自閉症だったわたしへ #ドナ・ウィリアムズ #河野万里子 #橋をかける


『ギョレメ村でじゅうたんを織る』

新藤悦子著.たくさんのふしぎ 1993年9月号

母がわたしとおとうとのためにとってくれていた「たくさんのふしぎ」シリーズの中で特に印象深い一冊。

絨毯の織に魅せられた作者が、女性ひとりイスラム圏に乗り込むために頭を「男の子みたいに」刈っていく冒頭。織機の手しごとを、地元のおば(ぁ)ちゃん達の隣にじっと座って、習いその言葉に耳を傾ける場面。

どれを取っても、わたしが価値を置くことへの示唆に満ちていて、珠玉。


#ギョレメ村でじゅうたんを織る #手織り #手しごと #イスラム圏


『不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か』

米原真理著.

日本語・ロシア語間同時通訳者の著者の経験に裏打ちされた通訳観。しかもユーモアたっぷりで思わずクスり……もとい、お偉いさんのスピーチしめくくりの「一つ、ヨロシク」の通訳の場面とか、ご想像ください( ´艸`) 大爆笑の一冊。

意味とは何か、文化をまたいで意味を介するとはどういうことか、を、「伝えたいものごと」「伝えられるべきものごと」の本質に両極から迫りながら考察する、その過程に寄り添わせていただける有難い本。


#不実な美女か貞淑なブスか #米原万里 #言語と意味


『オニババ化する女たち』

三砂ちづる著.光文社新書.

言わずもがな、すかーれっとの人生を変えた一冊。二十歳で線引きまくりながら読んで以来(@青春18車中)、”生を全うすることとは?”という問いをいつも投げかけてくれてる。

世代を問わず、女性すべてに読んで欲しい。
女性性を尊ぶ(と少なくとも思っている)男性にも。


#オニババ化する女たち #三砂ちずる #女性の身体性


あとがき

やっぱり濃ゆかった!北の国ならぬ、「インド映画沼から」的、濃ゆくてなんぼ感。

表現されるべき自己が薄まって、あっさりしょうゆ味ぐらいになれたら…と願いながら、今日もすかーれっとは自分を構成していたはずのものを拾い集め、思い出すために、歩くのです。




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