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なにも、なかった。

はじめから、何もなかった【関係性】。



関係性が構築されたなんて、錯覚をしたんだ。

向こうは、こちらのプライバシーを引っ張り情報を得たかっただけ。
それを知って、裏では罵詈雑言の嵐。

そんなこと、こちら側は知る由もない。
想像なのかもしれない。

けれど、そう思わせるような態度や言動が見受けられたら?
警戒心を高めないとならないし、もうこれ以上誰にも相談なんてものはできないのだと思うのは自然ではないだろうか。

結局、誰に対しても【素直である】ことは悪なのだと改めて植え付けられた。


関係性ができていたと思っていた、わたしが全て悪い。
何もかも、わたしの勘違い。

相手から気持ち悪がられても、陰口を叩かれても、傷付けられても仕方のないこと。
それに楯突いてはいけない。

障害者は、健常者様に楯突いてはいけない。
偏見や差別、無能だと区別されることを当然として生きていかなければならない。

わたしの居場所なんて、最初から何処にもなかった。
わたしに寄り添ってくれる人なんて、誰ひとりもいなかった。
わたしの存在を、人格を否定し、個人の尊厳を傷つける人しか周りにはいなかった。

それを気付けて良かったじゃないか。
わたしの周りには、味方なんて誰一人いないことが分かっただけ。

親も、祖父母(特に精神的虐待しかしていない父方)も、親戚も味方なんていなかった。
なのに、赤の他人に味方を探すことがそもそも間違っていた。



生きている内に、幸せになりたかったよ。
報われたかったよ。

けれど、そのすべてを捨てないといけないんだって。
仕事だけ充実してりゃそれでいいんだよ、このクズというのが本心、本音なんですよね。

全部投げ出して、海にでも行こうか。
泳げないから、存在もろとも消して自然に還ることができるね。




障害者なだけで、ここまで虐げられると生きる意味も価値もないということに気付く。
感情というものを全て捨てて、仕事だけにしか全てを捧げてはならない。
障害者は、人として害であり、ポンコツな機械そのものだ。


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