「論理的」

わたしの話し方は、論理的だねと周りから言われることがある。

論理的ってなんだろう?
わたしなりに、ざっくり調べてみた。

1 論理に関するさま。「論理的な問題について書かれた本」

2 論理にかなっているさま。きちんと筋道を立てて考えるさま。「論理的に説明する」「論理的な頭脳の持ち主」

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論理的の逆って…感情的、になるのだろうか。
わたしはどちらかといえば、幼少期は感情的だったように思う。
(我慢の限界を超え爆発したら、未だにそういうところがある)

わたしの場合は、両親が論理的とも感情的ともいえない…いや、どちらもあってやや感情的な言い方だったりした気がする。
それを見て、わたしは自分のことを伝える為に論理的に変化したのだろうか。

あとは、わたし自身、同じ話や同じ質問を何度もしつこくされるのが本当に苦手だ。
というか、鬱陶しいと感じイライラする。
これは誰しもそう思うものだと思うが、わたしの場合はその導火線が短めだと感じている。

無駄な時間を割きたいが為に、どう噛み砕いて伝えたら相手に一発で伝わるだろうかということをわたしは常に無意識に考えながら話しているのだと思う。

それが、結果的に「論理的な話し方」だと言われる所以であり、「一回でスッと話が入ってきて分かりやすい」のだろう。


それでも、やはり相手に伝わらないことは沢山ある。
それで困ることも沢山ある。

そういう人と関わるということが事前に分かっている場合は、文書やグラレコ風のもので可視化した資料を予め用意することもある。
そこに+αして口頭で補足していくというスタイルなら大体はわたしの伝えたいこと、わたしの状態などが一発で理解してくれることが多い。

更にそれでも分からないという人もいる。
そういう場合は、

「これで分からなかったら、もう知りません。とにかく資料をよく見て、補足説明に耳を傾けてください」

としか言えない。
正直、胸の内は「この人絶対話聞いてないな」という諦めを感じる。
同時に、そういう人に対しては顔でわらってこころで壁を作る。


口頭だけで理解してくれる人が多いのは、話下手なわたしにはありがたいことだと感じている。

それでも、もう少し脳内で整理して論理立てて話すことができれば資料をわざわざ作らなくても良いのだろうなと思う。
「資料用意してくれるんだよね?」と言われると、自分の気持ちの整理の為のものがそうでなくなる。

やっぱり、もう少し上手くものごとを伝える人になりたい。
それは、文章も然り。

論理的に話すことが、決して良いことではないのかもしれない。
それでも、無駄なく相手に伝える話し方を磨いていきたい。

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