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バンドの練習する感覚で、授業も練習する。

「作文の教室」”の練習”をしているなう。現場クラスは3年ぶり、リハビリと新たな試みの実験をするための練習。東京・岐阜・[近日発表]で、ベストなものを提供したいので。”の練習”は今日だけでなく、10月中旬にも再度やります。

現場とオンラインの違いは、余白をどのように可視化するか。各受講生と講師が、何をどうするかという貢献。これらのガイダンスが大事そうだな・・・ 現場開催再開により、さらに #共創 のアプローチになりそう。

作文というクリエイションを分解して提示する。何を書くか決める、どう書くか決める、情報収集する、アイデアを議論する、書記をする、文章化する。分解し共創を促すことで、グループ作業で作文に取り組む。そこに補助輪としてワークシートを渡す。

グループで貢献の仕合うことと、ワークシートという補助輪で、まず「こうしたら書けるのかも?」という肌感覚を得てもらうことが、現場ゼミの序盤戦で受講生がつかめれば、究極僕らのファシリは不要になる。それは講師としての手抜きじゃなくて、自立・自走という発信者としてのゴールでは理想形。

現場でもオンラインでも、僕が「先生」にならずに済みそうなのが、今日の嬉しい収穫。権威・威厳のある講師になりたい願望が皆無なので。先生になるより、生徒で居続けるスポンジ的感覚が大事とは、細野晴臣さんの名言。だから僕がファシリや先生と思われないように授業をおこなう。

そういう「そもそも」が揺れないために、そして受講生にベストなものを体験してもらうために、授業も練習が必要なんじゃないかな。練習で固めていったものを、当日の成り行きで破壊するのがベスト。固めたものを、フレキシビリティなく、そのままやるのは良くないんだけれど。

かつてDJをしていたとき、いわゆる機材を覚えたあとは練習ってほぼしなかったけれど、その夜にふさわしいレコードやCDをバッグに詰め込む準備は怠らなかった。

そして数少ないけれど、バンドをやったときも、たとえそれがDAWと同期しているテクノ性が強いときも、当日のムードで練習と違うコードやベースラインにしたり、演奏を長くしたり短くしたりした。

その感覚に近いかも。

楽しく練習。つまらない練習はみんな嫌いなんだから、練習をどう楽しめるものにするかも、キャリアやソーシャルデザインの一歩な気がしてきた。

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