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7・12 洋食器の日

嘘か真か知れないが、その辺りの地域ではこんな噂が囁かれていた。

むかしむかし、そこら一帯を牛耳っていたミツミネという一族がいた。
ミツミネ一族は大地主と言うだけでなく、財を成すにも長けており、うなるほどの金を有していたという。
変わり者ばかりの一族の中で、そこのお坊ちゃんがまた一段と変わり者であったそうだ。

その坊ちゃんが成人前にさしかかった頃である。
大人の分別を学ぶ前に人の遣い方を覚えてしまった坊ちゃんは、何でも思い通りにならねば気が済まない短気な質になっていた。
「もう、これはつまらんな」
そう言って、ある日急に家中の和食器を割りはじめてしまった。
何が気に入らないのか、父が大事にしていた焼き物のコレクションまで一緒にトンカチで割り、庭には和食器の亡骸で山が出来た。
さすがに一族の反感を買った坊ちゃんは、旅支度をするとひらりと逃げるように家を出た。
「ちょっと遊びに行ってくるよ」
その行く先は北の島とも南の果てとも言われていたが、坊ちゃんが船で渡ったのはヨーロッパであった。

幾年か過ぎて、皆がもう坊ちゃんはどこか遠くで果てたのだろうと忘れかけた頃、坊ちゃんが突然家の門を叩いたので一族は彼を亡霊かと思ったのだそうだ。
髪は伸び、肌は白く、爪が綺麗に磨かれた坊ちゃんはヨーロッパで買い求めたハイカラな服と帽子を身につけていたので、初めは誰も坊ちゃんであると分からなかった。
「ただいま。さあ、お父様。これを大量生産してくれたまえ。こいつは金の生る木だよ」

坊ちゃんが荷物から出してきたのは、真白くつるりとした洋食器であった。

もちろん父は取り合わず、仕方がないので坊ちゃんはこれまたお金持ちの齢の近い友人に頼んで洋食器の大量生産を始めた。
それのおかげで坊ちゃんの蓄えは一時すっからかんになったが、坊ちゃんはそんなことは露ほども気にしていなかった。
そもそも、金を数字の羅列としか見ておらぬのだった。
「僕は嘘はつかないよ。君も投資するといい」
坊ちゃんの話に別の友人たちも悪乗りしはじめて、坊ちゃんの持ち帰った洋食器は爆発的に在庫を増やしていった。
そしてそれを一斉に売り出すと、なんとその珍しいシンプルな食器は食べ物が映えて良いと評判になり、飛ぶように売れたのである。

坊ちゃんの洋食器は鳩のように、空飛ぶ円盤のように、どこへでもどこまででも日本全国に広がっていった。
実のところのカラクリは、なぜかといえば、お洒落や流行に聡いお嬢さんたちのハートをがっちり押さえていた坊ちゃんだからである。
坊ちゃんの類稀なる美しさに惚れたお嬢さん方が大金を払って洋食器を買い、お洒落なお嬢さんに憧れた都会のお嬢さんやらが洋食器を買い、その流行に憧れた地方都市の人々が洋食器を買い、坊ちゃんの洋食器は一大ムーブメントを巻き起こしたのだった。

後に友人の一人はこう語った。
「まあ、ミツミネの坊の気まぐれで日本中が洋食器を使うようになったと言っても過言じゃないでしょうな。それに尽力したのはね、この私なんですよ。しかし、あいつは顔は絶品だが中身はポンコツなのに、世の中ってえのは不思議なものですね。やはり食器も男も、ハイカラで見栄えがいいのがお嬢さん方は好きなんでしょうなあ」

その辺りの地域では、今尚洋食器始まりの地として皿形のオブジェが駅前に展示されているそうだ。



7.12 洋食器の日
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