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フェイクリテラシーは、混沌世界を制覇するのか?

いま「権威が失墜」している時代なのか、それとも民主主義が「変」なのか?

今朝の記事(9日付)で、いま、世相を代弁してる様なニュース記事があったので、一部紹介したい。

最近そんな記事が多いような気がする。いや気がするではなく、多い。それが、今、言論ネット、動画、SNSで注目され、ひくてあまたの成田悠輔さんであることに間違いないし、さらにメディアを独占していると誇大表示しても、誰も文句はいわないだろう。

その極め付きがYouTube配信の動画だった。テレビ界の大御所「秋元康」と成田悠輔さんの対談動画をみて、その思いを一層強くした。

極論とは思うが現世「種が島」浜に上陸した秋元氏を極上の料理とシャンパンを用意して賓客を迎える成田悠輔さんの「正装」姿に度肝を抜かれた。そんな感じですかね。

いまさら説明の必要もないが、昭和のテレビ界音楽界の救世主として、早晩からその業界で手腕を発揮した、その秋元氏がYouTubeで成田悠輔さんと、対談することも時代を象徴としていると思われた。

先般のハラキリ発言(田原)による社会的物議騒動と、その対象が異種の芸能筋の重鎮、秋元氏では、論じる内容も異なるが、客観的な俯瞰視で、いうなら、どちらも「業界トップ」の顔があり、それを大衆社会は、当然のことのように見ている。

その代表的モチベーションが「日本から出ていけ!」とするなら、おそらく、「もぬけの殻」状態になってしまった国には、いても意味がない、というパラドックスとして、反論する必然性もないのではないかと。

そんなことを考えたら、二者、いや三者か、がこの座標(2023/1)という時間軸で日本また世界が推移するなら、その昭和残滓(私の団塊)は、既に一世を作り終えたイギリスだったりアメリカ、ラストベルトと同じカテゴリーで括られて、「諸悪の根源」として、その舌鋒の矛先に立たされると換言しても間違いない。

そこの「ジャンヌダルク」が東大卒の経済学者だったのは、たまたまそうだったのか、それとも本質的に、時代の過渡期、として普遍的に括られるものかのか、その判断は難しい。

■最近の傾向として(本人~) 

この「racoc」(#つしま昇)の記事の閲覧が、最近多くなってきて意外だな~と思う。
なぜなんだろう、という勘繰ることはないが、書かれている記事内容は、以前と変わらないハズと自負している。

また、昨日の「パンドラの箱」ではないが、その原義を追ってみれば、世界四大文明の紀元前のはなしまで、さかのぼる。そんなことは、かつて義務教育で倣った世界歴史の断片であり、テストに出された問題の数々であった。

云ってみれば自動車の免許証を取るのに似て、高い金を払ってコース巡回して、ノルマを達成して試験に受かるという、模擬スタイルと同じで、実地を知ることはないが、多分そうなんだろう、という前提でデータを蓄積する。だから、交通事故は絶対ない、というお題目は、あっという間に崩壊する。

それと同じことが歴史記録でもあって、最近の科学調査によって、さらに精度がアップして、過去の検証と反対のことが、実証されることもよくある。

日本史について云えば近現代史の「明治維新」筋のほとんどは、司馬史観に覆われている、と断言してもいい。
「コペルニクス地動説」が定理としても、昔のように太陽が外を回っていると信じていても、個人生活にさほどの影響はないと同様、カリスマ龍馬と神格化されたとしても、驚くに当たらない。

ただ、「話ができすぎている」、と思う人も多数いることも事実で、昨今、それにアンチテーゼする人が多くなってきた。

私は、その多くなってきた、人の一部で、近代カリスマ「成田悠輔」のような既成概念無力化、を標榜するロジックとは相容れない。その相容れないの理由というのは、根本的に時間軸、座標軸がことなる思想の下で、それが交わるわけがない。その点では「田原」氏と同じ土俵の中と、云えなくもないが、いずれにしても、私らの価値観で未来は作れないし、自分の住む家を建てる設計図を、あちらこちらで流布公言するのは当然の行為で、その線を引くのにパソコンに仕込んであるAIを使って作図するのは、もはや当たり前と考えた方がいい。

そして、そんな拙い記事を読んで後援してスキ印を下さる皆さんへ、この場で謝辞を申し上げたい。

~ありがとう~と

フェイクリテラシーは、混沌世界を制覇するのか?

ノーベル平和賞のマリア・レッサの警告「偽情報と戦わなければ、民主主義はまもなく敗北する」 1/9(月) 9:30配信 クーリエ・ジャポン
事実を守るために戦いを続ける
もちろん、プロパガンダも、自由を抑圧する勢力も、いまに始まったことではない。ヒトラーやKGBに言えることは今日にも当てはまるしマーク・ザッカーバーグが生まれる前からフェイクニュースは存在した。レッサは「偽情報をコカインにたとえた」というかつてのKGBのトップ、ユーリ・アンドロポフの言葉を引用する。
冒頭記事引用 


2023年01月09日記事

“世界的知性”エマニュエル・トッド
「日本好き」になったきっかけ 2023/1/2(月) 8:03配信 現代ビジネス
金融危機やアラブの春を予言し、これまで何度も話題を呼んできた歴史人口学者のエマニュエル・トッド。新刊『我々はどこから来て、今どこにいるのか? 』(堀茂樹訳、文藝春秋)の発売を機に、今後の世界への見通しを聞いた【写真】Photo by gettyimages

 ―家族を軸に世界の在り方と歴史を分析する、トッドさんの集大成ともいえる一冊です。そもそもなぜ家族に注目するようになったのでしょうか。

 10代の頃から、自分の家族の家系図を見るのが好きでした。後に「本当に有名だったんだ」と認識することになる私の祖父で作家のポール・ニザンに関しても、家系図から知っていました。思えばあの頃から、家族に関心があったのです。その後、20歳の時にケンブリッジ大学に入り、家族形態の研究をされているピーター・ラスレット先生に師事しました。当時イギリスでは「家族と思想」についての研究が進められており、私自身の研究は彼らが導いた仮説を世界レベルに広げたものだと考えています。

 ―様々な家族、親族の形態がありますが、人類の歴史を遡ると「原始的な核家族」に辿り着くと分析されています。

 狩猟採集によって生きていた太古の家族は平等で、個人主義的な性格をもつものでした。男女が協力しながら生活していたため、父親も母親も同じだけの重みをもっていました。しかし農業が発明された後、ユーラシア大陸の中心部から、複雑な家族構造が生まれていった。たとえば中東や中国では、成人後も息子が親許に残って大家族を作る「共同体家族」が形成されました。一方、大陸の周縁部であるイギリス、フィリピン、東南アジア等には核家族が残っています。主にイギリスから渡った人々によって建国されたアメリカも、モダンでありながら、どこか野蛮なものをもっています。進んだ国のように見えて、実は原始的だというのは非常に興味深いです。

家族構造の違いがもたらすもの

 ―現代に目を移すと、家族の在り方の違いが、国際的な対立に重なるというのも大きな発見です。

 イギリスとアメリカ、欧州、日本、韓国などの広義の「西洋」では核家族や、直系家族(親子間は権威主義的、兄弟間は不平等)がほとんどです。ところが西洋と対立するロシアや中国、アラブ世界は共同体家族が多く、「父系」の家族構造で男性中心の価値観をもっています。こうした家族構造の違いを無視して西洋が自らの価値観を押しつけるため、たとえばLGBTのような男女の関係をめぐる慣習が現代の国際政治の中心に来ているのです。核家族構造の国々ではLGBTを認めようという動きがありますが、ロシアは反発を強めている。しかも西洋世界が「自分たちは進んでいる。他国も従うべき」という態度をとればとるほど、サウジアラビアを初めとしたアラブ諸国もロシアに好感を抱くようになっています。研究はまだ始まったばかりですが、地政学とLGBTのようなテーマを結びつけざるをえない状況に驚きを覚えています。

 ―国家の衝突が家族形態の違いに根差しているならば、争っている国々が分かり合うことは難しいのではないでしょうか。

 楽観的に見れば、家族形態が違っていても、西洋とロシアやアラブ世界が平和的に共存できる可能性はあると思います。ただ、私が心配なのは西洋世界の安定性です。イギリスやアメリカの社会が、政治的にも精神的にも、不安定さを増している。たとえばロシアとしては「防衛」のつもりの攻撃に対し、「プーチンはモンスターだ」といった感情的な批判に走るようになっています。

日本はどうなる
 ―トッドさんは何度も来日されているそうですね。日本とのかかわりを教えてください。

 国際交流基金の招待で、'92年に初めて日本に来ました。実はその時、ある「仮説」を検証したいと思っていました。家族構造に着目すると、日本は長男を大事にする直系家族の国であり、ドイツや南仏と似ていることになります。つまり日本にはヨーロッパと同じ雰囲気があるのではないかと思ったのです。

 実際に日本に来てみて、仮説が正しかったことが分かりました。ヨーロッパ人としては違和感がなく、とても心地よかった。しかも日本の方々は、私の仕事を高く評価してくださる。すっかり日本が好きになり、もう10回以上来ています。

 ―日本には、少子高齢化という大きな問題があります。危機を脱するには何をすればいいのか、アドバイスをください。

 かつては日本だけが突出して少子化が進んでおり、家族の形態や儒教的な思想が大きな影響を及ぼしていると考えることができました。しかし最近では韓国や台湾はもちろん、ヨーロッパ諸国やアメリカでも出生率が低下している現状があります。少子化はもはや日本だけの問題でなく、先進国全体の危機だと考えるべきかもしれません。

 少なくともいえるのは、西洋社会が未来の見通しをなくした結果として、馬鹿げた戦争が起きているということです。将来に不安がある限り、子どもが増えることはないでしょう。しかし戦争を乗り越えた先で、少子化に歯止めがかかる可能性もあります。実際に第二次世界大戦の後は、出生率が高くなりました。

 世界では環境問題についてよく議論されていますが、「人口の崩壊」についても真剣に取り組むべきでしょう。ちなみに私は、自分がやるべきことをしました。子どもは4人いますし、孫も8人いますから(笑)。 (取材・訳/大野舞)


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編集構成#つしま昇

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