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web3.0を説明するには、近道がない

「ピ ー ター ・ラ ス レ ッ ト」 と ケ ン ブ リ ッ ジ ・グ ル ー プ
斎 藤 修(一僑 大学 ))2002 .5

ピータ ー ・ラ ス レ ッ トが 昨 年 11月 8 日 に亡 くな っ た 。あ と 1 ヶ 月余 で 86歳 の 誕 生 日 を迎 え るとこ ろで あっ た 。人 口 学 研 究 に 携 わ るひ と に と っ て ラ ス レ ッ トの 名 前 は、ケ ン ブ リッ ジ ・グル ープ の 創立 者 として、英国 に お け る歴 史 人 口 学 の 組織化 に 貢献 し た歴 史 家 と して 永 く記 憶 され る で あ ろ う。彼が トニ ー ・りグ リィ と ともに 創設 した ケ ン ブ リ ッ ジ ・グル ープ は、フ ラ ン ス で 開発 され た家族復 元 法 を イン グ ラ ン ドの 教 区 簿冊 に 適 用す る組織 的 な 研 究 を 始め 、家族復元 に よ っ た ミ クロ 人口学の 人 口 史研 究 を推 し進 め た だけ で は な く、教 区 簿冊 か ら得 られ る 洗礼 ・結婚 ・埋 葬数 を集計的 に 利 用 す る逆 進推 計法 を考 案 し、マ ク ロ の 領域で も記念碑的な人 口 史 をグル ープ の 仕事 として 完成 させ た 。
しか し、ラス レ ッ ト個 人 は歴 史 人 口 学者 とい うよ りは 、家族 と世帯 と社会構 造 の 歴 史 家 で あ った。一専 門領 域 に と どまら ない 研 究活動 を した 学者で あっ た。それ どこ ろか、、狭 い 意 味 で の 学者 の 枠 を こ えて 大 きな影 響 力 を社 会 に 与 えた知 識 人 で あ っ た 。
以下、彼の 知 的 キャ リア を振 り返 りつ つ、彼 とケ ン ブ リ ッ ジ ・グル ープが 歴史人 口 学 の 発 展に 与 え た 貢 献 をみ て み た い 。(部分引用)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jps/30/0/30_KJ00009384908/_pdf/-char/ja


「ピーター・ラスレット」歴史学者

「ピーター・ラスレット」教授 金子 邦彦(かねこ くにひこ)
特に、エマニュエル・トッドは家族形態と社会イデオロギーの関係を明らかにした。
そこでは、絶対核家族、平等核家族、直系家族、共同体家族のそれぞれが多い地域において、自由主義、自由平等主義、社会民主主義、共産主義のイデオロギーが栄えやすいことが論じられている。しかしながら、家族形態を規定する社会・生態的環境要因の分析は網羅的ではなく、家族形態と社会構造の相関についても説明は不十分であった。ここで、環境要因と家族レベル、社会レベルの性質の関係を統一的に説明する枠組みが求められている。

「いま、なぜサード・エイジか」という、あまり学術的ではない題目を付けたのも、その研究会の名称に使われているサード・エイジという言葉が、 日本ではまだ、馴染みが薄いことと、この言葉が、これからの高齢化あるいは高齢者に関わる研究を進めていく上で有効な概念になるのではないか、という期待も込めて、このようなタイトルにした次第である。

1.サード・エイジの概念
ラスレット(Laslet,1996)によれば、The Third Age という言葉は、フランス語系あるいはスペイン語系の語句 Troisieme Age の英語表現である。この Troisieme Age という語句が最初に使われるようになったのは、1970 年代にフランスやスペイン、イタリアで創設されるようになった LesUniversites du Troisieme Age という名称においてである。そして、1981年7月の夜にケンブリッジ大学で最初に始められた同様の活動(組織・団体)を Universitiyof the Third Age(U3A)と名付けたことから、The Third Age という言葉が英語圏の国々で一般化していった(1 。)
しかし、サード・エイジを日本語で表現しようとすると適当な言葉が見つからない。サード・エイジ(the third age)だけを日本語にそのまま置き換えれば、「第三期」や「三番目の時期」、「第三時代」ということになろうが、それでは何か不自然であり、それによって指示している内容が判然としなくなってしまいそうである。それが指示するところは、一生の過程の第三期目あるいは加齢過程の第三段階ということである。英語で表現すれば、the third age of the life course あるいは the third stage of aging ということになろうか。その意味では、「第三期年齢段階」と表記できそうである。

そして、その期間にある人々をサード・エイジャー(the third ager)-これも、「第三期年齢層」と表記できそうである-と呼んでいる。しかし、そうした日本語表現では何かしっくりしない。そこで本稿では、他に適当な訳語も思いつかないので、とりあえずというか、あえてというか、サード・エイジとカタカナ書きにしておく。外来語のカタカナ書きを批判する向きもあるが、日本語にぴったりと合う言葉がないときには、無理に日本語で表現してわかりにくくするよりはカタカナという便利な表記法を生かすほうがよいであろう。
ところで、ラスレット(Laslet,1996)は、誕生から死までの人間の一生(life course)を、「依存・社会化・未熟・教育の時代」であるファースト・エイジ(the first age)、「成熟・自立・生殖・稼ぎと貯蓄・家族と社会への責任の時代」であるセカンド・エイジ(thesecond age)、「達成(personal achievement/fulfilment)の時代」であるサード・エイジ(the-3-「サード・エイジ」という言葉に出会ったこと、この言葉がアメリカやヨーロッパでは 1970 年代から 80 年代にかけて一般に使われるようになり、現在ではよく知られていて使われていること、「サード・エイジ」を鍵概念として高齢化問題を論じた代表的な研究者と知られているのが歴史学者のラスレット(Peter Laslet)であり、10 数年前に「サード・エイジの出現」(The Emergence of the Third Age)という論文を発表し(Laslet, 1987)、その後、かれは、「人生の新しい地図」(A Fresh Map of Life)という著書で「サード・エイジ」に関する議論を発展させていること(Laslet, 1989, 1996)、インターネット上のウェッブ・サイトに商業ベースの「サード・エイジ」のページがあること(http://www.thirdage.com)、大学院の演習で Walker(1996)や Laslet(1996)の著作を取り上げたこと、市民向けの講演など機会あるごとに、「サード・エイジ」について触れていることなどを話した。

次々と「新語」が出、次々と消滅する時代

まだまだ、それらは序章で、本題には入れない。この「サード・エイジャー」も「ピーター・ラスレット」も、そして「エマニュエル・トッド」にしても学者として、世の動向を分析して将来を予測するという、云ってみれば中世ノストラダムス(もともとはと天文学科学者)的な、スタンスでリテラシー発信していた人物である。

先日書いた「エマニュエル・トッド」記事に、そのweb3.0について言及していたので、そこから糸口を拾って、話の風呂敷を広げたいと思っている。

昨日のTwitterを買った「マスク」氏にしろ「トランプ」にしろ、アメリカ的発言力で、国旗のような大風呂敷を広げているが、やっているその内容は、彼ら学者たちの未来予想的な発言であり、そのことが即、金銭に換金され懐に入るか、はたまた社会に還元されるか、という二通りの何れでありとくに、マスク氏の金銭剛腕で、右に出るものがいないという独断場だった。

それで「web3.0」という謎々だが、簡単に述べればfacebookメタバースであり、アバター仮想空間生活移住のような「お子様ランチ」ごっこを本気でやる、というコンセプトと理解しているが、合否は知らない。

それで「エマニュエル・トッド」は、テレビ「欲望の資本主義」で、そんなものはすでに古くて何の価値もないと英断し切り捨て御免にした。

だから、そのweb3.0というのは余計面白くて、ビットコインのような「巨大過疎村の中の椅子取り合戦」を彷彿とさせ、人を夢中にさせたのだろう。

昨今のトレンドとして、サード・エイジャー(the third ager)-学説のミレニアム世代とか、もっと若いゼット世代などで、日本語限定アラサーアラフォー世代は、端から相手にされていなかった(発信源が何もない)。

そんな色分けをしたのは、そのweb3.0とか1.0ー2.0など三段階にした区分けが、どう云う意味か考えてみると、こんな時系列で分けられるとおもったのである。

1.0昭和 2.0平成 3.0令和と、日本的和暦元号と呼称したらもっと判りやすいと思った。

昭和1.0は、いまさらくどくど説明はいらなくて、インターネット黎明期であり、筆頭マイクロソフトが世界の事務系を革命的に改革した。

平成2.0では、それを足掛かりに、他のコンテンツが彗星の如く出現し、実務から趣味範囲に、その領域を世界的に拡大した。特に画像、動画、音楽などのアプリが開発され高価なCDが市場に出回った。

そして令和3.0では、スマホ(apple iPhone)が、それまでの全メディアカテゴリーを根底から変え、もはや旧態アナログメディア存続を脅かす存在となった。

web3.0 解説 「ウェブ3」を10分で理解する【基礎知識】
2022年 1月 4日 07:00 Robert Stevens
「ウェブ3.0」とも表記されるウェブ3は、最近頻繁に耳にする言葉だ。分散型プロトコルを促進し、ユーチューブ、ネットフリックス、アマゾンなどの大手テック企業への依存を減らそうとする、次なるインターネットを意味する。
しかしウェブ3とはいったい何なのか、なぜ話題となっているのだろうか?
ウェブ3とは?
ウェブ3を理解するためには、その前に何があったかを理解することが必要だろう。ウェブ1と呼ばれる、最初のバージョンのインターネットは、1990年代後半に登場。リンクとホームページの集まりから成っていた。
ウェブサイトは特に双方向なものではなく、書かれているものを読んだり、他の人が読めるように基本的なコンテンツを発表する以外に、できることはほとんどなかった。
マイニング企業ビットフューリー(Bitfury)のCEO、ブライアン・ブルックス(Brian Brooks)氏は2021年12月、議会公聴会で次のように表現した。
「もし元祖AOLアカウントを覚えているとしたら、あれは『ウォールドガーデン』の中で、双方向ではなく、AOL上で提供されるコンテンツを見るための方法であった。タイム誌が雑誌の中で読んでほしい記事を見せていたのと同様で、この場合はスクリーン上というだけの違いだ」

次に、ウェブ2がやって来た。「リード/ライト」型インターネットと呼ぶ人もいる。閲覧だけではなく、ファイルを開いて編集できるコンピューターコードから来る呼び名だ。
このバージョンのインターネットでは、人々はコンテンツを消費するだけではなく、自ら作成し、タンブラーなどのブログやインターネットの掲示板、クレイグスリスト(Craigslist)などのマーケットプレイスで発表できるようになった。
その後、フェイスブック、ツイッター、インスタグラムなどのソーシャルメディアの台頭により、コンテンツ共有は新たなる高みへと到達した。
その後しばらくして、人々は自らの個人情報がテック大手によって収集され、ターゲット広告やマーケティングキャンペーンに使われていることに気づいた。とりわけフェイスブックは、データプライバシー法の侵害で批判を浴び、2019年には50億ドルの罰金が課された。これはFTC(連邦取引委員会)による罰金としては、史上最高額であった。
ウェブ2は世界に、素晴らしい無料のサービスをもたらしたが、大手テック企業が生み出した新しい 「ウォールドガーデン」に人々はうんざりし、自らのデータやコンテンツをコントロールしたいと考えるようになった。そこで、ウェブ3の出番だ。
ウェブ3は、インターネットの「リード/ライト/オウン(読み出し/書き込み/保有)段階と理解できるだろう。自らのデータと引き換えに無料のテックプラットフォームを利用するのではなく、ユーザーはプロトコルのガバナンスや運営に参加することができる。つまり人々は、単に顧客や製品ではなく、参加者や株主になれるということだ。

ウェブ3においては、株式のようなものはトークンや暗号資産(仮想通貨)と呼ばれ、ブロックチェーンと呼ばれる分散型ネットワークの所有権を表す。トークンを十分に保有していれば、ネットワークで発言権を持てるのだ。ガバナンストークン保有者は、自らの資産を使って、例えば分散型貸付プロトコルの将来に投票できる。
ここでも、ブルックス氏にまとめてもらおう。
「ここでの真のメッセージは、分散型インターネット上で起こることは、投資家によって決定されるということだ。それに対し、メインインターネット上で起こることは、ツイッター、フェイスブック、グーグル、その他少数の企業が決定する」
ウェブ3では何ができる?ウェブ3は、かつて中央集権型であったプロダクト向けに、協力的なガバナンス構造を拡散することを可能にする。ミーム、芸術作品、個人のソーシャルメディアでのアウトプット、有名起業家主催のカンファレンスのチケットなど、あらゆるものがトークン化できるのだ。
パラダイムシフトの典型例は、ゲーム業界に見られる。ゲーマーはお気に入りのゲームに開発者たちが残したバグについて、あるいは最新のパッチによってお気に入りの武器のバランスが崩れたことについて、延々と不満を並べる。
ウェブ3ならば、ゲーマーはゲーム自体に投資し、どのように運営されるかについて投票することができる。メタやユビソフト(Ubisoft)など大手ウェブ2企業は、一部ウェブ3が支えるバーチャル世界を生み出している。
NFT(ノン・ファンジブル・トークン)もまた、プレーヤーが集めたアイテムの変更不可能な保有者になれるようにすることで、ゲーム業界を改革するのに大きな役割を果たしている。

ウェブ3に対する批判ウェブ3テクノロジーに対する主な批判は、その理想に及ばないというものだ。ブロックチェーンネットワークの所有権は平等に分配されず、初期の参加者やベンチャーキャピタリストに集中する傾向にあるとも言われている。
先日、ブロック(Block)のCEO、ジャック・ドーシー氏と、様々なベンチャーキャピタリストの間で、ウェブ3をめぐって、公開の議論が巻き起こり、この話題が表舞台で取り上げられることとなった。批判の中心にあるのは、「分散型劇場」という考え方だ。これは、ブロックチェーンプロジェクトは名目上は分散型ということになっているが、実態はそうではないというものである。プライベートブロックチェーンやベンチャーキャピタリストが支援する投資、わずかな人が数億ドル相当の資金への鍵を握っている分散型金融(DeFi)プロトコルなどが、分散型劇場の例である。
そして、リーダー不在のはずのプロトコルのコミュニティにも関わらず、明らかなリーダーが存在する。『フィナンシャル・タイムズ』のブログ『Alphaville』のエディターを退任するイザベラ・カミンスカ(Izabella Kaminska)氏は、イーサリアムの共同創業者ヴィタリック・ブテリン氏が、開発にはもう携わっていないにも関わらず、イーサリアムネットワークに対して持ち続ける大きな影響力を指摘している。
「ブテリン氏は彼自身、奇妙で矛盾した現象だ。事実上リーダー不在のシステムの精神的リーダーとして機能しながら、自らが作り上げ、監督するリーダー不在のシステムに対して驚くほどの影響力を保持している」と、カミンスカ氏は暗号資産関連情報サイト『The Crypto Syllabus』で述べている。
分散型金融プロトコル内でも、事態はそれほどましなものではない。投票者の不在が蔓延しており、しばしば中央集権型インフラに依存している。ブロックチェーン作成が、最高に専門的なエンジニアだけにできる難解な魔法のように見えることを考慮すれば、作成のための参入障壁もいまだに高い。
しかし、それらの問題を抱えるにも関わらず、ウェブ3は多くの可能性を秘めている。実現するにはあまりに理想主義的かどうかは、この先10年で一般ユーザーが発見していくことになるだろう。

|翻訳・編集:山口晶子、佐藤茂|画像:Shutterstock|原文:What Is Web 3 and Why Is Everyone Talking About It?





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