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「エーテル」は空間、である

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(ターニングパラメータ)


「ニュートン秘密の箱」、という本を読んでいて、そこに、当時のニュートン研究痕跡が詳しく書いてあった。そこにあったのがニュートンの「錬金術」である。

ニュートン自身の実験メモ~抜粋
このたび再発見された写本も、そうした成果の一つだ。ニュートンはこの奇妙な文書を、17世紀の錬金術師で米国生まれのジョージ・スターキーの著作から書き写した。
現代の学者が解読したところ、スターキーによる「哲学者の水銀」のレシピでは、水銀を蒸留し、金と一緒に加熱する過程が幾度も繰り返されている。この作業を続けると、やがて枝のように伸びた繊細な突起をもつ合金が生成される。
この驚くほど樹によく似た構造物を見たスターキーは、哲学者の水銀が生命を宿し、その力と重要性を示したと感じていたことが、その記述から読みとれる。だが、ニュートンがスターキーのレシピを正確に読み解いたのかどうか、また錬金術で樹状の構造物を生み出すのに成功したかどうかを示す証拠は残されていない。

この文書の真の価値は、裏面にあるとも言える。ニュートンはそこに彼自身が編み出した、鉛鉱石を用いた錬金術の手法を走り書きしているのだ。
スターキーの著作は公に出版されているが、ニュートンは公表の数年前にその内容を入手している。
これはニュートンが他の錬金術師たちと協力関係にあったことを示す手がかりになるのではないかと、ニューマン氏は述べている。

そうした関係は、ニュートンの光学の研究に影響を与えた可能性もある。白い光はさまざまな色の光が混ざったものだが、ニュートンがこの革新的な発見をするうえで、錬金術の教えがヒントとなったかもしれない。

「錬金術師は、化合物の分解や再構成が可能であることを、初めて見いだした人々です。」

ニュートンはこの考え方を応用して、白色光を複数の色に分けたり、再び集めて白い光に戻したりしました。これはニュートンが錬金術から得た手法なのです」とニューマン氏は言う。
ニュートンは数々の重要な科学的発見を成し遂げた。だがその中には、「錬金術師ニュートン」のおかげで初めて可能になった発見もあったのかもしれない。
(参考記事:「日本人初!の“超重元素の錬金術師”」)

ナショナル ジオグラフィック バックナンバー
《 ニュートン1643年1月4日生》 他、ウィキペディア

「ニュートンの秘密の箱 : ドラマティック・サイエンスへの誘い」
小山慶太 著 出版社 丸善発行 年月 : 1988年04月

http://blog.livedoor.jp/raki333/preview/edit/db6eaf900a9c73aaae2505460870bc8c    自著ブログ


デカルトエーテル 「ルネ・デカルトのエーテル」 

エーテルの検出実験

マイケルソン・モーリーの実験は、直交する2つの経路を進むのに光が要する時間を比較するものである。これは、絶対座標系の不存在を確認する実験手法として広く用いられている。
19世紀後半には、この「エーテルの風」の効果を調べる実験が数多く行われた。しかし、それらの多くでは、実験精度の不足により満足な結果を得ることができなかった。

しかしマイケルソン・モーリーの実験では、ハーフミラーを用いることにより、直交する二つの経路を進むのに光が要する時間の差を高精度で測定することができた。
1887年に、彼らはエーテルの風による影響は観測されなかった、との結果を報告した。これは、エーテルの概念に重大な誤りがあることの証左であると考えられた。同様の実験は、多くの物理学者によって、装置の精度を向上させながら繰り返し行われたが、ついにエーテルの風は検出されなかった。

これらの「エーテルの風」の実験結果について、エーテルの概念そのものを否定する意見と、エーテルは従来考えられていたよりも複雑な性質を持つが故に検出されなかったとする意見に分かれた。
特に後者については、エーテルが地球に引きずられることによりエーテルの風が極めて弱くなる、との考えが支持されていた。
しかし、既に指摘されていたように、エーテル引きずり仮説には、光行差を説明できないという問題があった。この仮説の直接的検証はハマールの実験によって為された。この実験では、光に巨大な鉛ブロックの間を通過させることにより、エーテルの運動が質量に引きずられるかどうか調べられた。そして、そのような引きずりは起きないことが確認された。

この問題に対する解決はローレンツ・フィッツジェラルド収縮仮説によって為された。すなわち、エーテル中を運動している一切の物体は、エーテルに対する運動の向きに沿って縮むと仮定された。この仮説によれば、マイケルソン・モーリーの実験によりエーテルの風が検出されなかったのは、装置がエーテルの風向きと平行に縮んでいたために、光速の変化と光の移動距離の変化が相殺されたからである。
フィッツジェラルドは、この仮説のヒントをヘヴィサイドの論文から得た。この仮説の検証はケネディ・ソーンダイクの実験によって1932年に為され、装置の収縮および光の振動数の変化が、予想された値と一致すると結論された。
エーテルの性質を調べる有名な実験としては、他には1851年のフィゾーの実験が挙げられる。これは1818年にフレネルが予言した「速度vで動いている屈折率nの媒質中において、vと同じ方向に進む光の速さは、真空中の光速をcとして

{\displaystyle {\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v}{\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v

である」という法則を確認したものである。
これは、スネルの法則や光行差を矛盾なく説明するための仮説だった。当初この仮説は、エーテルが物質に引きずられるために、光速の変化は媒質の速度よりも小さくなる、と解釈された。しかし、この解釈はウィルヘルム・ヴェルトマンが、フレネルの式中のnが光の波長に依存することを実証したため、エーテルの運動は波長に依存し得ないことから、否定された。さらに、特殊相対性理論の観点から、フォン・ラウエにより、フレネルの式はvがcよりも十分小さい場合にのみ成立し、一般の式は

{\displaystyle {\frac {c/n+v}{1+{\frac {vc/n}{c^{2}}}}}\approx {\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v+O\left({\frac {v^{2}}{c^{2}}}\right).}{\frac {c/n+v}{1+{\frac {vc/n}{c^{2}}}}}\approx {\frac {c}{n}}+\left(1-{\frac {1}{n^{2}}}\right)v+O\left({\frac {v^{2}}{c^{2}}}\right).

であることが1907年に示された。

また、1913年に発見されたサニャック効果や1925年のマイケルソン=ゲイル=ピアソン実験の結果は、特殊相対性理論による予想と合致していた。

1920年代には、デイトン・ミラーによってマイケルソンと同様の実験が繰り返され、エーテルの風の存在を示唆する結果が得られた。しかし、これは従来のエーテル理論から予想される値よりも極めて小さく、また、他の研究者による追試ではミラーの結果は再現されなかった。後年の研究では、ミラーは温度変化による実験結果への影響を過小評価していたと考えられた。さらに高精度の実験が繰り返されたが、ついに、特殊相対性理論と矛盾する結果は得られなかった。

エーテルの否定
前述の「エーテルの風」の実験結果についてエーテルの風が検出されなかったことは、エーテルの概念そのものを否定する意見を生み出した。

そして、アインシュタインの特殊相対性理論はエーテルの実在性を根本から完全否定するに至った。
ローレンツがエーテルを基準とした絶対座標系の存在を考えたのに対し、アインシュタインはエーテルも含めた絶対座標系及び絶対性基準は特殊相対性理論を根本から否定するとし、その存在を否定した。これは「相対性」理論と称される所以となっている。

アインシュタインは、より根本的な原理から「長さ」や「時間」といった性質を導出できるはずであると考えた。
そして、ローレンツ変換をマクスウェルの方程式から切り離し、時空間の性質を表す基本的な法則であると仮定した。

また、アインシュタインは「エーテル」を物質を表す言葉とせず、真空であっても空間には重力場や電磁場が存在することから、こうした空間を「エーテル」と呼ぶことを提唱した。この場合、エーテルには位置という概念が存在せず、従って「エーテルに対する相対運動」を考えることは無意味となる。

アインシュタインが相対性原理を最も根本的な原理として考えたのに対し、特殊相対性理論の基礎を造ったローレンツは相対性原理の根本がエーテルであると考え、「長さの収縮」や「時間の遅れ」に表されるように、物体の特性はエーテル中の運動により変化すると考えた。
アインシュタインとの違いは、長さや時間について絶対的な基準を設けることを可能と考えるか否かである。これは物理哲学の問題であるため、決着はついていない。従って、エーテルの実在性は完全には否定されていないと言える。

エーテルと古典力学
エーテル仮説の最たる困難は、ニュートンの力学とマクスウェルの電磁気学の整合性である。ニュートン力学はガリレイ変換の下で不変だったが、マクスウェルの電磁気学はそうでなかった。従って、厳密には、少なくとも一方の理論は誤りであると考えざるを得ない。

ガリレイ変換とは、観測者の視点を変えることである。例えば時速80キロメートルで走る電車の中を、進行方向に向かって時速4キロメートルで歩いている乗客は、別の乗客からは、時速4キロメートルで動いているように見える。
しかし、電車の外にいる人からは、この乗客は時速84キロメートルで動いているように見える。
見る人が変われば運動も異なって見える、その見え方の違いを定式化したものがガリレイ変換である。
そしてニュートンの運動方程式は、ガリレイ変換をしても、つまり誰から見ても、成立する。このように、常に成立することを「不変」という。

しかし、マクスウェルの方程式によれば、光の速さは誘電率と透磁率から定まるが、この値は、観測者の運動に依存しない。つまり、電車に乗っている人にとっても、外にいる人にとっても、光の速さは同じでなければならないことになる。

すなわち、マクスウェルの方程式はガリレイ変換について不変ではない。全ての物理学理論はガリレイ変換について不変であるべきだと考えられていたため、「エーテルに対する絶対座標系」が存在し、マクスウェルの方程式はこの座標系においてのみ厳密に成立すると考えられた。

そこで、地球の、絶対座標系に対する運動に関心が持たれるようになった。マクスウェルは1870年代後半に、地球の運動が光の速さに及ぼす影響を調べることで、地球の絶対座標系に対する運動を知ることができると述べた。

光の進行方向が地球の進行方向と一致すれば光は遅く見え、逆方向であれば光は速く見えるはずである、と考えた。季節あるいは昼夜が変化すれば観測者の運動の方向が反転するが、この運動の変化は光の速さに比べて小さいものの、検出不可能なほど小さくはないと考えられた。
すなわち、地球はエーテルの中を進んでいるのであるから、地上ではいわば「エーテルの風」が吹いていることになり、これは光速の変化として捉えられると考えた。
(http://blog.livedoor.jp/raki333/preview/edit/82fd78c002bc822c7ce070ad5251aae1)


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動画 与作の散歩 2022/8/28


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