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調律をたくさんすればピアノが安定する、と言うわけじゃない

ピアノは結構音が狂う楽器です。

ピアノ調律師の仕事はいわゆる「狂った音を合わせる」だけではありませんが、基本の作業であることは間違いないです。

でもその「音の狂い」にもいろいろあります。実はただ調律を繰り返せば良くなるわけではなく、適切なタイミングで調律することや、環境を整えたり、持ち主の方の協力が絶対に必要です。

今回はそのために絶対に共有しておきたいけど、意外と調律師の感覚に留まっていてひとことで説明するのが難しい「ピアノの音の狂いとは?」について言語化したいと思います。

年に何回も調律を頼んでいるのにピアノがいつまでも良くならない...と言う方はもしかするとこのあたりに理由があるかもしれません。

“自然な狂い”のピアノは安定している

「自然な狂い」

どんなに気をつけても必ず全てのピアノに発生する狂いです。弾くことによって弦が振動したり、時間の経過や少しの温湿度変化による自然な弦の伸び縮みが原因です。

狂いの量としてはそんなに多くなく、定期的な調律で毎回チャラにできる狂いとも言えます。

この狂いの範囲で収まっているピアノは安定していて、毎回の調律は少し緩んだ帯を締め直す、くらいのイメージです。

“不自然な狂い”の正体は2種類

対してそれだけでは直らない、良くない不自然な狂い(歪み)があります。

1.内的要因

ひとつはピアノ自身の問題が原因の狂いで便宜上、僕は「内的要因」と呼んでいます。

1番の原因は調律の年数が空いてしまうこと。弦が緩みすぎたり、本体が歪んだ状態で固まりきってしまうと、調律をしてもすぐ元に戻ろうとする力が働く頑固な状態です。

これは1回の調律ではチャラにならないので、解消するには何度も調律を繰り返していき、歪みをとって整えていくしかありません。健康になるための筋トレやダイエットのようなイメージです。

それ以外には弦が古くなってスムーズに伸び縮みしない、弦を止めている部品がゆるくて動いてしまう、ハンマーが潰れて弦をバランスよく叩いていないなどの「劣化や故障」もここに入り、別途修理が必要です。

2.外的要因

もうひとつはピアノの置き場所の極端な温湿度変化が原因で、外部から強制的に歪まされる「外的要因」

調律を繰り返して内的要因の歪みを解決しても、これが改善されないといつまでもピアノが良くなりません。いくら筋トレだけしても、普段の食事や睡眠を疎かにしていると健康にはなれないのと同じ感じです。

内的要因がそれまでの積み重ねの「過去の歪み」だとすると、外的要因は今まさに狂わされている「現在進行系の歪み」と言えます。

そしてこの外的要因はすべてを無視して狂わせてくるぐらい強力です。調律師が口うるさく温度・湿度管理のことを言うのも、この狂いが本当にやっかいだからなんです。

「本当のピッチ」と「見せかけのピッチ」

ピアノ全体の音の高さを表す“ピッチ”

詳しい説明は省きますが、ピッチ440〜442Hzだとちょうど良い高さ。438だとちょっと低め、430だとかなり低い、逆に444Hzまで上がると高すぎ。そんな感じです。

そのピアノの内的要因によるピッチを「本当のピッチ」
外的要因によって影響を受けたピッチを「見せかけのピッチ」と便宜上呼んでいます。

先ほどから便宜上ばかりですみません…ここらへんに該当する業界的な共通語が(たぶん)ないんです。

ものすごくざっくり説明してしまうと、乾燥や高温で見せかけのピッチは下がり、湿気や冷気で上がります。

耳に聴こえてくる音・チューナーで計ったときに数値として現れるピッチは「見せかけのピッチ」のほうです。本音と建前、みたいなものでしょうか。

実際にあったこんなケース

半年ごとにずっと調律をしているのにすぐに音が狂ってしまう、と困っていたピアノがありました。

その相談を受けて僕が調律に行ったのがある年の春頃。確かに前の夏に調律がされているのに、ピッチはかなり下がってユニゾン(1音ごとの音色)もガタガタ。ひとことで言えばかなり狂ってます。

このケースに限らず、初回は狂いの原因が内的なものか外的なものか、または両方なのか…まだ判断がつかないので、この時は「正しいピッチに戻す」ことを重視し一旦は普通に調律をします。

次に秋頃2回目の調律に行くと、前回あんなにピッチが下がっていたのに、今回は高く狂っています。もし前回の狂いが内的要因で下がっていたのだとすると、ふつうは元に戻ろうとする力で今回も少し下がっているはずです。にもかかわらずそれを無視して上がっている。内的要因でここまでピッチが高く狂うことは基本的に無いので、湿気の影響を受けているのは確実

ここで大事なのが、高く狂っているピッチを今は正しいピッチまで下げてしまわないこと。今上がっているのは湿気(外的要因)による見せかけのピッチなので、ここでそれを強制的に元に戻してしまうと今は良くても.. 半年後には逆にピッチが必要以上に下がります。それは問題が無い内的要因の部分にまで手を突っ込んでしまい、本当のピッチまで崩してしまうことになります。

僕はスクランブルエッグは柔らかめが好きなんですが、ちょうど良い固さで火を止めると予熱でそれより固くなってしまいますよね。それも見越して少し早めに火を止める、みたいなことをイメージしています。

そんな感じでこの日は音をあまり下げすぎず、ちょっと高めのまま整えて、お客様には湿気対策の除湿機導入をオススメしました。

こう言った感じで何回か半年ごとの調律を繰り返していくと、ピアノと置き場所の状況が正確に把握できていき、これらのことがわかりました

  • この場所は夏は湿度がかなり高い環境で、ピッチが上がっていた

  • 逆に冬は乾燥がひどく、ピッチが下がっていた

  • 外的要因による狂いだったにもかかわらず、前任者は内的要因の部分を調律してしまっていた(※前任者を批判する意図はなく、単純に事実としての見解です)

これに対してこちらがおこなった作業は

  • 夏は除湿機を使ってもらい湿度を下げる

  • 冬は加湿器で湿度を上げる

  • 外的要因がなくなるまでの調律はそれに逆らわないようにおこなう

数回繰り返していくことでピアノも環境も安定し、今は1年に1回の調律で自然な狂いだけの範疇に収まるまでになりました。

外的要因は無視できない

このケースでは前任者は本当のピッチを意識していなかったのか見誤ったのか、冬は435Hzに下がる→調律で440Hzにもどす。夏は444Hzに上がる→調律で440Hzにもどす、ということを繰り返していたようです。(もしかすると何かしらの理由でしょうがなく、毎回正しいピッチに戻すことを重視したのかもしれません)

風が吹いて左に倒れそうだから右におもりを乗せる。反対から風が吹くとそのおもりのせいで今度は右に傾くので左におもりを...(以下無限ループ)という事を繰り返していた感じです。根本的には風が吹くことをどうにかしいといけないわけです。

実際にはこのピアノは「本当のピッチは440Hz、見せかけのピッチが冬は-5、夏は+4」といった状態でした。やるべきことは置き場所の環境を整えて外的なプラスマイナスを無くすことだったんです。

逆のケースで20年くらい調律が空いていたピアノで、お!意外と音が下がっていない!と油断していると、ただ湿気で見せかけのピッチが上がっていただけで、本当のピッチはかなり低かった、なんてこともよくあります。

調律回数を減らすほうが良いことも

調律はやればやるほど音程は強固になっていくと思われている節もありますが、このようにやり方を間違えると意味がないどころか余計にバランスを崩すことも。

なので実は外的要因によって狂いが大きいピアノは、調律回数をいたずらに増やすのは良くないです。

調律でどうにかできるのは内的要因だけで、外的要因を力ずくで押さえつけることはできません。とにかく必要なのは外的要因を無くすこと。と同時に適切な調律回数で整えていき、自然と落ち着くところに安定させていければベスト。

何かしらの理由で外的要因を取り除けない場所では...少し我慢するのがベターというのが個人的な本音です。例えば乾燥している時期に突然の湿気で急に狂ったピアノは、また数日して湿度が戻ると狂いも少し落ち着きます。イレギュラーな時には焦っていじらずにおとなしくしておく方が良いということを、なかなかうまく伝えるのが難しいです。

まとめ

今回の記事では複雑にならないよう、“ピッチの上下は中音域に一番影響がある”とか、“外的要因での歪みが強すぎると内的要因にまで影響する”とか、そのあたりの説明は省いてかなり簡略化しています。

さらにざっくりとまとめると、ピアノ調律の考え方は、伸び縮みを考慮して洋服を選ぶようなイメージを持っていただくとわかりやすいかもしれません。

それぞれのピアノの狂いの原因によってとるべき対策はこれだけ違います。

  • 外的要因の場合→環境を整える

  • 内的要因の場合→調律回数を増やす(必要があれば修理)

  • 内的•外的両方の場合→環境を整えつつ調律回数を増やす

  • 外的要因を取り除けない環境の場合→ある程度の狂いは我慢しつつ、環境が1周するタイミングごとに調律をする

ピアノの調律は、持ち主さんと調律師が協力して、ピアノの建前をとっぱらい本音を引き出していく、そんな作業だと考えています。


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