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昔の思い出 ずっとみじめな僕

大人になると


それなりに「効力感」

とうものが生まれてくる。




それはとても幸せなことであり、僕もそうだ。



逆に言えば効力感を感じられないことには


なかなか取り組まなくなる。



よくも悪くも、自分の「土俵」ができる。




もちろんその土俵で戦っているうちはいい。



しかし、時に鮮烈なくらい『土俵外』にでることがある。





そんな時僕は、


どうしたらいいかわからず、


身体や心が凍りつき、


ただ引きつった笑顔を作るくらいしかできなくなる。





そうそう。

よく考えたらこの感覚は

小学生の時くらいにはすでによくあった。



小学校の色々な場面で。



授業の発表の時


友人からイジられた時


鬼ごっこをしている時


人前で発表する時


体操がうまくできなかった時


そして、きっともっとたくさんの場面で。





色々な場面でトロい僕は


人のように素早く反応できないし、

器用に振る舞いこともできない。




そして心に浮かぶのは


『みじめだ』


という気持ち。





またうまくいかなかった、


結局僕は何もできないんだ、


情けない、


役に立たない、


人の迷惑だ、


って感じ。




そしてまた、自ら気づかずとも、


こういう『みじめ』な僕はひた隠しにしようと、


あの時から僕は必死に必死を重ねて生きてきたなと思う。




それはとても恵まれたことでもあり、


でもとっても苦しい茨の道だったなと思う。





最近40歳になった。



これまでとは異なる生き方をしていきたいという自分がいる。



そういう新たな一歩は、


さらに「みじめさ」を覆い隠すのではなく、





あの時「みじめ」だと思い込んだ僕に


気づき、


引き受け、


許してあげていくことなんじゃないかとも思う。





よくやった!


「みじめ」さを乗り越えようと必死だったあの頃からの僕!





そして本当は、


「みじめ」なんだけど



『愛おしい私の一部』。



私を愛でられるのは、わたしだけ。



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